トランスジェンダー(女→男)である私の自分史

20歳の時に私はトランスジェンダー として生きていくと決めました。

今27歳になった私がこの記事を書き始めたきっかけは、人生に壁が多すぎるのに先人たちの情報が身近になく、次々と訪れる新しい壁に対しての乗り越え方に悩んでいた過去があるからです。

もっと同じ境遇の人たちが居るはずなのに、なぜこんなに欲しい情報がないのか、、それはやはりセクシャルマイノリティーであることを発信することが当事者たちにとってリスクが大きく且つ、ニーズがあってもその声も届いていなかったからではないかと思います。

なので、私自身がたった27年ではありますが乗り越えてきた分岐点やこれから乗り越えたいと思っている壁について記事で発信して行こうと思います。

まずは自己紹介としての自分史です。

▪️私のプロフィール

・27歳

・生物学上、女性で生まれ性自認は男性

・3人兄弟の末っ子

・2021/01 にパートナーと結婚

・障害者専門の人材紹介会社で営業とカウンセラー

・どうせ死ぬなら社会の役に立って、満足して死にたいと思っている

■幼少期

ここから私の自分史についてです。

初めて性別に違和感を持ったのは5歳の時、幼稚園の先生(女)が好きになった。その時に「なんか周りと違う気がする。これは言っちゃいけない事だ...」と思って隠していた。この頃から自分と周りとの違いを意識するようになった。

幼少期は隣に従兄弟が3人住んでたからよく野球や、兄貴とサッカーばかりやっていた。スポーツが大好きでバスケットボール選手になるのが夢だった。小学校高学年になるまで男友達しかいなくて、男の子っぽい女の子ってよく言われていた。

■中学時代

中学生の時に初めて制服を着ることになってスカートとリボンを身に着けていた。当時は周りから、「自分が男としての気持ちを持っている」「女の子が好き」ということがバレるんじゃないかと恐怖していたこともあって、周囲の女の子の真似をしてスカートを短くしたり、化粧を覚えたり、可愛いというものはこういうものだ!と覚えたり結構努力していた。髪の毛も伸ばして縮毛強制したり…。

■高校時代

そのまま高校生になっても女の子を継続して、男性を好きになるために適当に好きな人を作って周りの恋ばなに合わせていた。

洋服はワンピースとか、鞄はわざとピンクのものにしたり、専門科目も家庭科系を選んだり。。

好きな人も作らずにどうしたら男を好きなれるのか、女の子としての感情が芽生えるのか必死に「普通にならなきゃ」と努力していた。

■大学時代

でもそんな生活も19歳の誕生日が来た時に限界が来た。

「来年20歳か、成人するんだな。そしたらあと60年くらい生きるのか...。」そう思った時にとてもじゃないけどこのまま生きられない…。なんのために産まれてきたんだろうと思って絶望した。

それでも、今の大学生活もこれまでの友達も家族も、みんな自分を「女の子」だと思っているのに、今更「男」としてこの社会で生きていけるのか...。いや無理だろう...。そんな思いがぐるぐる頭の中を回っていて、気づいたら2か月も部屋から出られなくなっていた。

そのまま引きこもり生活をして、その間に自殺を何度も考えた。でも怖くて死にきれなかった。そんなことを繰り返していたら、ふと、「どうせ死ぬなら、誰か1人に言ってみようかな...。それでダメだったら死ねばいいか。」そう思って夜中に親友を呼び出して、言葉になってない感じで泣きながら自分のこれまでを話してみた。

すると親友は「なんだそんなことか、そんな深刻に話すから余命でもあるのかと思って、心配したよ。あなたはあなただから、これまでとも何も変わらないよ。」そう言ってくれた。

自分には20年近く隠してきたことが、こんなにあっさり受け入れられるのかと驚きと安堵でしかなかった。この日から世界が180度変わって、家族や友人たちに本当の自分の話をし始めた。誰か1人でも味方がいるとこんなに強くなれるんだと初めて知った。ここから私の男性としての人生が始まった。

それからはメンズの服を着て好きな髪型ができるだけで幸せだった。男として社会から認識されるのはやっと自分の居場所ができた感覚だった。本当の人生がスタートしたと思った。

とはいえ、最初は男性コミュニティで話を合わせるのが大変だった。下ネタが何でそんな面白いのかわからなくて、笑いのツボが違う感覚が当時はあった。(慣れの問題だったけど)

あと大体、トイレの個室が空いてなくてしんどい。男性トイレに音姫(流水音が流れるやつ)が付いてなくてびっくりした。

他には外見が女性の時とは違って、電車に乗るとおっさんの距離が遠くなった(男だと近寄らないけど、女性の時は距離が近い人が時々いた。たまたまかもだけど)

就活が始まったときは、履歴書の戸籍をどうするか迷って嘘をついて男性に○をつけていたけど、やっぱり過去の掘り下げで誤魔化すことが続いてうまく自分のことを話せなかった。

そのまま面接は落ち続けたけど、カミングアウトをして就活するようにしてみたら、意外と面接で受かるようになることが増えた。

一部の会社では本来の自分を開示することを評価してもらえることも増えて、いまの会社ではトランスジェンダーということに対してなんの懸念もなく内定をもらえることができた。

■社会人時代

入社後は全社員に自分からカミングアウトをして本来の自分で仕事をしている。私にとってはそれが心理的な安全性が高く居心地がよかった。

もちろん、理解のない人から精神疾患扱いされることもあったけど、理解のある人が一部でもいてくれるだけで居心地はよくて今では私のことを理解してくれる人がほとんどだ。

社会人も5年目に差し掛かって、今一度働き方を考えたときに自分のこれまでの経験を発信して、いまマイノリティーであることに悩んでいる人達の役に立ちたいと思うようになった。

次回はメンタルクリニックに初めていって、診断書をもらいホルモン注射をしたときのエピソードやメンタルクリニックの選び方などを発信しようと思います。


拙い文章ながら、ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます!

ぜひ感想や質問、取り上げてほしいテーマなどあればコメントをいただけたらと思います!


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