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救いようがない

昔から、応援ソングに素直に応援されないタチだった。

大学受験期に何より私を励まし鼓舞してくれたのは、橘いずみの『失格』(正確にはフラワーカンパニーズcover ver.)と、OKAMOTO'Sの『90'S TOKYO BOYS』の2曲だったことをよく覚えている。
どちらもシティーボーイ・ガールのけだるい憂鬱と自暴自棄感が漂っていて、ド田舎雪国の吹雪く21時過ぎ、駅のホームで電車を待ちながら見る景色には笑っちゃうほど合っていなかった。
(めちゃかっこよいので、聴いたことのない方はチェキラー!です)

こと『失格』は、まだまだ思春期の鬱屈したくそがきになかなか刺さる歌詞てんこ盛りだ。

あなたは失格!そうはっきり言われたい
生きる資格がないなんて憧れてた生き方

『失格』橘いずみ

このフレーズなんて、競争や失敗を過剰に恐れる私をどんな前向きな応援ソングより救ってくれた。
きっとこの歌詞に鼓舞されるという現象の背景にある心のメカニズムは、自分より不幸であったり、優れていない人物や集団と自分を比較することで得られる安心に拠ると当時から気づいていた。調べたら心理学的に「下方比較」というらしい。
その心理に気付く度、自らの精神的な卑しさに勝手に凹み、勝手に凹む厄介な性格に気づいてさらに凹む。
凹みマトリョーシカ。
凹みの永久機関。
無限キャベツならぬ無限凹み。
めんどくさすぎる。凹む。

24歳になった今でも変わることの無いこと厄介な性格は今もなお快活に機能し続けている。
職場で有能な人を見上げては分不相応に心を曇らせ、周囲から評価の悪い人を見つけて曇った心に意図して晴れ間を与える。
健やかに最悪な性格だ。やっぱり凹む。

そんななかなか終わっている私のストレス発散は往々にして暴飲暴食と散財だった訳だが、時折「なんも食べたくないしおうち帰りたくないし、誰にも会いたくない」みたいな夜があった。そしてそんな夜、私は時々歌舞伎町のいわゆる「トー横」近辺を徘徊した。
もう清々しいまでに欲望が全面に押し出されている風俗街を抜けて、TOHOシネマズで上映されている映画を見てみたりしながら、例の通りまで行ってみる。

本当に何をする訳でも無い。
特別なにか深く心を動かされる訳でもない。
何ならただ煩くてちょっと臭いだけの街に時間を溶かしたことを後悔する時すらある。
キャッチの存在がそもそも見えていないように華麗に無視を体得した以外に、本当に何の得も無い。

ただ一つ、金なのか性欲なのか寂しさなのか、何を満たしたいのかは人によるけれども、こんな街に自らの足で力強く立っている人々の欲望に忠実な様を私は猛烈に見たくなる。

あんな下品な街に居着くなんて、と軽蔑している節は正直拭えない。職業における貴賎はないとは偽りなく思っていても、欲望を交換しあって成り立っているようなあの街自体の品のなさが根本的にどうしても受け入れられない。
しかし、私みたいな性悪な人間が受け入れなかろうが見下そうが、あの街にいる人たちは至極堂々としている。歌舞伎町やトー横に対するパブリックイメージが良くないことも彼らは知っているだろうけれども、そんな目線を受け止めた上でそれでもあそこを選んでいる。

彼らに「失格」みたいな生き方を見出している反面、ストレスを抱え本心を隠しながら嫌々仕事をしている私は、彼らにとっては余程「生きる資格がない」生き方なのでは無いかと思う。どちらが人として「失格」かと、彼らが私に向ける視線を勝手に想像しては逡巡を繰り返していた。

歌舞伎町で、本当は私の事なんて誰も見ていないんだけど。唯一、彼等が私の生き方に憧れることはないのだけは解る。


話は逸れるが、いつか会ったバーの店員さんが「トー横キッズみたいな刹那的な生き方も文化としてはアリなんじゃないか」と言っていたことを時々思い出す。他人の生の道程にとやかく言う気はないが、私はそれには同意しない。


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