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うまくはいかなかったけれど

「〜すべき」思考を手放せたら…。
これまで何度となく思ってきたことだ。

完璧主義な傾向が強いがゆえに力不足な自分に苛立ち、仕事の出来栄えはいつも不安。
それでも自己ベストと思えるところまで考えた結果を提案するので、クライアントから「いいですね」なんてお褒めの言葉をもらえたら夢のようだ。
その実、いやいやこれはきっとリップサービスで、もっといい正解が出せたんじゃないか、と心はすぐに逆戻りして揺らぎまくる。

それもこれも、もっとできる自分でいなくてはならない、いるべきだ、という考えが根底にあるせいだと思っている。

同じ仕事を長く続けているせいもあるだろう。
若い人たちと競う気持ちはないけれど、キャリアが20年を超えて、できないとか、その程度かと思われるのはなかなかつらい。できることは今からでも増やしたいし、上手にことを運びたい。いいコピーも作りたいし、読まれる原稿を書きたい。
理想とする自分像が明確なわけではないけれど、欲望は歳を重ねるごとに膨らんでいき、焦りがつのる。
それが歳をとると言うことかもしれないけれど。

今日の仕事はとあるメディアに掲載する人物の取材だった。
初めての案件であり、編集者がオンラインで同席する状態での取材も初、撮影もしないといけないなど、いつもとは勝手が違って、珍しく数日前から緊張していた。

結論から言うと、あまりうまく行かなかった。
進行の想定が甘く、流れの悪い取材となってしまった。
いつもなら疲労と自己嫌悪とで落ち込みまくるところなのだけど、今日はなぜだか気分は軽い。
うまく行かなかったことはもう仕方ないさ、原稿さえきちんと仕上げれば結果オーライ!
そんな気分。

画面の向こうから編集者が随所で助け舟を出してくれたおかげで、取材自体は充実したものになったし、取材後には構成のアドバイスまでいただいた。
インタビューイーの興味深いお話を聞けた上に、プロの編集者の仕事を垣間見れて、たぶん私がいちばん得した時間だった。
あとはいい原稿に仕上げるだけ。
大丈夫、できる気がする、という根拠のない自信は、私の持ち味でもある。

結局、私って自信がないんだか、自信あるんだか?
自分でもよくわからなくなってきた。
でもまあ、自分のことは自分がいちばん信じていないとね。

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