◯◯街道まっしぐら
いやほんとこのネタ好きすぎるし見た目がもはや知らない人なんだが面白くて面白くて仕方ない
好きなネタを共有したいnoteじゃないけど、タイトル的に悪口っぽく見えなくもないかなと思ったので、違うよという意味も込めて布教をひとつ。
当方大学卒業して新卒ホヤホヤ(の世代なだけ)な、まだ一応20代前半。なのに、この通りである。
若くしてもう老害なんですけどーーーーー!!
深刻すぎて、つい私もこの漫才中の出井さんのツッコミが出てしまうほどには、最近老害になったなあと感じている。
20代前半社会人成り立てなら、それを「大人になったなあ」とか「社会人らしくなったなあ」って言うんじゃないの?って慰めてくれる優しい人がどこかにいたとしても、それには即否定をして首を振る。
老害なんです。自覚があります。
なのに、これも老害の特徴かもしれないけど、「自覚と自我だったら自我が勝つから!(©︎ウエストランド井口)」状態なのです。直さなきゃとは思いつつ、直す努力を一個もしてない。
なので、ここに文字に起こせば自分をもうちょっと客観視できるかもしれないから、書いておきます。
とはいえ、「老害」とは言いつつも、老いることは何も悪くない。老いることで変わる価値観や出会えるものもある。そう信じて歳を取ろうとしている。
だけど、「害」なんて単語がつくってことは、老いたことで生じる欠点やデメリットが必ずあるのだ。
所詮日記だし、「こんな奴は若き老害だ!」という啓蒙noteじゃないから、良いも悪いも書いておこう。良いことが追い越せばいいはなしだもんね。
①食べ物の好き嫌い、マジで減る
これは本当にそう。凄く嬉しい。
なんか、最近別に何も怖くないんですよ……。
何もというと語弊があるし、この言葉だけ聞くとイキった厨二病なんですけど、「え? これ美味しいか分からないな……どんなのが入ってるか分からないしやめとくか……」みたいな、ビビる気持ちが無くなってきて、「あーー食べたことないけど食えるやろ」の思考が勝ちます。
なので、ご飯屋さんで冒険をするのも全く怖くないです。冒険に失敗しても、「でも別のあれは美味そうだったな」とか「これがこんな感じだったら次はいいかな〜」とか、なんか次に繋げようとする思考が巡る。これが成功しようもんなら、半日はゴキゲン。
最近で言うと、苦手だった牡蠣を10年ぶりに食べたらめちゃくちゃ美味くて好物になりました🦪あとはおいなりさんも好きになった。ラザニア食べたこと無かったけど、食べてみたらやっぱめちゃくちゃ美味しかった。塩もつ煮って何?!もつ煮って言ったらあの真っ茶色の汁で食べるもんじゃないの?!って思って食べてみた(もう老害じゃん)塩もつ煮、めちゃくちゃ好きだった。
あとは私は生卵、ゆで卵、温泉卵、半熟卵と卵ピン芸(?)の食べ方が嫌いなのですが、卵の乗った松屋のうまトマチキンは躊躇わずに頼んじゃって、美味しかった。発見〜
②一人◯◯、マジで楽しい
素晴らしい。この境地に行き着けた自分は強い。
これに関しては、別にnoteで書きたいくらいなので簡単に書くが、もうご飯とかお出かけとか、基本一人でいい。できる。寧ろ人がいる時の方がダルい時が週5くらいである。
周りに人がいないと、「え〜、メニューどうしようかな……」が逆に無くなるんですよ。私の場合ですが。
こんなに食べるんだ……と思われたくないし、食べる時に食べ方に自信が無いもの(焼き鳥・手羽先、焼き魚とか)は選びにくいし、食べたいけどこれ普通ならシェアして食べるんだろうから一人で食べてたら何故かケチて思われるんだろな……とか考えなくていいんだもん。楽すぎ。
つまりは時短、効率アップ、いつもよりも飯が美味い。
食べ合わせ? 好きにさせぇや。
サイゼリヤでピザワンホール一人で食べたくない?居酒屋で焼き鳥をシェアするものと考えて頼みたくなくない?美味しかったものリピしたくならない?
