"みんな"と私

先日、母親と姉に
『みんなと違うものが好きな自分が好きなんでしょ。』と言われた。

私が高校生の時から好きなモーモールルギャバン のライブに
今度仕事終わりに行くんだって話をした時だった。

確かに彼らの知名度は高くはない。
知らない人の方がもちろん多い。
高校時代、周りはサブカルチャーと呼ばれるものを好む人が多く
私もそこでモーモールルギャバンと出会い、今でも大好きだ。
(関係ないが私はサブカルチャーという言葉よりアンダーグラウンドという言葉の方が好き)

しかし別に私はモーモールルギャバンの知名度が低いから好きなわけではない。
彼らがメジャーデビューした時は嬉しかった。
有名なレーベルからCDを出した時は嬉しかった。
大きなステージに立つ彼らを少し遠く感じたことがあったが、たくさんの人が私の好きな音楽を聴いてることへ喜びがあった。

何が言いたいかって、
みんなと違うものが好きな自分が好きなわけではない。
確かに10代の頃はみんなの知らないような音楽を聴いて優越感に浸るのが好きなこともあった。
しかしその"みんな"って誰なんだよ。って話なんだ。

大学に入ったときも似たような気持ちになったことがある。
大学に入ってからは"みんな"とは違う髪色で"みんな"とは違う化粧をしていた。
あいつは"みんな"と違うと言われた。

大学を辞めたときも
どうして"みんな"と同じことができないの?と言われた。

しかしこの時は
私自身もどうして"みんな"と同じようにできないんだろうと悩んだ。
大学を辞めてフリーターになったときも
どうして"みんな"みたいに働けないんだろうと毎日泣いていた。

だって私は幼い頃は"みんな"と同じように
おジャ魔女どれみが好きで
おままごとをして
DSで遊んで
たくさん色ペンを集めて
カラフルな交換ノートを書いていた。
クラスではみ出していたことなど一度もなかった。
成績も良く、生徒の見本だとまで言われていたのに、
どうして"みんな"と同じができなくなってしまったんだろう。

"みんな"みたいにちゃんと大学を出て
"みんな"みたいにしっかり就職して
"みんな"みたいに税金を払う
"みんな"みたいになりたかった。

日曜日の夜になると明日から仕事だ〜最悪〜とTwitterに書き込む
"みんな"が羨ましかった。
月曜日の朝、満員電車で仕事へ向かう
"みんな"が羨ましかった。
どうして私は"みんな"と同じができないんだろう…。

"みんな"みたいになりたくて
無理やり社会に出てみた。
フリーターをやめて会社員になってみた。
まったくやりたい仕事ではない。
高卒の私だから給料もとても低い。
本当は私何がしたいんだろう。
"みんな"みたいになりたかったんじゃないの?
ほら、私はいま
"みんな"と同じだよ?

なのにどうしてこんなに心が満たされないんだろう。

ようやく"みんな"と同じになれたのに…。

"みんな"みたいになるために
今日も私は"みんな"の真似をする……

と暗い話で終わらせる気は無い。
反論しよう。

私から言わせれば
私の近くにいる"みんな"がモーモールルギャバン を知らないだけで
モーモールルギャバンのライブに行けば
そこにいる"みんな"はモーモールルギャバンを知っている。

Twitterで見るどこかに住む"みんな"は学生時代の私と似た髪色で似た化粧をしている。

だから

大学を辞めて近くにいる"みんな"とは違うことをした"みんな"もきっと自分らしく生きられると信じている。

私は近くの"みんな"と違うことへ恐怖を感じることがある。
だから"みんな"の真似をする。

しかしそれは本当の私ではない。

まだまだハッキリしていない。
私という人間はまだ未熟なのだから。
私に似た"みんな"がきっとどこかにいるはずだと思う。

いつか私の心が満たされる
"みんな"のいるところを見つけられると信じている。
そう思わないと生きて行けない…。

7月5日のモーモールルギャバンのライブが楽しみだ。
そこにいる"みんな"と音楽を楽しめる。


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