薩摩琵琶の分断
世の中では「分断」という言葉が一つのキーワードになっているようです。
伝統と革新、光と闇、私の世代では"勝ち組負け組"という言葉も流行りました。
物理の世界ではエントロピーの法則とかで、『秩序が生まれると同じ数だけ無秩序が排泄される』、コスモスとカオスの関係性があると言われるそうです。
私が長年取り組んでいる薩摩琵琶にも同じような事象が発生しているのではないかと考え、薩摩琵琶で発生した分断とは何かの所見を地域と時代、流派別に話したいと思います。
出身地による分断 -鹿児島かそれ以外か?
薩摩琵琶は鹿児島県発祥の芸能です。
そのため、弾奏家が鹿児島県出身者かしばしば話題に上がります。
元々、薩摩藩士が弾いていたものですから、当然といえば当然ですが、現在は鹿児島県内で弾いてる人よりも他都道府県の方が多いのが実情です。
鹿児島県以外の人が演奏することで、新たな表現が誕生しているのです。
薩摩琵琶の語りは、本来鹿児島訛りが入ります。
明治時代の名人の録音を聴くと、訛りが強く現代にはない発音を聴くことができます。
他の芸能でも似たような事例があります。
お能は室町時代の日本語が残っていると言われていますし、浄瑠璃は江戸時代の関西弁が今でも使用されています。
そう考えると、薩摩琵琶の語りは旧薩摩藩士の名残りがあると言って良いでしょう。
私は鹿児島県出身ということもあり、語る際に訛りを意識しています。
また、師匠から訛りが足りないということで叱責を受けることも多々あります。
鹿児島県の中でも、様々な方言がありますし育った環境によって訛りの強い弱いもあります。
訛りのニュアンスは簡単ではありませんし、人それぞれのアクセントがある、これも一つの個性といえます。
弾奏家の出身地により、節回しが微妙に異なるところが面白いのです。
同じ薩摩琵琶を演奏するにしても、出身地によって表現が分かれていくわけです。
時代による分断 -明治以降か以前か?
薩摩琵琶は元々、鹿児島で琵琶と呼ばれていました。
明治時代に西幸吉という名人が、明治天皇へ御前演奏する機会をいただいたのですがその折り、明治天皇は
『この楽器は何というのですか?』
とご質問され西幸吉はとっさに
『薩摩琵琶です。』
と回答されたという逸話が残っています。
それ以来、"薩摩琵琶"という名称が使用されるようになったようです。
このエピソードからわかるように、明治以降とそれ以前では、薩摩琵琶の価値観や考え方は大きく変わることになります。
明治以降、薩摩藩士として琵琶を嗜んでいた弾奏家は、政府の要望もあり、多くの人達が上京します。
その一方、鹿児島に住み続けた弾奏家や寺社に所属する琵琶法師(盲目の琵琶奏者)もいました。
明治直前の幕末までは鹿児島の城下町で技を競ったり、深夜から明け方まで琵琶を弾き合う座頭講を開いて楽しんでいた文化が、明治になって御前演奏を行うほどの芸術へと発展したのです。
時代が変われば、文化も言葉も変わる。
"薩摩琵琶"という名称が誕生したことにより、芸術のイノベーションが起きたのかもしれません。
時代の分かれ目は文化の分かれ目でもあります。
流派による分断 -正派か錦心流か?
明治時代、文明開花の足音と共にやってきた、薩摩琵琶という新しい芸術ジャンルは明治天皇の寵愛を受け瞬く間に、広がっていきました。
それまで鹿児島ローカルの芸能であった薩摩琵琶が一気に全国区になったわけです。
初めのうちは旧薩摩藩士の琵琶がそのまま取り上げられていましたが、都内で流行する中で新しい流派が誕生します。
永田錦心という名人が興した"錦心流"です。
薩摩琵琶の楽器はそのままに、謡方を変えて新しい表現を打ち出します。
彼は東京の出身で、鹿児島訛りを抑えて、優雅に調子を伸ばして歌うことで聴きやすくなるよう苦心され、新しい流派を作りました。
これにより、薩摩琵琶はより一般的に親しみやすくなったわけです。
そして、錦心流が誕生したことにより、それ以前の鹿児島風の琵琶を"正派"と呼ぶことになりました。
正派の代表格として著名な弾奏家に私が大尊敬する吉村岳城先生がおります。
吉村岳城先生は正派ですが、鹿児島の出身ではありません。
この頃になると出身地ではなく、流派として表現が区別されたことがわかります。
錦心流の誕生により、薩摩琵琶の様式が大まかに二つの流派に分かれることになりました。
進化のための分断
ここまで地域や時代、流派によって薩摩琵琶の分断が生まれたことを話しました。
それぞれの分断について、大まかに話してしまったのですが、細かな内容については情報量が多いので、別の機会を設けて話したいと思います。
文化や芸術の発展には分断、ジャンル分け、カテゴリ別といった作業が付随しているようです。
面白いのは分断された文化はそれぞれ独立して発展し、再び交わらないところです。
細胞分裂のように進化を繰り返し、まだ見えない世界への扉を開くのが人間の性質なのかもしれません。
薩摩琵琶は紆余曲折を得て、明治以前の姿を消しつつ発展を続けています。
今後も新しいジャンルが生まれていくと思います。
旧薩摩藩士の琵琶が好きな私としては個人的に寂しい思いもありますが、ほんの少しでも当時の面影を自分の琵琶で表現できるよう精進したいと思います。