私は小さい頃虫歯が多かった。 小学校の体育館で検診があって、毎回c1って先生が仰って、近所の歯医者に行ってガリガリキューーーーーンって痛いことされて銀歯になった。 奥歯はほぼ銀歯、大人になって金歯に変更。 歯磨きはしてるのになんで虫歯になってしまうのか分からなかった。 30代で前歯を矯正した時に、歯医者さんにフロスを教えてもらった。結構しっかりと掻き出すやり方でそれを毎日夕食後の歯磨き前にやるようになったら、虫歯も歯周病も指摘されず、20年経つ。 結局、歯の表面だけでなく歯茎
姑のリハビリ生活もそろそろ2ヶ月。介助付きで歩く事はできるようになりました。本人は自分の体の状態を正確に把握するのが難しいので なんでこんな歩けるのに家に帰れないのか分からずお怒り。 歩けてはいないのです。後ろに常に人が付いての歩行ですから。 出来れば引き続きリハビリ病院にいて欲しいのですが、あまりの剣幕で怒るので来月末には帰ることになりました。 トイレだってひとりじゃいけないのに。 帰ることが希望、帰れれば最高!! と思ってるようですが、家では行動を制限せざるを得ません。ベ
大腿骨骨折して入院手術の後、リハビリ専門病院に入院している義母。(90代前半) 気ままに暮らしていたのに、毎日2回のリハビリは大変だと思う。 本人は「もう歩ける」と言ってるけどまだまだらしい。 ここでの入院期限はあと2ヶ月。その前に来る自分の誕生日には 「絶対家に帰って家でお祝いしたい」と言う。 気持ちは分かるけど、先生によるとどうも無理らしい。 何しろ「自宅介護は24時間の見守り必要」との指示だし。 昼はできても、夜の頻尿はとても対応できない。 歩く方はリハビリ病院の手厚い
これに関しては汗で全部落ちちゃうから、朝BBファンデを塗りはしますけど諦めですね。 #夏のメイク
猛暑の過ごし方 私は基本姑の世話と主婦業と時々賃貸物件の管理仕事。 家にいることが多いので、家族からのた頼まれ事も多く、一日に何度も駅行ったりスーパー行ったりホームセンター行ったりしています。 が、35度超えたらなるべく外に出ないようにして冷房かけた部屋にいます。 というのも、一昨年熱中症にかかりかけたのです。 それまでは予報が何℃であろうと、首に保冷剤巻いて水飲んで外出すりゃなんとかなると思っていました。 家を出てジリジリする道を駅まで10分くらい。汗まみれになって歩くも
母は90歳近いのですが、春頃に脳梗塞で倒れました。 幸い一命は取り留め、退院の運びになった時に、日頃世話をしてる 兄が「俺はもうこれ以上面倒みれないよ」施設に入れました。 兄はここぞとばかりに一人暮らしの母の部屋を片付けだし、別に 今やらなくてもいいのに殆ど捨ててしまいました。 母は昔から「私を施設に入れるようならシンでやる!!!」と酷く施設を嫌がっておりました。(母自身も姑を施設に入れてましたけどね) 母は認知症進んでいるのでまだ入院中だと思ってるようです。 例えばお正
90歳ともなると、もう身体がどうなってるか、毎日接していても分からないことばかり。 超便秘を何十年もして毎日下剤を何種類も飲んでいたのに、今は飲まなくても下る方が増えた。 高血圧だったのに血圧低い! そして足のむくみが出てるなって思ったら手の指まで浮腫んでいた。 もうどうなってんのコレ。指輪がくい込んでいる。処方してもらった薬で浮腫取れなければ消防署に相談して見ようと思う。(検索したらそう書いてあった) もう次から次へと…… 世話する方は大変だけど本人至って呑気。疲れた。
私の家族、50代になって初めて体の痒みに悩まされるようになった。 私自身は20代前半から蕁麻疹持ちなので痒みの対処法は色々ある。でも歳取っていきなりの激しいかゆみでそれはもうばりばり掻いて出血、それをまた掻いて膨らんで、全身酷いかさぶたに。特に足。掻きやすい膝下がもう本当に酷い。医者でかゆみ止めや飲み薬を貰うもあまり効かず、医者巡りも面倒がって結局2年ほど経った。先日ついに足が腫れ上がり、蜂窩織炎と診断。抗生剤を処方され飲んだり塗ったりして少し腫れが引いてきた。なのにまたかさ
