突然ですが、わたしの名前は「有未(ゆみ)」と言います。 両親につけられた名前ではありますが、おじいちゃんが熱望した名前だそうです。 そこには時代ながらのかなしい背景があり、それ故に母は猛反対し、はじめに候補となっていた「ゆみこ」から「こ」をとって私の名前は「ゆみ」となったそう。 それは祖父母がまだ若く、私の父が生まれる前のこと。父の前には女の子がいたそうです。 子育てのために嫁が休むなんてことは農家にとって許されず、乳飲み子を田や畑の畦道に置き、農作業をしていた時代。 そ
おじいちゃんは寡黙な人だった。 補聴器をつけていたので耳がよく聞こえなかったのだろう、と今大人になってようやくわかる。 父がよく言っていた。 「おじいちゃんは厳しくて、とてもこわい人だった」と。 父の転勤で日本中を転々とする幼少期に夏休みとたまの冬休み、その地から遠い鹿児島に必ず帰っていたことから、幼いながらも、そこはとても大切な場所なのだと知っていた。 小学校に入ってからは通知表を持っていかねばならず、兄とお仏壇の前で正座し親族へのご挨拶を済ませると、通知表がお仏壇
わたしにとって、「西郷梅」である理由。 「ここから」 まずはこれから行動に移していくために 具体的に、一歩ずつ。 何が問題なの? 何を伝えたいの? 誰に届けたいの? どこがゴールなの? 色々考える頭は、ただただ理想を旅する。 問題① 認知度が低く、安く買い叩かれるため、手間ひまかけて育てているけれど微々たる収入にしかならない 問題② 重労働だけれど収入にならない→後継者がいない 問題③ 完熟梅はその熟度ゆえに収穫から日持ちしない(でも食感も香りも格
これまでも梅について何か自分にできることはないか、ってずっとずっと考えてきた。 物心ついた時から鹿児島のおじいちゃんおばあちゃんのお手伝いで梅拾い。。。いや、お手伝いなんて可愛いもんじゃない。 それはもう過酷で修行?鍛錬?もはや、罰ゲームじゃないかと思うほどの肉体労働で、この時代にこんな効率の悪い仕事はあるのかと疑問しか出てこなかった。 毎年6月初旬から収穫時期の1カ月、毎朝毎夕梅拾い。完熟梅のみを取り扱う西郷梅は、傷が付かないように、除草していない草の上にネットを張り
今日から、“ここから”はじめる西郷梅。 私の物語を届けたい。 さつま町に暮らす梅農家の想いを届けたい。 そして今は亡きおじいちゃんの想いを届けたい。 “ここから”始まる梅プロジェクト。 多くの人と繋がって西郷梅の“これから”を創っていきたい。 まずは知ってもらうことから。 応援してくれる仲間や家族や繋がっている人たち、 そしてこれから繋がっていく人たちの幸せが梅の活動を通して膨らみますように。