おしおき
「和博の馬鹿! もお、大っ嫌い!」
由実はヒステリックに叫んでいた。
「お、おい、待て、由実!」
泡を食った和博が落ち着けと制するが、彼女の勢いは止まらない。
由実の持ち上げた大量の文献、資料etc……。
どれも和博の大切な資料であり、大切な結晶だ。
それを投げられたら、きっと全てがばらばらに飛び散ってしまうだろう。何故ならファイルの閉じ具が弱っているから。
ここ数日はページをめくる度に、金具がいちいち外れかかって。早急に新しいものを購入しなくてはと思ったばかりである。
先程全て読み終えたばかりで、和博の頭には情報は全て詰まっていた。
なので、ばらばらになっても当面の作業の方には支障は無い。支障はないが、片付けるのには時間がかかる。
今の彼にはそんなことをしている余裕は一秒もない。
早く書き起こしてしまわなければ。忘れてしまうその前に。
そんな思いを胸に抱き、青い顔をして必死に止めるが、そんな事で治まるぐらいならそもそもこんな喧嘩になってない。
「悪かった!!悪かったからそれだけは!!」
必死で懇願する和博の声に、由実の怒りの色は益々濃くなって。資料を持つ手に力が加わる。
しまった! と彼が思った時にはもう遅かった。
「和博のヴァカァァァァァァァァ!!」
火に油を注がれた由実が、容赦なくファイルを机の上に叩きつけた。
タワーのように積み重なったファイルの群れの上だから、不安定な事この上ない。バランスを崩して落下すれば、他のファイルも巻き込んで散らばることは確定だろう。
かろうじて散乱は免れたが、崩壊まではあと一歩。
「じゃあね!」
「あっ、おいっ、由実!!」
衝撃に揺れるファイルのタワーをとっさに両手で抑えてしまって動けなくなった和博を尻目に、由実は足音高く部屋を後にした。
背中に焦った声を聞きながら。
「何よ、何よ。和博ったら!!」
根を詰めすぎて倒れたことがあるから、休んでほしいと言ったのに。
うーん。うーんと生返事ばかりで、あのスカタンが!
怒りに頬を染めたまま、由実は店内を巡る。
彼女は今、市街にある生活用品雑貨店を訪れていた。
目的は、和博を懲らしめる為のアイテム探し。
手元の籠は「ミルクバスの素」「ミルクの石鹸」「ミルク成分入りモイスチャーシャンプー・リンス」などのミルクグッズで埋め尽くされていた。
本より牛乳グッズが大好きだったが、牛乳が嫌いな彼の為に一切使用をやめていた。
何でも、匂いが受け入れられないらしい。
ミルク風味のリップクリームの使用をやめてほしいと、付き合いはじめたその時に、申し訳なさそうに打ち明けられた。
「へぇ。こんなのもあるんだぁー」
「あー、これ可愛い!!」
「これ、よさそう!」
手元の籠に次々に散らばるミルクグッズ。
今まで控えていた事で溜まった欲と新商品への好奇心から、由実の手は留まる事を知らず商品に伸ばされ続けた。
「ふぅー。買った買った。」
めでたく気分は落ち着いて、晴れ晴れとした笑顔を浮かべて、夕闇の中彼の家へと向かう。
手元の袋の中身は、「石鹸」「シャンプー」「リンス」「バスエッセンス」の四つ。
あれだけ衝動的に入れても、最終的には絞られた。
リップクリームですら感じ取るのだ。これでしばらくは触れられまい。「これで、少しは反省するでしょ?」
和博にとっては最悪の台詞を吐きながら、その反応を思い浮かべた由実はひとりひそかに微笑んだ。
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