認知症って何なんだろうとしみじみ思う。 私の両親は2人ともかなりの認知症。 父はコロナが流行る前に心臓発作で他界してしまった。そうでなければ、マスクなんて絶対嫌がっただろうし、母やヘルパーさん達の負担は大変なものだったろう。 父は戦争で奪われた学校生活を取り戻したいといつも言っていて、 本を読み、友達をいっぱい作り、趣味はとことん突き詰め、何よりも本当に仕事も熱心な人だった。父は若い頃から仕事優先で私は父と週末すごしたことなんてほとんどなかった。その分退職後は子供家族孫全部引
姑のデイサービスは、ファミリーワゴンでお迎えに来てくれる。 運転してる方1人で、4人の高齢者を運ぶ。 家の前に行き、インタホンを鳴らし、足のおぼつかない高齢者を一人一人乗せる。 結構大変だと思う。なので私はその日は用事を入れず、家の前で姑と共に待つようにしている。簡易椅子に姑を座らせバスを待つ。 寒い日はなるべく風の来ない所に座らせたり、家の前が何らかの工事で塞がれていたら、連絡をしてルートの途中まで車椅子で出向いて乗せている。それは要求されたからではなく、その方が色々スムー
結婚した時、義父が体調悪かったので、近くにいたい、という夫の希望もあり、子ども部屋を改造して2世帯同居で新生活スタート。 義親との住まいは自分のペースを乱されることばかりでしんどかった。 結婚15年目くらいで義父が持病の発作で入院。同じタイミングで転倒した義母も入院。そうなると私は自分の予定を全てキャンセルして両親のアレコレ。義父は1年内に他界したが、義母はそれから入退院を繰り返したり、何度も骨折しても治り、結局元気で卒寿を迎えた。 その間、私は友人の誘いも断り、時々約束し
40年以上前私は私立の中高大一貫校に入学した。男女共学、小学校からの生徒はまぁまぁ裕福。中学からは勉強はできるけどいわゆる「ダサい」雰囲気の子もいた。でも私はいい意味で目立つ容姿だった。 私は幼い頃から兄たちにいいようにこき使われ、ゲンコツや4の地固め、パシリ、永遠に終わらないサッカーの相手など辛いことも多かった。 なので私には固い意思があった。「いじめられそうな子を守る」 いじめられて悲しい思いをする人を見るのも辛かったから。 あえてそういうタイプの子と仲良くなり、一緒に行
とある90代のご婦人には息子が2人いる。 息子Aは社会に適応できず、親の援助を受け続けて歳を取った。 お母さんがいまだ大好きで、親の要望はほとんど受け入れて行動する。 息子Bは会社でも猛烈に働き、社会的にも認められてるが、母親のおかしい事は指摘する。 母親が「お出かけしたい」といえばそれぞれ連れ出してくれる A 寒い中徒歩で母を連れ出し、タクシーもなくて何分も道で待たせて、降りてからも足の悪い母親をなんとか歩かせる。声がけは優しい。 B 車で商業施設に連れ
#映画にまつわる思い出 私には兄が沢山います。私は末っ子で初めての女の子。 さぞかし可愛がられたのでしょう…と思われがちですが、親も忙しくて 基本放置でした。 兄たちは夏には泊まりがけで地方の海、ボーイスカウト、スキー合宿、色々連れて行ってもらってましたが私はいつも母とお留守番。つまらなかったですね。映画館も置いてきぼりです。 ある日、また映画に行くと話しているので、お願いだから連れて行ってくれと父に懇願して行ったのが「戦場にかける橋」 いやーもちろんなんも分かりませんでした
私が通っていた整体やカイロプラクティックは区画整理で2回閉店してしまった。その為新たに近所の整体院に行ってみた。1年くらい通っているのだけど、最近行く時間帯だと院長先生にやって貰えず、学校卒業仕立てのヤングな男子になる。 院長は同じ時間に来る常連の女性を担当。その女性はやはり子持ちの奥様らしいのだけど、大きな甘えた声で院長とタメ語で世間話をするのがどうしても聞こえてきてなんかモヤモヤして行くのをやめた。 時間帯を変えたくても私は義親の付き添いが多くなかなか難しい。 ってことで
初めての消防設備士講習 私は乙6の消防設備士資格を持っています。 50代で取りました。親に任せられているアパートの消火器の点検を自分でしたかったので頑張りました。物理苦手だからそこだけ辛かったけど。 消防設備士は数年に1回講習がありまして、それを受けないと免許維持出来ないので、とりあえず最初の3年のうちに受ける講習に行ってきました。 多分普通の方は会社に入って、必要だから取るような資格だから、会社の先輩などに様子を聞けるんでしょうけど、私は聞ける人もいないのでネットで検索