遠い日本から異国の地アラブの料理に寄せる「憧れとリアル」2皿、+α。
まえがきののうがき
こちらのマガジンをいつもわくわくしながら読ませていただいているので、わたしも僭越ながら参戦させていただきたいと思います。と言っても、わたしは実はアラブ諸国はおろか外国に行ったこともなく、アラブ料理を実際に食べたこともありません。ではどこに接点があったのかというと、アラブ人であった彼氏の記憶と語りの中なのです。
というかもう別れたのでいつまでも彼氏でもないし、かといって「元カレ」と呼ぶのも何となく違和感があるので、ここからは「マイ・エクス」と呼ぶことにしましょうか。my ex はこれもまた彼に習った、英語で言うところの「元カレ」あるいは「元カノ」。発音次第で、凄くイヤなニュアンスも出せるそうです。
エクスと付き合う前から、主に本を読むことによってアラブ世界の幾つかのお菓子に憧れを抱いていたのですが、その想像の中のお菓子が、彼の語りによって突然霧の中から姿を現しリアルなものとなった、驚きと衝撃の経験を綴りたいと思います。
【マイ・エクスのスペック】
1965年イスラエル生まれのパレスティナ・アラブ人。ママはイスラエル生まれの生粋のアラブ人、パパはイタリアの血を引く人だったとか。政情不安により幼少時に一家でヨルダンに脱出、ハイスクールまでヨルダンで過ごす。パレスティナ人は当時ソ連の大学に進学すれば、ソ連国費により学費がタダだったそうだが、そんなタダより怖いものはないので、学生ローンを利用してアメリカの大学へ進学、就職する。最初の奥さん(アメリカ留学中の日本人)の小ささと可愛さにビビビと来て結婚。優柔不断のツケで思いもよらず来日、その後離婚と再婚と離婚を重ね、ひょんなことからトーコと付き合ってまた別れた。
【トーコのスペック】
1973年生まれの日本人。大学では文化人類学を専攻したのに、なぜか外国へ渡航するチャンスをことごとく逃しまくり、今に至るまで日本を出た経験なし。ひょんなことからマイ・エクスと付き合うことになる。エクスは英語名風のニックネームを名乗っていたので、初めて家に行って薬袋に書かれたアラブ名の本名を見た時、てっきり偽名で騙されたと思った。
憧れとリアル①ハルクーム
英語名は Turkish delight ターキッシュ・ディライト「トルコの悦び」。トルコ語だと lokum 、アラビア語の halqum(喉の満足)が語源だとか。
わたしがこのお菓子を初めて知ったのは、小学校4年生、C.S.ルイス「ナルニア国物語」第1巻「ライオンと魔女」を読んだ時に遡ります。ペペンシー四きょうだいのひとりエドマンドが、白い魔女に篭絡される時に食べるお菓子です。このお菓子には魔法がかかっていて、そのためにエドマンドは心を奪われてしまって、白い魔女に取り込まれてしまう羽目になるのですが、日本語訳では「プリン」となっている。訳者の瀬田貞二さんのあとがきによりますと、「ターキッシュ・ディライトというお菓子はなじみがないので、ことさらに違うプリンに移し替えた」ということです。
ターキッシュ・ディライト、長いこと憧憬の彼方にある夢のお菓子としてわたしの心の中に存在しておりまして、だって、ファンタジーの世界の中の、日本語訳しても読者には分かりかねると訳者が判断した、さらにまたファンタジーなお菓子な訳じゃないですか。すごく、エキゾチックですよね。わたしの想像の中では、ぼんやりとエッグタルトのようなお菓子として浮かんでおりました。やっぱり、エドマンドが立ったまま歩きながら食える形状と大きさだとタルトくらいで、エッグはプリンからの連想ですかね。
ところがマイ・エクスの家で一緒に過ごしていたある夜、彼が「僕の大好物のお菓子でできることなら個人輸入したい」的な感じに、ネットの海外通販サイトをわたしに見せた訳ですよ。え、ちょっと待って、Turkish delight って、あのターキッシュ・ディライト?あの、「ライオンと魔女」に出てくる、ファンタジーの中のファンタジーの、あのお菓子!?マジですか、本の中でしか知らなくて、しかもその本の中でも正体が不明だった夢の彼方のお菓子が、この隣にいる彼の好物。その落差よ。
いきなり現実のものになったターキッシュ・ディライトは、エッグタルトとは似ても似つかない見た目。なんか半透明でぶにゅぶにゅして白い粉に包まれていて、断面にはナッツやドライフルーツの刻みがはみ出ている。彼が説明することには「多分、スターチとお水とナッツを混ぜて、この白いのはお砂糖」。あまりにも想像と違い過ぎて、味が全然想像つかない。
愕然としていると、マイ・エクスが言うのです「あ、あれあれ、あれに似てる。ゆべし」。え!?ゆべし!?ゆべしですか!?あの、道の駅とか駅のお土産店とかで売ってる、くるみとか胡麻とか入った、ニッポンの伝統銘菓ゆべしですかね!?