好きな飯だけ食べて好きなだけ腹を満たしてえんですよ私は。
ただこれを言うと「友達いない強がりだ」と言われることがあります。
うるせえ、親ペリか。(©︎出井さんThreads)
人と食う飯だって美味いよ……何言ってんだよ……オレはこんなこと言うやつと飯に行きたくないだけだよ……。
個人的にはお笑い好きな人と食う飯飲む酒はサイコーーーに美味しいから大好きだよ👊🏻👊🏻👊🏻👊🏻👊🏻👊🏻👊🏻👊🏻👊🏻👊🏻👊🏻この前大好きフォロワーとご飯を食べて、「今まで聞いた中でド肝を抜いたコンビ名対決」なるものをしてとても楽しかった スクランブルハネムーンが強かった
③人に話しかけることが怖くない
これ最近ほんと顕著。人といっても、全人類ではないのがさらに老害ぽいが。
簡単に言うと人見知りがなくなったというよりは人見知りの「形が変化」しただけで、 人見知りが根本にあるのだが、それにしても最近はちゃんと会話ができる。
職場の人間と距離感が永遠に埋まっていないが、世間話やお仕事の話をされて適当に繋げたり反応することも覚えた。
一番この話で顕著な例は、買い物した際の店員さん。
おそらく多くの人見知りの方が苦手であろう店員さんとの会話を、最近は自分からしてしまう。
服屋で値札が色々あって本当の値段分かんなくったりしたら、「すいません、これ結局どっちが正しいです?」とかって聞けるようになったし、ご飯屋さんで「ちなみに焼き鳥オススメ5種って今日何と何が入ってます?」とか、「この◯◯ってどういうやつなんですか?」とか、マジ余裕。
しかも携帯とか保険の会社さんの営業をぶった斬る力も身についた。「その機能使うことないんで付けないで下さい」「一番安いプランにして欲しいんだすが」「その保険は必要ないのでいりません」と言えるようになった。「え、例えば◯◯の場合だと××ってことですか?」みたいに、なんか一丁前に具体例なんか出して、有意義な会話をしようとする。何も怖くない。
唯一嫌いなのは銀行です。楽しくない。
④ストレスの沸点が下がる
顕著で困っている。昔なら怒らなかったことに怒る。とーーーーーってもいい言い方をすれば視野が広がったかな。うん……いや、そんなんじゃ片付かない。マジでイライラするが、イライラしてる自分にもイライラする。いつまでもヤーレンズを引き合いに出して申し訳ないが、出井さんがThreadsでフライドポテトへの苦言を呈するスピードと同じくらいのスピードで怒ったり嘆いたりいらんことを心配したりする。
ただ、イライラって悪いことだけど、もうちょい昔は同じ事象に出くわした時、病んでいた。病むよりまず、怒りが来るようになった。
これは怒りを人にぶつけたり不機嫌オーラで人間に当たり散らかしたりしなければ、成長じゃないかなと、自分に甘い思考で捉えている。
なぜなら病んでた時は、小さいことで死にたくなり、何も手につかなくなり、落ち込んでいたものの、今では心の中で「もー嫌!知らない!」とカナメストーン零士さんばりにプンプンしつつも、身体が動き頭が働いている。怒ってはいるけど。
就活鬱で死んでいた時、「私なんかを雇いたい会社なんかいないよ……」「こんなのもできない人間が働けるわけないよ……」と常に項垂れていたものの、今やすっかり老害ジュニア。
実際に就職し、パワハラちっくなことをされ、またも鬱で死ぬかも……と思ったら、「誰に何やってくれとんねん💢」と怒りで奮い立ち、身体に限界が来たその日に会社を辞めることを決めることに成功し、その日から怒りのパワーで転職活動へ進むことが出来た。
怒りはパワー。これはほんとにそう。
怒りと聞くと、青色1号の「怒り」のコントめっちゃ面白かったな……見たことある青色1号のネタの中でもかなり好きだった……。
あとめちゃくちゃ小さい、それこそ出井さんの言うフライドポテトや村田さんが言う「車持ってないヤツ、ボトルガム買うな!」みたいな思想が沢山増えてしまった。そうなんだよな、誰か特定の人間にキレたり怒ったりはほとんどなくて、世の中に蔓延る「概念」に怒ったりしてるんだよな。だから多分私はラジオの虎の出井八先生回が好きなんだと思う。「牛丼をスプーンで食べる女性」や「蒙古タンメンに並ぶ人間」への思想、涙出るほど笑った。小さい子供が編み込みやドレッドなどをしていると心が痛くなるのはマジで昔からそう。
ドーナツから覗きこむ、ポポロやPOTATOよろしくのポーズを一般人がやっていると意気消沈します。
読んだ本や小説の感想ではなく表紙の写真をなんか洒落た背景で撮ってインスタに載せる人間、お前本当に読んでるのは本なのでしょうか。「こんな本を読んでるんだ!」と思われたいだけではないのでね?と思って、胸焼けします。分厚い人生の指南書みたいな洒落た本読んでその本の上にネイルの手を乗せるなよ。聖書読め聖書
この熱量で怒ってる話がごまんとある。だから、私はとんかつ街道のGERANEXTの「車持ってないヤツ、ボトルガム買うなのコーナー」が未来永劫続いて欲しいから、とんかつ街道をレギュラーにしないといけない 300枚ブッパしました
人にお節介をやきたくなるというか、心配したくなるのも老害故なのかな。
最近駅で、高校名がでっかくプリントされたリュックサックに恐らく下の名前であろうひらがなのプレートだか手縫いの何かしらを付けている高校生を見た。たぶん部活でみんなと買ってるリュックサックなんだろうし、名前のプレートもお友達とお揃いなんだろうけど、個人情報筒抜けすぎて大丈夫かな?と心配になっている。思い出をとるのか個人情報をとるのか
─────やばいな!振り返るとヤベーな!老害だな!こういうのを書いて載せる自我が一番、そういうとこ〜!なんだろな 若返りできますように
まあ、病むよりマシだし、人に迷惑かけなきゃいいよ
みんなの小さいヘイト思想エピソード教えてくれ!!!!