ハローワークのスーパーガール
「口入屋(くちいれや)」から連れられてきた、一人の女性。
おそらく、まだ10代だろうと思われる。
「口入屋」は「手配師」とも呼ばれたが、細分化され、日雇いの男衆や娼妓など、職業によっての案内所・斡旋業として機能していた。言ってみればハローワークである。「口入れ」は「口利き」だと考えればわかりやすい。
江戸時代、大きな商家では、男性は丁稚として長い年月を同じ家で奉公に勤めるが、女性は基本的に期間労働であったらしい。自分に合わなければ半年、1年でどんどん職場を変える。そういう流動性・柔軟性があったとも言えるし、女性には、経済的な安定性がまったく認められていない厳しさがあった、とも言える。
美人を連れてこい、という番頭からの指令(これは旦那の意向とは違う)によって、選りすぐられて案内された女性。
男社会である商家では、美人が来ると揉め事の元なので、避けられる傾向にあった。
番頭の邪な思惑でそれは破られた。
しかし御寮人(おかみさん)は、あえて彼女を放逐せず、「上(かみ)の手伝いを」ということで、置いておくことにする。店番などの「下(しも)」の手伝いをさせると、奉公人たちの間でトラブルが起こることは確実だからだ(この噺じたい、そちらへ進んでいく)。
お店・商売サイドではなく、オーナーの生活サイドの世話をするお手伝いさんとしての仕事を依頼すべく、面接は進んでいく。
ここで、彼女がスーパースキルを持ったスーパーガールであることが発覚する。
裁縫はできるの?という問いには
まぁ御寮人(ごりょん)さん…お針のことを申されますというと穴があったら入りたいように存じますのどす、亡くなりました母に、ほんの、手ほどきを受けただけでございますので…
ただもう、単(ひとえ)もんが……、ひと、通り。
袷(あわせ)が……、ひと通り。
綿入れひと通り、
羽織に袴、襦袢、十徳、被布・コート、
トンビにマント、手甲、脚絆、
足袋、こうかけ、そのほか針の掛かるもんでございましたら
網貫から雪駄の裏皮、畳の表替え、蝙蝠傘の修繕…
旦那様が三味線を、唄を…と請うことがあるが、そっちはどう?
と問われたら、
まぁ御寮人(ごりょん)さん、お三味線のことを申されますと消え入りたいように存じますのどす、これも亡くなりました母にほんの手ほどきを受けただけでございますので…
ただもう…地唄が百五、六十と。
江戸歌が二百ほどが上がりましただけでございます…
義太夫が三十段ばかり。
常磐津、清元、荻江、薗八、一中節、
新内、よしこの騒ぎ歌、
大津絵、都々逸、とっちりとん、
祭文、ちょんがれ、アホダラ経。
そこに加えて、今度は自分から、
それからもしお子さんたちが夜習いでもあそばすようでございましたら、
卒爾ながらお手本くらいは書かせていただきます…
書は御家流、
仮名は菊川流でございます。
盆画、盆石、香も少々は聞き分けます。
お手前は裏千家、花は池坊、
お作法は小笠原流、謡曲は観世流、
剣術は一刀流、柔術は渋川流、
槍は宝蔵院流、
馬は大坪流、軍学は山鹿流、
忍術は甲賀流、
そのほか鉄砲の撃ち方、大砲の据え方、
地雷の伏せ方、狼煙の上げ方……
と、技能を披歴する。
美人な上に、何でもできるスーパーガールが現れた!!!
