ジジイ爆弾
露の世の片隅に生れ男児なり
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身辺整理をしていて、ふと読み覚えのない本を見つけた。
「句集 歩み」
著者は山口星火とある。私の祖父の俳号(俳句を読むときのペンネーム)だ。
少し考えてこの本の正体を思い出した。
俳句が趣味の祖父が、俳句活動40年を記念して自費出版した句集だ。
地元の長崎から上京して10年になるが、その時に持ってきて以来、捨てもせず、かといって読みもせず、段ボールの奥に入れたまま引っ越しのお供としていたらしい。
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祖父は昨年の夏に亡くなった。87歳の大往生である。
私が物心ついたときにはすでに定年退職をしていてずっと自宅にいた。丸顔に禿げ頭の小さいおじいさんで、いつも机の所定の位置に座ってニコニコしながら茶をすすり、新聞を読み、句をしたためていた。
「九州男児」という言葉からはだいぶかけ離れた人物であった。もっとも祖母の家事を一切手伝わなかったあたりは九州男児らしかったのかもしれない。
祖父と私の思い出はほとんどない。祖父母の宅にはしょっちゅう遊びに行っていたが、いかんせん私が内向的な本の虫だったので、祖父母宅にある、かつて父やその弟たちが読んでいた本に夢中になっていたのだ。可愛がり甲斐のない孫であったことだろう。
祖父が俳句を好きなことは知っていたが、あまり興味を持てなかった。目の前の情景や思ったことを17文字に制限して表現しないといけない決まりが子供ながら理不尽に感じられた。
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ふたたび句集を手に取ってみる。
厚紙のケースに入っていて、判型は四六判(縦188mm、横130mm)。表紙には紺色の布が貼り付けられ、題字は銀箔となかなか豪華な仕上がりだ。
前書きを読んでみる。祖父の俳句仲間からの寄稿らしい。この方はいま存命なのか、それとももういないのか。
寄稿によれば、この句集には369句所収されている。だが、俳句雑誌や新聞の投稿に採用されたものを厳選しているようで、背後にはおよそ4000の句があるという。
4000句……途方もない数字だ。字数にすれば38000字だが、一句一句にかけた労力を思うと、字数で図ることがナンセンスだとわかる。
俳句歴40年を記念して自費出版したらしいから、単純計算で1年に100句。だいたい3日に1句したためていたことになる。すごいアウトプットの量だ。
ためしに一句引用してみる。
供へたる雑煮の湯気に母現るる
すごい。この句から推定できる情報量が多い。
・母が亡くなっている
・正月
・仏壇がある
・昨年までは母が雑煮を作ってくれていた→母が亡くなったのは1年以内
・詠み手は母の不在を寂しく思っている
他にも、お椀から立ち上る湯気が見えることから部屋には陽光がさしていることも類推できるし、キラキラと舞う埃まで目に浮かぶようだ。
17字のこれだけの情報量を凝縮させるのに、素人には想像の及ばない技巧が使われているのだろう。この句がこの形にいたるまで、貼り付けては捨てられた言葉たちでどんぶり一杯山盛りにできそうだ。
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「人が死ぬときは生きている者に忘れられた時だ」
時には有名なマンガで、またある時には世界的なアニメ映画などでたびたび語られる言説だ。
私の祖父は死んだ。両親やその兄弟、さらに孫世代の私ときょうだいの死をもって、祖父のことを覚えている人間はおそらく地球上からいなくなる。上記の言説を基にするなら、これで祖父は「真に」死ぬことになる。
だが、この句集がもし、私が死んだ後も地球上のどこかにあり続けていたら。例えば私の遺品として回収されたのち古本市で50円で売られ、誰かが気まぐれにこの本を買って読んだら。名も知らぬ彼女または彼の頭の中に、祖父が俳句を通してつづった人生の情景が浮かぶだろう。その瞬間、祖父は誰かの記憶となり、再び黄泉がえる。ついでに、そこで描かれている祖母や父、父のきょうだい、母、わたしと弟も、指先とか片耳ぐらいは黄泉がえるかもしれない(句集が発行されたのちに生まれた私の妹にそのチャンスはなく、かわいそうだ)。
そう思うとこの本が時限爆弾に見えてきた。本を遺して逝く者は、遠い未来で自分が仕掛けた爆弾がふたたびスパークすることを期待しながら暗闇に意識を溶かしていくのだろうか。なかなか悪くない気がする。
祖父が残した爆弾をうっかり起爆した私はどうなったかというと、脳みその大半をふきとばされていた。ここ数か月にわたり私を支配していた希死念慮も爆散してしまったらしい。
破壊された頭でぼんやり考えた。
どうせ死ぬなら爆弾をひとつ、仕掛けておきたい。
そして、運悪く私の本を開いた誰かを爆風で吹っ飛ばしてやるのだ。
私は天井の梁にぶら下げたロープを外した。