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謎すぎてビビる究極の罵倒語たち7つ【植木屋娘】

「不動坊」という噺には罵倒表現としての、不思議で凝った言葉がたくさん出てくる。

1、ワニ革の瓢箪みたいな顔

これはわかりやすい。
荒れてるのかそういう肌質なのか、言われてムカっとくるのはわかる。
見た目でまず人を罵倒するのに「◯◯みたいな」は有効だ。
しかも、「そんなものはない」という代物を比喩として持ち出されると、第三者にはおかしく聞こえるものだ。

2、鹿の子の裏みたいな顔

鹿の子(かのこ)ってなんなんだろう。
この言葉は、「かもじ鹿の子いけ洗いの裕さんは鹿の子の裏みたいな顔」という風に使われる。

かもじ・鹿の子を「いけ洗い」する仕事があったらしい。
かもじというのは「髢」と書く。
地毛の足りないところに乗せる、いわば昔の部分カツラのようなものらしい。

鹿の子とは、今でも「鹿の子編み」という素材があるように、シカの子供の模様に似せた、まだらな柄のことを言う。だけどこの場合の鹿の子とは、絞り染めでまだら模様を表現した染物(生地)のことを指すようだ。洗えるものではないと商売が成立しない。

それにしても、部分カツラや布を洗ってくれる「だけの」仕事があるというのはすごい。そしてそんな布生地の裏が悪口に使われているという素朴さ。その仕事をしていた「裕さん」。江戸時代にはものすごく分業が進んでいて、今なら専門業者が機械でいろいろいっぺんにやってしまうようなことを、一つ一つの工程にそれぞれ業者がいた。もちろん、身入りは多くないだろうが、なんとか「みんなそんなもの」という感じで、職人たちは楽しげに生きていた。と思う。

そしてなんとも、他のジャンルの芸術には出てこない、転用のしようもないようなフレーズが現れる。これである。

3、ひーふるひーふるせっきのはらいもさっぱりどろかいちゃんぽんでおますわいな

こうなってくるともう呪文だ。このくだりも、長屋に住むヤモメ暮らしの男を半ば見下す意図で出てくるから、どこか蔑んだニュアンスで考えることができる。

ひーふるを「火が降る」、つまり家計が火の車(みたいなもの)だと解釈すると、「せっきのはらい」は「節季の払い」とわかる。ツケにしていた支払いのことだ。「節季の払い」が「さっぱりどろかい」で「ちゃんぽん」なのだ。どろかいでちゃんぽん、なんだかもういい加減でめちゃくちゃだ、という雰囲気はわかるような気がする。要するに「たいした稼ぎもなくて金がない、ダメなやつ」ということを言いたいのだと思う。

以上の3つが「不動坊」に出てくる悪口だ。
聞いているだけではニュアンスしかわからないし、現代の我々が使うにはTPO的にかなりハードルが高い。

落語に出てくる罵倒のニュアンスとしては、他に

4、あんけらそ

がある。

「青菜」などに出てくる。
このアンケラソ!と罵られる。男性が罵倒される。何を意味するのだろう。

よーく聴いていると、桂枝雀の「船弁慶」にだけ、

「このあんけらそ!ハゲネズミィ!」

と続けて言う場面がある。

「今時分までどこのたくり歩いてけつかんねん!」

の流れで連続して出てくるのだ。「のたくり歩いてけつかる」という言い方もすごいがこの場合、どうも後半の「ハゲネズミ」が、あんけらそを補足、または訳しているように聞こえるのだ。難しい「アンケラソ」を、現代語版に言い直してくれているように聞こえる。

「ハゲネズミ」は豊臣秀吉のアダ名でもあったそうだが、もしこの解釈が正しいとすると、あんけらその「そ」は「鼠」だということになる。猫を噛むのは窮鼠だが、あほ・ばかと罵られるのは「あんけら鼠」なのである。じゃあ「あんけら」ってなんなのだ?ということになるのだが、「ハゲ」のことなのか??真相はわからない。

他には

5、ちょうちびす

がある。

これは腸チフスが訛ったものらしい。
こういうのは、ただ単に音感で叫ばれているに過ぎない。別にその病気になったこととか患っている人のことを言っているわけでもない。関わりのある人がいたら嫌な気分にもなるが、時代感覚的に、安易に病名を悪口に使ってしまうという例だ。ちなみにチフスは今でもたまに集団食中毒で話題になったりしている。感染経路は様々だ。

これら(4、5)は、直接的な罵倒に使われる、だけど愛着と呆れが混じったような、アホボケカスに近いニュアンスで使用されているので、意味はわからなくても音の感触で楽しむのが正しい。言われた方も、まぁそう言うなよ…みたいな、ダメージをあまりない言葉でもある。もちろん、現代の感覚では合わないこともあるので、少しの注意は必要だろう。

