ブラック・メイデン:第六話 ランクルインズ

「アラン修道院のシスター・カモミールのインタビューでした」
 テレビから拍手が聞こえる。ベッドの上から見てたから、真面目に聞いていたわけじゃないけど、虐待児や孤児を保護する修道女の話だったようだ。
 気分転換にでもと、カーテンを開けた。窓から見える太陽は痛いほど差している。外は茹だるような暑さだろう。すぐに閉めた。この青空は、今のオレにはまぶしすぎる。
「デートスポットにオススメの夜景が見えるレストランです!」
 CM明けのアナウンサーの声にイラだつ。
 ああ、うるさい。ベッドサイドのリモコンでテレビを切る。
「キセキ……。どこなんだろうか」
 オレは天井に向かって両手を挙げ、ゆっくり眼をつむり、ため息をつく。
 オレは首都でブラック・レディにお腹を殴られ、気絶した。
 そして、恩賜病院の個室で気がついた。一週間も気絶していたらしく、駆けつけたヒジリは心配のあまり、三キロやせたらしい。申し訳ない。
 目覚めたあと、ヒジリをはじめとした様々な人から、何があったか問い詰められた。心配しているからだろうけど、こんな勢いで聞かなくても、という剣幕で聞かれた。
 オレは何も言わなかった。何も言えなかった、が正解かもしれない。
 自分がキセキに対して、酷いことを言ってしまったという罪悪感のせいで、気持ちの整理もつかなかったのもある。
 キセキにもう一度だけでいい。会いたい。謝りたい。
 あの魔女のような派手な女性は黒き情報屋の長ブラック・レディだろうか。キセキが倒れたとき、この子は首都にいない方が良いとか言っていたような。それは、どういう意味なのだろうか。
 どうやらオレのことも知っているような素振りだったし……。
 うう。情報が多すぎて、混乱する。
 昨日、無事退院することができた。そして、今日の夕方、首都からオトギリ領へ帰宅する予定である。
 本音を言うと、午前中だけでも、キセキを探したかった。でも、心配性のヒジリに黙って、探しに行くわけにはいかない。
 それに、キセキがオレに会いたいと思ってくれているかも謎だ。
 身勝手に自分の感情を押しつけるという子ども染みた行動のせいで、オレはキセキを泣かせてしまった。
 キセキに会いたいという感情に押しつぶされそうになるが、もう大人なのだ。深呼吸をして、冷静になれ、ホタル!
「さて……準備するか」
 オレは、部屋の隅に置いたトランクを開けた。
 
 あらかた持って帰るものをトランクに詰め終わったとき、ノックの音がした。
「旦那さま、ご来客です」
 ヒジリが非常に面倒くさそうな顔で、入ってきた。
「来客? 一時間後にはここを出るのに? アポイントメントはあったっけ?」
「いいえ。ですが、ビペリ伯爵ですので、無下にするのも、どうかと思うんですよ」
「えと。ビペリ伯爵だって?」
 思わずオウム返ししてしまった。
 ビペリ伯爵といえば、次期首相とも言われている大物政治家だ。領地を持たない伯爵ではあるが、権力は絶大。ま、次期首相だから、当然って話は当然だ。って、これはトートロジーかな。
 もちろん、テレビでは何度も見たことがあるが、そんな人物がオレん家に来るって?
 いくら、オレが領主だからって、地方だし、若造だぞ?
「そんな不思議そうな顔をしなくても。私も不思議ですけどね!」
 咳払いをしたヒジリは、
「会うだけ会ったらどうです? どうせ、私の運転で戻るんです。話している間、少し仮眠してますよ」
 湿った目つきでこちらを見る。
 確かに、運転は元レーサーのヒジリが飛ばせば、今日中には帰ることは可能なので、ビペリ伯爵と会うことにした。

