インタビューメディアという無謀
再びご無沙汰してしまいました・・・とは言っても、僕の投稿を心待ちにされている方はまだまだいらっしゃらないと思います。早くそのような方をGETできるよう頑張ります。
ところでメディアを運営している人にとって、最も神経を尖らせる質問は「PV数はどれくらいですか?」だと思います。もちろん絶好調なメディアさんであれば「よくぞ聞いてくれた!」と、秒で答えるでしょう。しかし僕にとってこれは、己を長らく苦しめた悪魔からの問いかけでした。
僕は『My Eyes Tokyo』というインタビューメディアを運営しています。2006年10月に立ち上げたので、今年で15年。時の経つ速さと僕の成長の遅さに背筋が震える思いですが、これまで世界5大陸から来た人々に、恐らく1,000人近く出会ってきたと思います。
このメディアの立ち上げの経緯や、今後目指していきたいことなどについては、シンガポールに本拠を置くベンチャー関連メディア『Tech In Asia』に掲載されているので、お目通しいただけたら嬉しいです。
"In homogenous Japan, this bilingual blog shines a light on Tokyo’s foreign residents" (2016.1.30)
この記事のタイトルを日本語に訳すと「ほぼ単一民族国家である日本で、東京に居住し活躍する外国人にスポットライトを当てるバイリンガルブログ」となりますが、「日本を海外に伝える」「コンテンツは、自分が最もやりたかったインタビューを中心とする」ということ以外、崇高な目標は一切持ち合わせていませんでした。当時隆盛を極めていたSNS「mixi」を通じて1人目のインタビュイーであるオランダ人のバックパッカーに出会い、それ以降は僕の友人や、紹介を通じて出会った人、雑誌などのメディアで見つけた人に、若かった僕は積極果敢にインタビューしていきました。
初代『My Eyes Tokyo』。Macbookにインストールされていた「iWeb」というソフトを使って自作した素人感満載サイト(汗)
立ち上げ当時は海外に向けた発信しか考えておらず、言語は英語のみ。そのため日本語を話せる人とも敢えて英語でインタビューしていたほどです。しかし当時の職場の同僚から「読んでみたいけど、英語だと取っつきにくい」と言われたのをきっかけに、2007年頃に日本語版をローンチ。以来、基本的に各インタビューを日本語と英語で発信しています。
2007年頃の『My Eyes Tokyo』。ブログ感覚で見映えの良いウェブサイトが作れるという触れ込みの「Bind For Weblife」というソフトを、吉祥寺のヨドバシカメラで購入し自作。
ただ、このあたりで悩みました。インタビューがメインコンテンツでは、更新頻度に限界がある。しかも日本語と英語でなんて・・・当時はサイトにアクセスカウンターをつけていましたが、訪問者数が1日に1桁台というのも珍しくありませんでした。
僕は激しく後悔しました。「インタビューというコンテンツがウェブサイト(当時はオンラインメディアという言葉は無かったと思います)に載っているのはよくあるが、インタビューだけがコンテンツというのはほとんど例が無いのではないか?」。しかし僕自身が何かデイリーで発信できるネタを持っているわけではなかったし、また複数のインタビュアー&ライターさんに取材や執筆をお願いしたいのはやまやま、でも資金が無いため断念。自分でインタビューを続けることにしました。
東日本大震災をきっかけにプロのウェブデザイナーさんに出会い、サイトを大幅リニューアル。
時を経て、2010年にアメリカで『Humans of New York』という、ニューヨークに住む人々のポートレートと短いインタビューを載せたオンラインメディアが生まれ、また2015年頃には日本でもインタビューのみ掲載するオンラインメディアが登場しました。「ようやく”インタビューメディア”の時代が来たか」と思いつつ、スプーン1本でトンネルを掘るような要領の悪さしか持ち合わせていなかった僕は、事業として勢い良く伸びていく彼らを指をくわえて眺めるしかない状況。「悔しいな・・・」と思っていたところへ、ある日Twitter経由で「取材をさせていただけませんか?」というご依頼を、Tech In Asiaの東京支局ライターの方よりいただきました。
「これで俺の人生が変わる!」とすら思いました。そして記事がリリースされた瞬間、サイト閲覧者数はかつてないほど爆増!
・・・しかし1~2日で元に戻り、またいつもの平穏な日常に戻っていったのです。
あれから約5年。僕やメディア自体に大きな変化はありません。ただ昨年、会社立ち上げとほぼ同時期に出会った起業メンターとの、幾度となく繰り返してきた1on1を通じ、インタビューおよび記事制作の目的を”拡散”から”深堀”へとシフト。「深い対話を通じたブランディング」を事業としていくことを決めました。
「My Eyes Tokyo合同会社」サイト 事業紹介ページ
その人の人生における転機や、その人が採ってきた選択肢に対し執拗なまでに「なぜ?」を問いかけ、浮かび上がる共通項を基にその人が本当に取り組みたいことを導き出し、心から歩みたい道を共に描く。それらを”見える化”するものとして記事を作り、クライアントさんにプレゼントするという流れです。
いかに多くの人にコンテンツを届けるか。それももちろん大事ですが、僕はインタビューを通じて「いかにその人の真の魅力を引き出し、ストーリーに落とし込むか」に挑戦したいと考えています。