【その他】番外:死生観の変化(センシティブな内容です)
がんばらないひと、とことこてーです。
以前の記事は自己紹介記事を参照下さい。
予定外で作った記事を投稿します。
昨晩、フォロワーさんの記事を眺めていたところ
arikaさんの記事が目に留まりました。
※かなりセンシティブな内容の為、リンク先の
始めに記載の内容を読んでから先に進むか
判断することをお勧めします。
結論から言うと、衝撃を受けました。
そして、父とのエピソードを思い出し
自分の死生観を改めて見つめ直したく
なりました。
【もともとの死生観】
以前記事にしましたが、自分は「自ら死を選ぶ」
ことは知的動物である人間にしかできない、
欠陥であると考えています。
他の動物はどんな状況でも本能的に「生きよう」とするからです。
そのことから、命を自ら断つのは理由に関係なく否定的に考えていました。
安楽死も含めて。
ただ、人工心肺などをつないでまで延命させるのは
人間のエゴだと考えていました。
【父の自殺未遂と死】
自分が大学院生の頃、父が失踪したことが
ありました。
原因は隠れてしていた借金がどうにもならなく
なったこと。
そんな原因をつゆ知らず、心配していたある夜
アルバイト帰りの妹を車で迎えに行く道中で
父を見つけたのです。
「帰ろう」と声をかけたものの、「いいから!」
と拒絶。そのまま去って行ったのです。
ショックでした。
裏切られた気持ちでした。
追いかける気持ちにならず、妹を迎えに行き
その日は帰りました。
数日後、父は帰ってきました。
死にきれなかったと。
ただただ、情けなく思いました。
命は尊いものです。
それを自ら絶とうとした。
愛する、愛される存在がいっぱいいることを
わかっていながら。
自分勝手の限りを尽くしやがって。
初めて身近な人が死んでもいいと思いました。
結局、当座を祖父母が工面し、債務整理
した上で借金問題は解決したものの、両親は離婚。
父が危篤になるまで会うことはほとんど
なかったのです。
危篤の報を受けて会いに行ったとき。
苦しむ父の顔を見て、死んでもいいと思った
考えを改めました。
生きてほしい。
命を取りとめてほしい。
主治医の先生の説明を聞いてそれは絶望に
変わったのです。
その数日後、父は旅立ちました。
【記事を読んでの死生観変化】
今でも基本的には「自ら命を絶つ」という選択は
取るべきでない悲しいものだと思っています。
ただ、arikaさんの記事を読んで、「それが正しい」
という考えは揺らいでいます。
死を考えたくなるほど苦痛な治療を受けて
命が繋がるのかもわからない人。
愛する家族に相当の負担をかけてまで
命を繋ぐことに疑問を感じる人。
脳死など自分の意思を持てずに
生命維持装置で生かされている人。
必ずしも生き続けなければならないのか?
日本には安楽死という制度がありません。
自ら命を絶つか、
手の施しようがなくなった時点で、
一か八かで延命させるかどうかを
医師にお願いするしかないのです。
自ら命を絶つという結末は悲しいことでは
あるけれど、知能動物であるが故の
例外もあるのだろう。
それが今の考えです。
ですが、おせっかいなので、記事で困っていると
感じたら今まで通りコメントすると思います。
昨晩はこのことが頭から離れず、今朝から
不調ですが、いい機会だったと思います。
(うつ病患者のやっちゃいけない寝不足です)
最後に。
自分は特定の宗教を信仰しているわけでもなく
考えを押し付けるつもりも一切ありません。
記事にすることで考えの整理をしたかった
だけです。
お読みいただいた方がどう考えるかは
わかりませんが、その考えはそれぞれの
価値観に基づいた、尊重されるものだと思います。
(極端な差別、選民思考はいかがなものかと
思いますが)
本記事を読んでいただき、感謝申し上げます。