“キャタツ”イノベーション①
ギター脱退
「こんどギターが辞めるから、代わりに“脚立”を入れんねん」
これは私が通っていた学校の先生が放った言葉である。
私の通っていた学校の先生はバンドをやっていた。担当楽器はドラムだ。
ある時、先生と話していると、自分のバンドのギターがやめることを教えてくれた。どうやらギターの人が他県に引っ越しするらしかった。
引っ越しでバンドのために大阪まで通うことが難しくなったのだろう。
そこまでは理解できた。
はて…「“キャタツ”を入れる」とは一体どういうことだろう?
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バンド=人間
先生のバンドは、ボーカル・ギター・ドラム、という変則的なトリオ編成だった。ベースは不在のバンドなのだ。ただでさえスカスカの音像である。
普通、ロックバンドであるなら、バンドアンサンブルにおいてギターが占める割合は大きいだろう。もちろんベースとドラムも無くてはならない存在であるが、ロックミュージック特有の“うるさい”音の役割はエレキギターが担っている。
バンドを人間に置き換えて考えてみると、ボーカルは文字通り、バンドの“顔”。ドラムは上に乗るすべてを支えてくれる“足腰”。ギターは“胴体”と“手指”。ベースは“尻”かもしれない。足腰と胴体を上手につないでくれる。音がブリブリしてるところもケツっぽい。そしてキーボードは、恥ずかしくないように綺麗に裸を覆いかくしてくれる、“服”だ。
それぞれに大事な役割というものがあり、分担してこの役割をこなしている。
仮にギターが辞めたとしても、新たに別のギターを入れるなり、キーボードを入れるなり、いくらでも選択肢はあったはずだ。
だがその選択肢はすべて捨てて、「“キャタツ”を入れる」と目の前の先生は言った。
先生、なんぼなんでも“キャタツ”はギターの代わりにならないです。イノベーションにも程があるってもんですよ。
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新ムーブメント到来
私は考える。
いや待てよ、もしかすると近い将来、ギターに代わって空前の“キャタツ”ブームが起こるかもしれない。猫も杓子も“キャタツ”“キャタツ”“キャタツ”“キャタツ”…。
音楽誌はこぞって“キャタツ”プレイヤーを特集し、アメリカからはFender製“キャタツ”やGibson製“キャタツ”が輸入されてくる。
国産メーカーもこれに負けじと低コストで多彩な価格帯の“キャタツ”を販売し、顧客のニーズに応える。
キッズ達は“キャタツ”ケースを持って学校に。
もはや“キャタツ”は弾けなくても“キャタツ”ケースさえ抱えていればモテる時代が到来する。
さらには“エレクトリック”キャタツ派と“アコースティック”キャタツ派に支持が別れ、エレクトリックキャタツプレイヤーは、エレキを持っているだけで大人たちから“不良”というレッテルを貼られる。
一方、“アコースティック”キャタツ派は学生運動と波長を同じくし、軍隊とは真逆のイメージの髪を伸ばした若者たちが、肩を組み、“キャタツ”の音色に乗せて合唱し、反戦を叫ぶ。
遠い目
<父と息子>
日曜日の夕方、河川敷のグランドでキャッチボールをしている。
父 「父さんが若かったころはな、みーんな髪の毛を肩まで伸ばしていて、誰が一番年期が入っているかを競いあっていたんだぞ」
息子「へえー、そうなんだ。お父さんも髪長かったの?」
父 「そうだ。女の人に間違えられたこともあるんだぞ!ハッハッハ」
髪の長い父親のすがたを想像できずに、戸惑う息子。
息子「変なのー」
父 「長い髪の毛で“キャタツ”を弾くとな、カッコ良く見えるんだよ」
息子「へえー」
遠くを見つめる父。一瞬話すのをやめ、大きく息をすい込む。
父∶「…そういう時代だったんだよ」
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