「はじめまして。私はドン・ビペリ。オトギリ卿、突然、尋ねてすまないね。今日、帰宅されると聞いて、慌てて来たんだ。昨日まで入院されてたとか。体調はどうかね?」
 オレの館の簡素な応接室で待っていたのは、よく仕立てられたスリーピースのスーツに、ステッキ。絵に描いたようなひげをたくわえた恰幅の良いジェントルマンだった。テレビでよく見る顔。ビペリ卿だ。後ろには秘書とおぼしき、女性がふたり。
「こちらこそ、はじめまして。何かあったのでしょうか。オ……いや、わたくしに何のご用件が?」
 オレとビペリ卿は握手をする。年齢相応のしわくちゃな手だ。
「ええ。用事というのは、アラン修道院の話だよ。ほら、今日もテレビでやっていたでしょう。身寄りのない子どもたちを保護している修道院のこと」
 オレの背筋は凍った。寄付金詐欺に加担したリシンの姿が脳内を駆け巡る。
「私はボランティアでよく伺うんだよ。そして、寄付金を募っているんだ。もちろん、私も寄付をしているよ。そこで、オトギリ卿にも協力を願いたいんだ。突然の用件で申し訳な……」
「お断りさせていただきます。そういうの、一番嫌いなので」
 怒りのあまり、条件反射のように、オレはビペリ卿の言葉を遮っていた。
「もう、領地に帰るんで、お引き取り願います」
 どうしよう。言ってしまった。
 大変無礼なことを言ってしまった。
 一時の感情のせいで、大変失礼なことをしでかした。多分、ビペリ卿は怒っているだろう。オレは誰にも視線を合わせず、ソファから立ち上がる。
「そんなことを言わなくても。見学だけでも、どうです? 一時間もあれば、終わりますから。見学だけでも、ね。見学すれば、きっと気に入りますよ」
 ビペリ卿はふがふがと笑った。
 こんな無礼を働いたのに、怒っていないだと? 何故だ?
 ここで、こいつを強引に帰らせれば良かった。
 年長者に失礼な発言をしてしまったという罪悪感から、オレは見学だけでも行くことになってしまった。

