ブラック・メイデン:エピローグ

 コンコン。
 ノックの音がした。あたしは兄がとったホテルの扉を開ける。
「やあ、キセキ? ケガはどう?」
 あの栗毛の天パがやってきた。鮮やかなエメラルドの目はとても爽やかだ。イージーオーダーのベストは、地味ではあるが、よく似合っている。
「痛むわ。強い痛み止めを使ったら、幻覚を見ちゃってさ。まさか、こんな風にラリるとは思ってもなかった。今は普通の痛み止めを飲んでいる」
 肩を少しさすったあたしはホタルを通し、窓際のイスに座らせ、窓を開ける。外はとても明るく、まぶしいくらいだ。
「何、飲む? アイスコーヒーでいいかしら? ボトルのしかないけど」
 ホタルは別にいいのにと言ったあと、
「君、アイスコーヒー、好きだね」
 そよ風のように笑う。あたしは冷蔵庫を開け、ボトルの首を持つ。
「まあね。甘いのも好きだけど、ブラックも好きね」
 一瞬、あたしの手が止まり、
「ブラックか……」
 と、呟いた。
「そうだよ、キセキ。聞かなきゃいけないことは山積みなんだ。さっさと教えてよ。約束だろ?」
「分かったわよ」
 あたしは、冷蔵庫からボトルを出し、適当に氷入りのグラスに注ぎ、ホタルの前に置いた。
「どこから話そうか」
 あたしは、自分の手の中にあるグラスを見る。
「まずは……そうだな。『お前は誰だ?』かな」
 ホタルはどこか楽しげだ。
「そうね。あたしは誰? かあ……」
 「ブラック・メイデン」になってから、ホタルに会うまで、あたしは自分が何者か考えたことがなかった。というか、考えたくなかったというのが正解だ。
「あたしはクラリス姫として、この世に生を受けたわ。ちなみにキセキって名前は出生名で、クラリス姫ってのは、あくまで身分の名前だからね。ホタルでいうところのオトギリ卿と同じよ」
「へえ」
 ホタルはグラスを持つ。カランと氷の音がする。
「で、兄さん……まあ、あの国王ね。兄さんとは母親が違うの。うちのママは後妻さん。この国を売人システムでハチャメチャにした諸悪の根源だった王妃」
「そんな怖い顔で母親のことを言うんだな」
 少しホタルの声がひいていた。よほど怖い顔をしていたのだろう。あたしは咳払いをする。
「十五の頃だったわ。あたし、拉致されて、売人システムに登録されちゃってさ。ママはそれを知って、あたしを探すために、あらゆる人を粛清していった。怒った兄さんがママを閉じ込めて、パパに国王から降りるように言ったらしいの。すぐにパパは死んだけどね。ブラックの長にかくまわれていたから、ぶっちゃけ、この頃の国政はよく知らない。パパが死んですぐにママも死んだけど、もしかしたら、兄さんがママを殺したのかもしれないわ」
「つらいな、ソレ」
 うなずくホタル。コーヒーを飲むあたし。
「結果的にはさ、邪悪なママの娘であるあたしがいなくなったおかげで、王室としては良かったのよ。あたしが行方不明になったのを、クラリス姫が死んだってウワサになってさ、諸悪の根源がキレイさっぱりになったって、民衆は思ったのだし。情報はウワサになったとき、色々変化していくものだから」
「じゃあさ、キセキは自分の母親を許しているのか?」
 ホタルの目は涙ぐんでいた。
「ママはママ自身とあたししか世界に存在しないと思っていたのかも。他の人間はモブ。だから殺せた。そう言った意味では、あたしを愛していたのかもしれない。でも、人間としたら、最低。上に立つ人間の行動じゃないし、人として存在してはならない存在。それは売人の生活をしてて、痛いほど痛感した」
 あたしはコーヒーを一気に飲む。苦さが鼻を通る。
「でも、母親としたら、及第点は上げた方が良いと思う。少なくても、あたしを愛そうとしていたのだから。許せないけどね」
 そう言い切ったあたしは氷をほおばり、ガリガリ噛んだ。
「あたしがここまで人間的に強くなれたのは、やっぱり長とか仲間のおかげかな。売り飛ばす予定だったけど、偽の情報を見抜いたら、勘が買われちゃって、そのまま仲間入り。気がつけば、若頭になっちゃった」
「やっぱ、お前、並の人間じゃないよ」
 ホタルは苦笑いした。
「なあ、キセキ。これからどうするんだ? クラリス姫に戻るとして……」
「ああ、それだけど。これからクラリス姫は死んだことになるわ」
 あたしはホタルの言葉をさえぎった。
「え、でも、キミは生きているじゃないか!」
「ウワサを本当だったってことにするだけ。あたしの存在は……正確にはあたしの身体に流れているママの血は、この世に存在しちゃいけないの。じゃあ、どうするか。クラリス姫は死んでました、っていうウワサは事実でしたってことにすれば、みんなハッピーなの」
「でも、それじゃ、キセキ。君が……」
 あたしは、ホタルの口元に指さし、
「あたしは黒き情報屋の『ブラック・メイデン』。十年前に『クラリス姫』は死んだのよ」
 と宣言した。
「君がそういうんだったら、そうなんだろうな。分かったよ、キセキ。これからもよろしく、『ブラック・メイデン』」
 ホタルはあたしの頭を力強くなでた。

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