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「対話に生きる展」にて公開した最終エッセイ
連休最終日。昨日一昨日は、主催している「対話に生きるゼミ」の半年の最終発表会「対話に生きる展」で東京は上池袋へ。
東京ー軽井沢間の新幹線は行きも帰りもほぼ満席。東京のものはどれも高い。東南アジア系ファミリー観光客のマナーに「それはないでしょ!」と、奥様がぼそり。今日、軽井沢に戻ってきたら、先週の大雪はもうほとんど溶けていました。
さてさて、先月は丸々投稿できずだったので、今月はいくつか書いていこうかと思います。気まぐれ不定期すみません。
今回は、「対話に生きるゼミ」で半年の間、エッセイを数十本書いてきた中で、最終エッセイとして書いたものを公開してみます。4000字程度。三十歳という転機について書きました。
あくまでもエッセイなので、個人的なことを書いています。
もっとみんな個人的なことを思いっきり書いた方がいい。イケてなくていいし、他人の美意識の枠内におさめなくてもいい。
「いいね」とかは別にいいんで、読んで何か書きたくなったら、あなたも書いてみてください。それが対話に生きるということでもあるので。
誰かの書いたことに乗っかるだけとか、シェアするだけとか、いいねを押すだけとか、そういうんじゃなくて。
あ、書いたらぜひ、読ませてくださいね。
ちなみに、僕はここから、30代探究をはじめます。30代とは何か。
30歳という転機|独立と結婚をめぐる7つの対話
片岡 利允
人生には節目というものがいくつかやってくる。卒業式、成人式、受験や就職。これらは社会としてすでに用意されている節目だが、僕は、それらとはまた違った形で僕だけの「30歳」という節目を迎えた。
それは、誰かが用意してくれたものとして一方的に受けるのではなく、大事な人との対話によってつくられていく。どこへ向かっていくのかが予めわかっているような類のものではない。まさに転機。「機」が熟したその時、一気に「転」がっていく。
20代までの僕には想像もし得なかった出来事が、「30歳」付近で一挙に訪れた。独立と結婚である。
ところで、20歳は成人。それでは30歳はなんだ。思想家・孔子は、「三十にして立つ」と言った。編集者・橘川幸夫は「10代は『起』、20代は『承』、30代は『転』で、40代で『結』が来る」と言った。僕は、30歳になり、個人として立ち、転機を迎えた。
これは、僕の30歳という転機に起こった独立と結婚をめぐる七つの対話の記録。断片的な記録だが、ひとまず記録として残してみたいと思う。
1、8月某日:「やめる」という告白
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