わたしは、ゆべしは今ひとつ、好物とは言えません。エドマンド、あなたは本当に、この食うとにちゃにちゃ歯にくっつくゆべしに心奪われて、きょうだいを裏切るまでに至ったのですか。そんなに魅惑のお菓子だったのですか。ちょっと心がしぼみました。
憧れとリアル②クナファ
クナファも憧れのお菓子だったのですよ。こちらは大学時代にきちんと通しで読んだ、マルドリュス版「千一夜物語」に頻出するお菓子です。中でもクナファがメインモチーフとして前面に出てくるお話は、第959-971夜「はちみつ入りの乱れ髪菓子と靴直しの災いをまきちらす女房との物語」。因業な妻を持つ男がクナファをきっかけに出奔して、しまいにはお姫様と結婚する物語ですが、こんな感じ。
・・・そして菓子屋は、糸素麵(クナファ)菓子がバターと蜜のなかに浮いている大きな皿から、たしかに五オンス以上はある大きな片を切り取って、それをマアルフに渡して、申しました、「この乱れ髪の糸素麵菓子は、王様のお盆にのせて出しても恥ずかしくないお菓子だよ。しかし、断っておかなければならないけど、これには、蜂蜜でなくて、砂糖黍の蜜で甘味がつけてあるんだよ。そうしたほうが、ずっと味がよくなるからね。」・・・
(豊島与志雄ら訳「完訳千一夜物語」岩波書店1966年)
「糸素麵」ですよ!どういうお菓子なのか、文字で表現された情報から察するに、小麦粉を練って細く紐状にしたものをお砂糖とかはちみつで甘味をつけたつゆに浸したもの。やばい、うまそう。わたしは、うちの方の郷土料理「小豆はっとう」の類似品だと理解しました。これです。
ひょっとして、小豆はっとうの方に衝撃を受ける方もいらっしゃるかもしれませんが。小豆はっとうはだいたい盆に作る料理なのですが、わたしはこれが好物で、一人で小鍋一杯くらいは食えます。あと、上に引用させていただいたツイート、「聞き書き 青森の食事」によればあらかじめはっとうを茹でておくみたいですが、うちでは手打ちの生のはっとうをそのまま小豆汁にぶちこんで煮ます。さらに、わたしは薄めのさらさらした小豆汁の方が好みです。
ところがこれもですね、マイ・エクスと花火大会に行った際に、彼がふと言うのですよ、ママがクナファをよく作ってくれて好物だったが、国を出たらなかなか食べる機会がない、寂しい、と。え、ちょっと待って、クナファ!?あの、糸素麵のクナファ!?もう羨ましすぎかよ。
彼に製法を詳しく聞くと、ヌードルを甘いシロップに浸してその上にチーズをたっぷり載せ、砕いたピスタチオナッツを振りかけて、オーブンに入れて焼く、とのこと。いやあ、小豆はっとうと全然違いましたね!後でネットで画像検索してみても、まったく別物でしたね。どおりでね、前述物語中のマアルフが、猛妻の地面に投げつけたクナファを拾って整えて食べるというくだりがあるんだよね。汁物は地面に投げつけたらもう、食えないからね!
しかし、クナファについてはリアルなものとなっても、心はしぼみません。小豆はっとうでないことは分かりましたが、それでも甘い麺好きのわたし、クナファは機会があったら是非食べてみたいと思っています。
おまけ①:パン
マイ・エクスが子供の頃の思い出として、よくパンのことを語っていたのですよね。週に数度、ママが生地をこねて、それを彼が共同のかまどに焼いてもらいに持って行くのだそうです。で、焼きあがったそれを籠に積み上げて、頭の上に載せて持ち帰るのだそうですが、持ち帰りがてら、頭の上に手を伸ばして焼き立てのパンをつまんでちぎってはひょいぱくひょいぱく食っちゃうんだって。帰るまでに1枚くらいは食っちゃうんだそうなんですよ。
そのパンが、薄く平べったく大きく焼いた、このパンです。凄くおいしかったと言ってました。
おまけ②:ナッツ
マイ・エクスは「太る、太る」と気にしながらピーナッツがやめられないタイプだったんですが、(何でそこまでピーナッツ?)という疑問も、どうもあちらの食文化のせいみたいですよね。日本では想像つかないくらい、日常的にナッツを食べるんだね。「日本人、何でそこまで大豆?」みたいな感じなのかな、と思いました。
彼はパパが早くに亡くなったので、お祖父さんやお隣のおじさんにたいそうお世話になったそうですが、お隣のおじさんがナッツ屋さんだったそうです。そして店番の手伝いなどもしたそうなのですが、店番しながらこれまた、売り物のナッツをひょいぱくひょいぱくつまみ食いしてたらしいんだね。でも、おじさんはやさしく許してくれてたそうですよ。
以上、わたしの物語からの妄想とエクスの幼少の追憶の中にあった、アラブの料理「憧れとリアル」およびおまけをご紹介しました。
これ、わたしがいまだに体験できていないというところがポイントです。中東行ってみたいな。一緒に中東旅行してから別れてもよかったかも。でもまあ、彼はあらためて考えると相当優柔不断で決断がつかない人だったなと思うので、ずっと付き合っていたとしても、そんな機会は来なかっただろうな、とも思うのです。
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カバーフォトは、「みんなのフォトギャラリー」より、江里 祥和(よし)
さんの写真を使わせていただきました。ありがとうございマス!
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