おっぱいはサイズではない、という説明のための「おっぱいボタン理論」。
なんというか、男はみんなおっぱいが好きである。
というか、なんなら女性もおっぱいは好きだろ?と思っている。人類は母なるものも、丸くてフワフワしたものもだいたい好きである。だからローソンのスイーツもだいたい好きなのであろう?そういうものである。反論は認めない。
であるからにして、つまり全人類はおっぱいが好きである。谷間があれば見てしまうしそこにグランドキャニオンがあればもちろん見てしまう。街中で見かけるグランドキャニオンてなんだ?と思うが、とにかく谷か間かわからんが谷間は見てしまうものである。全人類が。
にも関わらず。
人類の”オンナ”を中心に「どうせ巨乳が好きなんでしょ」とか言いやがる。それに対して男は「いや、サイズは関係ないんだよ」と言う。だがオンナはそんな話は聞かない。いや、聞いているのだけど「どうせお世辞とか、取り繕って言ってるんでしょ」と捉える。
大変由々しき問題である。
何なら、男でさえも「おっぱいはサイズではない」と口では言いながらも「やっぱり巨乳だよなぁ」と思ってたりする。
バカか。アホか。自分にもっと向き合えオトコよ。自分と対話を重ね、自分を見つけるのです。本当の自分は、おっぱいのサイズに関わらず、好きだったのだと。
そう、全人類における全女性は自信を持つべきなのです。貧乳だろうが巨乳だろうが、もしあなたが裸で歩いていたら、全てのオトコと書いて全男が見るのであるます。
大きさの問題ではないのです。そんなのは、もう、おっぱいが裸=キノママに陳列されていたら、男は見てしまうし、とてもありがたいのです。だから、小さいからと自尊心を失うことはないのです。
と、いうことが、まったく伝わらないなかで、ワタクシが編み出した理論が「おっぱいボタン理論」なのであります。
ボタン、ありますね?
たとえばゲームセンターや、UFOキャッチャーでもいい。親指や人差し指を置いてカシャカシャしながら、ボタンを押しますね?
では、どうでしょう。
あなたが行った居酒屋に、注文のタブレットとは別に、何かボタンがあったとしたら。
押してみたくなりますね?
そう、我々人類は、ボタンを押したくなるようにできているのです。何もなくても、いや、何も起きなくても、出っ張っているモノを見ると、押したくなるのですよ。
「おっぱい」もそれと一緒なのです。
そこにおっぱいがあると、触りたくなる。
じゃあ、なぜ巨乳がもてはやされるのか?
それは、「そこに、おっぱいがあるよ」というアピールが強いから。
ボタンで考えてみましょう。
ものっすごく大きなボタンは、見つけやすいですね。「ここにボタンがあるよ!」と強くアピールしているわけです。そしたら「おお、ボタンや」「そこにボタンがあるやな」「押したい・・・」となるのが自然。
だけど、じゃあ「大きなボタンが好きか」と問われれば、多くのビジネスパーソンは否定するはずです(ビジネスパーソンである必要もないが)。
だって、小さなボタンだっていいもん。大きなボタンはおそらく掌全体で押すのでしょう。でも、人差し指で「ポチッとな」と押すボタンも良いはずです。
そう、サイズは関係ないのです。
男は、だいたいぜんぶのおっぱいが好きなのです。
巨乳に反応してしまうのは、「ここにおっぱいがあるよ!」というアピールが強いからなのです。貧にゅ・・・いいえ、慎ましやかなバストに反応しないのは「ここにおっぱいがあるよ」のアピールが弱いからなのです。見つけられないのです。ゆえに、べつに巨乳じゃなくても「ここにおっぱいがあるよ!」というのがわかれば、だいたいの男は見るのです。
その証拠に、「ニットのタートルネック」は男性に大人気です。たとえそこにあるおっぱいが慎ましやかなサイズだとしても、あれだけぴっちりボディラインを見せつけられて、「おっぱい、ここにあるよ!」と出されると、それはもう世の男は
「(゚∀゚)o彡゜おっぱい!おっぱい!」
となるのです。
当たり前でしょう?
そこにおっぱいがあるのだから。
いま一度、問いましょう。
あなたは、やっぱりボタンがあると押してみたくなる。
そこに、サイズは関係ありますか?
たしかに、ガンダムみたいなサイズのボタンがあったら、うおおおおおおってなります。
でもじゃあ、慎ましやかな、人差し指で押せるボタン、ダメですか?
それはそれでいい。
なんなら、超良いですよね?
それはそれで、ポチッと押してみたくなりますよね?
さて、「ボタン」と「おっぱい」を置きかえてみてください。
あなたは、そんなに大きなおっぱい”だけ”が好きですか?