父の回想録は、時をためる宝物
懐かしむということは
脳に良いらしい
もの忘れがちな父は、
少年時代の話になると、
背景がはっきりとイメージできるほど描写が細かい
登校は、川の渡し船を利用した話
船頭とのやり取りや天候による川の流れ、ときにお休みになるとか、そのために学校を早退したらしい
手伝いは、山から切り落とした木を運ぶ
危険なお仕事の話
川で取れた鮎を売りに歩いた話
焼いてもよし、煮付けにしてもよしと、小さな子供が主婦に色々買ってもらおう
とする、世間話や商売の知恵をつけていく様子がうかがえた
下校は、少し上の友が乗っていくかと声をかけてくれ、荷物の乗った自転車に父が乗り何キロも漕いで走ってくれた、ありがたかった話、いろんなことを語り合った話
その心友が逝ってから何年過ぎても今も田舎に帰ると、友宅に立ち寄り、お供えを必ず持っていく
その息子さんから逝った後も、友が思ってくれる父は、いい人であったのだと嬉しく思うと手紙が届いていた
父は今年で90になる
戦時中は学校で竹やりや鉄砲の練習をしたとか
ふかした芋が弁当だったという話
父の父は戦死した。当時父がいないだけで、からかう子どもがいたという
悔しさで負けるものかと思ったと語る
戦地からの手紙には、子を思う父の言葉があり、学校で学びを大切にするよう言葉があったと目をうるませて語る
父の母は、よく歌を歌っていたという
気持ちを奮い立たせていたのだろう
一家の主を失い、子どもたちを育てた
折れないよう心に常に優しさがあったという
桜井の訣別という歌を聞くと今も泣けてくると。汽車で父を見送ったあの日が最後だった、戦地へ三人行って、二人は帰り父だけが帰ってこなかった、そんなのおかしいと思ったそうだ
食事をともにしながら、父の話を聞く
父の脳の活性化活動に相槌をうつ
へぇ、すごいね、大変だったね、おもしろいね、
そんなことあったの、良かったね、
それで?それから?どんなふう?
たまに記憶の深掘り質問も加える
あとどのくらいこんな時間が
続くのかわからない
時をためて、宝物にしていこう
一日一日に感謝し、大切にしていこう