この、出来るスキルを列挙する部分、噺家によって様々に工夫・取捨選択がされてきたようだ。
上に挙げたのは桂枝雀の型だが、「上方落語1」には
ただもう地唄が百五六十と江戸歌を二百ほどが上がりましただけでござります。
それからまぁ長唄と常磐津、義太夫、清元、端歌、大津絵、とっちりとん、伊予節、都々逸、よしこの、追分、騒ぎ唄、新内、源氏節、チョンガレ、祭文、阿保陀羅経、また鳴り物も少々かじりまして、太鼓(おおかわ)、小鼓(こづつみ)、大太鼓、〆太鼓、甲太鼓、長胴鼓(ながどう)、横笛(おうてき)、竹笛(しの)、尺八、笙篳篥(しょうひちりき)、琴、琵琶、胡弓、八雲、月琴、木琴、鈴(りん)チャンポン、銅鑼、鐃鉢(にょうはち)、木魚、四ツ竹、半鐘、釣り鐘、拍子木、鳴子、法螺貝…
とある。
お手本くらいは…の流れの部分は
字は御家流、仮名は菊川流でござります、算盤は四則から始めまして開立(かいりゅう)、開平まで、お手前は裏千家、花は池坊、盆画盆石と香も少しは聞き分けます、絵は狩野派、歌は万葉、句は蕪村の流れを汲みまする。剣術は一刀流でござりまして柔術は渋川流、槍は宝蔵院流、薙刀は静流、手裏剣は兵藤流、鎖鎌は山田流、軍学は山鹿流、忍術は甲賀流、馬は大坪流、鉄砲の作法は江川流、大砲の打ち方、地雷火の伏せ方、狼煙の揚げ方…
となっている。
噺家によって、そのリズムとインパクトをそれぞれにチョイスして、順番も多少入れ替えて、最大の効果を狙う工夫をしたのだろう。
才色兼備の女子が現れたことでお店の男たちは大騒動になってしまうのだが、ここまでの教育を受けた女性が、なぜ、街の口入屋にいたのだろう…。
ギャップを作るにしても、「ただの美人」だけでじゅうぶんにトラブルの種となるのは分かっているのに、なぜにここまでスーパースキルを持たせる必要があったのかは、謎である。
ポイントとしては、裁縫の腕前や三味線のテクニックがプロ級であったとして、それプラス行儀作法についての知識が玄人レベルだったとしても、「剣術は…」のあたりからが真の笑いどころになってくる、と言えるだろう。いくらすごくても、10代と思しき、しかも女性が、剣術はおろか軍学や忍術に通じていることは絶対にあり得ないからだ。もし本当ならお上に訴え出て、身元を調査してもらう必要すらあるだろう。
これだけの知識と教養を修めているとなると、徳川将軍家のに連なる家柄の令嬢である可能性すらある。
句は蕪村の流れを汲みまする。
という件から分かるように、この面接が行われているのはおそらく、与謝蕪村の死後だろうから寛政年間、ぐらいのことだろう。与謝蕪村の没年は天明3年(1784年)である。
元となったお話は、やはり寛政元年(1789年)に出版された、「御祓川」という書籍にある、「壬生の開帳」というものだそうだ。
オチの謎はここかも。
元となる話では、最後に夜這いをしようとして、倒れてきた膳棚を担ぐことになってしまい、立ったままいびきをかいて誤魔化そうとする二人の奉公人を見て、御寮人が「薬屋の看板みたい」と皮肉を言う、というのがオチだそうだ。
これは時代が下ると意味がわかりにくくなってしまい、現在の主流である「引越しの夢を見ておりました」と言うものに変更されるようになった。江戸落語ではそのまま「引越しの夢」というタイトルの落語になっている。
薬屋の看板は、薬の名前を裸の男が支えている、というデザインだったそうだ。なので「男が二人で何かを支える」は、「薬屋の看板」という連想と直結するものだったのだろう。
おそらく、これのことを言っているのではないだろうか。
「一角丸(ウニコオル)」のパッケージ
引用:富山売薬の歴史
http://www.kitamaebune.jp/ikkaku_do/baiyaku_siryou_kan/fukuro_lib.html
このウニコオル、その発音と「一角」の文字で分かるように、「イッカク」という海獣の角(実は門歯が長くなったもの)を削ったもので、オランダ医学の輸入で日本に入ってきたかなり珍しいものだと言えるだろう。
解熱・鎮静剤として使われていたそうだ。材質としては象牙質なので、ほとんどおまじないに近いと言えるのかも知れない。
が、若くて美人・何でもこなす才媛が登場したことによって頭に血がのぼった男たちが、最終的に「鎮静剤のパッケージの真似をしている」というのは、偶然ではないのではないか。
オチとして、「おちつけ!」という意味が、このポーズに込められている気がする。
この「口入屋(引越しの夢)」という噺の中では、その後、このスーパーガールがお店で長らく勤めることになったのか、どんな騒動が続いて行ったのかはわからない。暖簾分けされるという番頭と、けっきょく結ばれて夫婦になったのか、もわからない。
彼女の素質がすごすぎて、もし話を広げるとしたらとんでもない規模になってしまいそうで、想像すると、ちょっと怖い。
【上方落語メモ第1集】その二十七
http://kamigata.fan.coocan.jp/kamigata/rakugo27.htm
職業安定行政史
第1章 江戸時代
職業紹介事業の発生とその規制
http://shokugyo-kyokai.or.jp/shiryou/gyouseishi/01-1.html
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