track 07 「当たり前だ。クラッカーだ」
ネット発。
北海道稚内市、宗谷岬から鹿児島県南大隅町の佐多岬まで、沖縄を除く46都道府県を24時間休みなくマツケンサンバを踊りながら踏破しようという一大プロジェクト。
飛び入り、離脱は誰に許可を取る必要もなく自由、投げ銭、差し入れは随時歓迎、参加者個々人に対する湯浴みや寝床の提供、就職の斡旋にコラボ動画作成の打診まで思うがまま。言わば移動するサロン。
県境を越えてしばらくは参加者が増加、しかしまた次の県境が近付くに連れて三々五々離脱、出発時点から一度の離脱もしていないいわゆる核となるメンバーもあるものの、実際、その輪が拡がっていかない事も事実。そんなキャラバンがいよいよ、宝町にも近付いていた。
二日前には薄らと、松平健の朗々たる歌声が風に交じって聴こえた。昨日には中学時代の友人が、キャラバンの実際の様子を収めた動画を共有してくれた。そして折しも土曜日の今日、千葉今日太は、手筈通りに高校の友人たちと連れ立って見物に繰り出していた。
そうしたイベントに躊躇も懐疑もなく飛び込みそして誰しも自分と同じように楽しめるものと信じて疑わない、今日太はそういう性質の持ち主だ。
自転車レースが行われるような自然の中を突っ切る一本道、そこをキャラバンが、ステップを踏みながらやって来る。彼らの頭上で白い木漏れ日が舞うと、ちょうど、天使に祝福されているようにも見えた。
なんとも御目出度い一団だった。
「やっぱちょっと参加させてもらおうぜ、だってなんか楽しそうじゃんみんな」
言って今日太が、一緒に見物に来た三塚松理を振り返る。
「当たり前だ。クラッカーだ」
続いて、松理の横に立つ六神円将を今日太は見遣る。
「でもせっかくの機会だし、二度とないかもしれないなら今こそ踊り時じゃん」
「踊らにゃハドソン、マリリンマラソン」
余り乗り気ではないという雰囲気を以て今日太の誘いに応えた二人だったが、しかし、キャラバンに交じるや自分こそが松平健であると言わんばかりに張り切り、その渦の中心へと吸い込まれていった。
「やっぱ凄いなぁ、二人は」
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track 07 「当たり前だ。クラッカーだ」
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よく日に灼けた長髪、髭面の中年男性と隣り合った。彼は、革命家を名乗り義務教育不要論を唱える啓蒙活動系逆張りYouTuberを連想させる麦わら帽子を被っていた。黒目勝ちの細い目が或る種の異常性を覗かせていた。
今日太は、和三盆を前にした甘党みたいに素直に彼に、訊いたものだ。
「長いんスか」
「最初からだね」
「凄いスね。家族の方とか心配しません」
「いないよ。独り身さ」
「じゃ結構自由なんスね。やっぱ楽しくってずっとやってる感じスか」
「楽しい。どうかな。君はどう思うんだい」
「楽しいスね、今んとこ」
「そう、その通り」
気付くと周囲の景色が一変していた。
「楽しいのは最初だけなんだ」
街中を往っていた。無論マツケンサンバを踊りながら往っていた。ちょうど、金メダルを獲ったオリンピアンを祝賀するパレードのように往っていた。沿道に鈴生りの見物客が日の丸を振り、歓声と、紙吹雪が飛び交っていた。
「なんか凄い歓迎されてるスね」
顔を振り向け日に灼けた中年に視線を戻すと、彼は、案山子と入れ替わっていた。身体を激しく上下させ、肩から先の腕をラジオ体操の第一、体をねじる運動よろしく左右にぶんぶんと振り回していた。
案山子は、火消しが掲げるまといの先に馬簾の代わりに括り付けられたものだった。
火消しは、アスファルトに掘られた溝の中に身を隠した状態でまといを、即ち己が化身たる案山子を、躍らせていたのだった。火消し、詰まりが日に灼けた中年はやはり黒目勝ちの細い目に、異常性を湛えていた。消耗か消費の果てにきっと埋没したか南無阿弥陀仏を唱えたのだ。その目はただ漆黒の洞だった。
松理は目の光を喪っていないだろうか、円将はサンバのリズムに取り込まれていないだろうか。確かめたくともしかし、上下に揺れる案山子の群れはいつしかマツケンマハラジャさえもマスターしていた。
それが麦わら帽子に変容してしまわぬ内にシャッポを脱いだ今日太は、ゆっくりとリズムを外し、一つ一つステップを遅らせ周囲に覚られないようにキャラバンから離脱した。
果たしてその狂騒を、自然の中を突っ切る一本道の上から見送る格好となる。
「へっ」
気付くと。
「へっへっへっ」
背後に二学年先輩の小籠包虫男、通称小虫が立っていた。
動物の毛皮を羽織りチキンレッグを貪り食っている小虫と並んで眺めるその、遠ざかっていくなんらかの一個の塊様は、文化生活の容れものとしての街そのものであり概念としての社会活動であったのかもしれない。
鶏の脂でてらてらの手指を一本一本舐りながら小虫が、塊様を指して言ったのだ。
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「まるでなんとかなんとかだな、て」
市立宝町高校、その直線型校舎の三階南端、音楽室。
「その肝心なところがマツケンのオレ、て声に掻き消されて聴こえなかったんスけど」
昨夜見た夢、その内容を話していた今日太が果たして訊ねる。
「小虫さん、なんて言ったか憶えてますか」
小虫は。
「憶えてる訳がねえだろ馬鹿野郎。ぶち殺すぞこの野郎」
至極当然の、なんなら実に誠実な反応を見せた。
その様子をちょうど、オーディションの審査員のような態度で見詰めていた波乃上花澄、通称花乃が、今日太に強烈な平手打ちを何度も何度も喰らわせながら言ったのだった。
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「またやったでしょ、またやったでしょ、て」
市立宝町高校、その直線型校舎の三階南端、音楽室。
「それであのー、花乃さんにお訊きしたいんスけど」
昨夜見た夢、その内容を話していた今日太が果たして訊ねる。
「俺、なにをした事を責められてたんですかねえ」
五秒。
無言で今日太の顔をまじまじと見詰めた花乃が、おもむろに松理を見遣った。友人であるなら連帯責任だと、その視線は云っていた。彼女がスカートのポケットからスマホを取り出し素早いフリック操作を行ったかと思うと、文字会話アプリを通じ松理にメッセージが届いたのだ。
その内容は以下の通り。
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1 笑い掛けてから足の小指を強めに踏む。
2 正座をさせて懇々と詰める。
3 望み通りに平手打ち、無論全力で。
どれが正解?
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全部です、と松理は返した。
全部です、と返しながら松理は、悔しい気持ちを隠し切れていない自分に気付いていた。
今日太の分際で興味深い内容の夢を見やがって、と。
今日太の分際で甘味だけでも塩味だけでも酸味だけでも苦味だけでもない、旨味をも感じせるような夢を見やがって、と。
('22.3.4)