そんな言い回しがあるのか!?と思ってしまうのがこれだ。

6、あんな、パンみたいなオヤっさんでも


これは「宿替え」に出てくる。
「パンみたい」が、罵る言葉になるというのはどういうことなのだろう。これは、パンがまだ、とんでもなく新しい舶来の食べ物だった時代を思い浮かべないといけない。

例えば「あんパン」にはあんが入っているわけだが、それまでの日本には、あんが入っている食べ物としては「まんじゅう」とか「もなか」とか「どら焼き」のような類しかなかった。まんじゅうにおける、あんのつまり方に比べてパンは、ちょっと物足りない、という印象だったのだろうと思う。

中身のスカスカな感じ。ニュアンスとしては、ちょっと抜けている、物足りない、ということを言いたかったのだろう。だから「パンみたいな」が、ちょっと間抜けな男に対する罵倒語になる。

ちなみに木村屋(木村屋總本店)によってあんパンが考案されたのは、明治7年である。

思い起こせば「不動坊」の中で、「アホ!ボケカス!ラッパ!空気!」という罵り方が登場する。まさか「空気」が罵倒語になるとは…。これも「中身がなく、フワフワした、色も厚みもない、存在の薄い」といったところを罵倒の根拠にしているのだろう。パンの方がぜんぜんマシである。

さて、ここからが最大の謎、結論から言うとこの言葉については、故事も来歴も理由もさっぱりわからない。

突然変異的に、単独で浮かんでいる。孤高の罵倒語である。
唐突で、意味不明で、世間のどこにも接続していない。

それが

7、ぱいらいふ

である。

この言葉は「植木屋娘」に登場するのだが、

「ぱいらいふみたいな顔や」

「ぱいらいふて何やの?」

「お前の顔みたいなことを言うねん」

と、小さい半径ですぐに循環してしまい、これ以上の情報はない。
つまり説明する余地を残さず既成事実としてだけ存在する。

落語を演じている噺家の方々も昔から、意味がわからず使っているらしい。

ぱいらいふ…なんだか発音的に、おもしろさを追求して文字を入れ替えて造語したとしたら、近いのは「フライパン」なのかなぁなんて思ったりもしてみるが、この「植木屋娘」には「やがて500石の家督を継ぐ身の…」という登場人物が出てくるので、絶対に時代は江戸時代なのである。

ぱいらいふ…そこに「みたいな」がついて発声していることから、物体であるのだろうと思われる。発言した男にとっては、それ思い浮かべながら人の顔(自分の奥さんだが)との類似点を指摘できるほどなのだから、具体がどこか、この世にあるのである。…もしくは、好事家しか知らない、いにしえの妖怪の名前かなにかなのかも。

しかし、そしてそれって何?と尋ねられても「◯◯だ」と答えられないというところから察するに、「状態を表す言葉」なのかもしれない…とも言えそうだ。


悪魔、悪霊、邪神に分類されるべき存在。
災厄の前兆を体現したものと言われる。

というのは、漫画「パタリロ」に出てくる設定である。

闇と混沌の申し子にして恐怖の使者
限りなき腐敗の王にして究極的堕落の権化
絶望と虚無の体現者
その姿は魚に似ず獣にも鳥にも似ていないが
昆虫にもまた似ていない
災厄が訪れるとき前触れとして出没するが
これを見たものは石に変ずると言われる

おそらく作者の魔夜峰央氏が、落語に出てくる謎の物体(?)から着想を得たのだろう。

パタリロには落語から引用されたセリフが多々出てくる。そんな中「ぱいらいふ」だけは、どんな使い方をしようが過剰に想像をふくらませようが、結局実態は古今東西闇の中なので「アリ」なのである。

冒頭に書いたように、ぱいらいふに関しては一切、なんら判明しない。なんの情報も増えることがない。派生してふくらんだ妄想だけが、ある程度の大きさになるだけである。全宇宙で「植木屋娘」の中にだけ存在する言葉。

それでも噺の中においては、すべてが言い回し、音感の良さが優先されているというのが重要なところだろう。言いやすさ、聞こえやすさ、意味は不明だがなぜか伝わるニュアンス。笑えるアトモスフィア。

様々に入れ替えられながら、スムースに通る言葉にじょじょに、変化してきたのかも知れない。

一生忘れないが、一生謎が解けそうもない「ぱいらいふ」。
思わずここまで読んでくれたあなたと謎の共有ができて、今日は良い日だと思った。


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徳田神也
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