 修道院は古びた木造建築でできていた。周りには大きな庭があり、様々な植物を育てているようだ。花々や木々の香りが気持ちいい。首都であるのに、こんなに広い庭園があり、かつ木造なんて、信じられない。国王が御座す城は煉瓦造りであるものの、大半のビルディングは鉄筋コンクリートでできている。木造であるこの修道院は、相当古い建物なのだろうか。
 オレ自身は、神さまはいてくれたらうれしいかなと程度にしか考えていない人間なので、信心深くはない。誕生日に近くの教会でお祈りをするぐらいだ。
 このような修道院に来る機会など、ほぼない。
 今の時間帯、保護されている子どもたちは修道院の隣にある学校で学んでいるそうだ。
 首都に行けるとあって、身寄りのない子どもたちがたくさん集まってくるとか。そのためにも、寄付金を集めなきゃいけないなど、ビペル卿は話しながら、園庭を歩く。
 やっぱり、首都はステータスなんだな。
「やあ、シスター・カモミール。来たよ」
 ビペリ卿は教会に入るなり、大きな声で呼んだ。
「ドンさま! 今日も来てくださったんですね!」
 背の高い修道女が、こちらに小走りでやってきた。長い頭巾に、修道服という、この国のポピュラーな尼さんの格好だ。
 とても鼻が高く、鋭い目をしている。まるで鷹のようで、不気味だ。
「そちらが……? ああ、オトギリ伯爵ですね! お目にかかれて光栄です! 私はシスター・カモミールです」
 シスター・カモミールは深々と頭を下げ、そして、こちらをじっと見た。
 まるで、品定めをしているかのような目だ。もしくは、獲物を狩る獣か。
 ぶっちゃけよう。
 この尼さん、怖すぎる。生理的に受け付けない。
 というか、宗教家ってこんなに化粧、濃いものなのだろうか?
「うふ。固くならなくていいですわ。リラックスしてください」
 カモミールは色気のある声でにんまり笑う。リラックスしろって言われてもだな、猫に食べられそうになっているネズミがリラックスできるか!
「怖がらなくていいんだよ、オトギリ卿。さて、もてなししてくれるかい?」
「ええ! もちろん! 今日は新しい子が入りましてね!」
 待て待て待て!
 ここ、本当に修道院か?
 ベタベタオレの身体を触ってくるカモミールに背筋が凍る。
 テレビで見たキャバクラってヤツなんじゃないか、コレ?
 嫌な汗が噴き出る。
 怖い。
「オトギリ卿、据え膳食わぬはなんとやら、ですぞ」
 本気で心の底から怖くなったオレは肩を叩くドン・ビペリを突き飛ばし、修道院を出て、広い園庭の中を走った。
 しかし、
「オトギリ卿、今日は帰しませんよ」
 面積が狭い下着姿のカモミールはオレに抱きつこうとしてきた。
 オレは必死に逃げる。
 怖い怖い怖い!
 オレの心拍数は果てしなく早く鳴っていた。
 アドレナリンが過剰に分泌しているのが分かる。
「きゃあっ」
 突然、何かが飛んできた音がし、カモミールは自身の手を押さえた。手の甲から血がしたたり落ちている。
 地面には血濡れた銀色に光る棒手裏剣が刺さっていた。
「その方に触るな!」
 ダイアモンドのように固い意志を持つ声が聞こえてきた。
「売人がどうしてここに?」
 カモミールは顔を上げる。オレもその方向を見る。
 女神を模した石の偶像の上に立っていた。黒いマントがはためく。顔はフードの影で見えない。
 しかし、オレは彼女が分かる。
 キセキだ。
 キセキはカモミールからオレをかばうように飛び降りた。
 カモミールは手を押さえながらも、
「売人の分際で、私の商売の邪魔をしないで!」
 キセキを冷たい視線で見る。
「商売ですって? あんた、曲がりなりにも修道女でしょ? あはっ。売人もどきが何をほざく! バカじゃないの?」
 キセキはカモミールを煽る。
「本当に尼さんなの? このドヘンタイ!」
 今のはだけた下着姿も、尼さんとは思えない。頭巾のせいで、まるでそういうコスチュームプレイにしか見えない。
「いくら夏だからって、裸じゃ風邪引くわよ。黒き情報屋を敵に回したのを、悔やむがいいわ! ホタルくん、いきましょ」
 キセキはオレの手を引く。無事、園庭から出ることができた。

 首都の自室に無事戻ってくると、オレは備え付けの冷蔵庫から、小さなペットボトルの水を取り出し、一気に飲み干した。
 吐き気が酷い。目の前がクラクラする。
「あんな痴女、漫画の世界にもいないわよ。うう、世の中って恐ろしい」
 フードを外したキセキは、エアコンに向かって手を伸ばしている。
「ホタルくん。キミさ。あのまま、あたしが来なかったら、貞操奪われてたかもね。無事でよかったわ」
「それ、どういう意味?」
 オレは、もう一本、水のキャップを開ける。
 キセキは、そんなオレを知ってか知らずか、
「あの修道院、身も蓋もない言い方をすると、売春宿よ。貴族専門のね」
 と、とんでもないことを言い始めた。
「これをキミに言うのは、情報を売るためじゃないわ。協力してほしいの。あんなバカがはびこる国にしたくないから」
 キセキの声はあまりにキレイで、今にも割れそうな声をしている。
 あんなバカがはこびる国か。
 それはそうだな。春を売る尼さんなんて、どうかしてる。古代文明じゃあるまいし、あまりに野蛮すぎる。
 でも、オレにはまず言わなきゃいけないことがある。
 オレは水のボトルを空にすると、
「キセキ、元気だったんなら、それで良かったよ。この前はごめんなさい」
 オレはキセキに頭をさげた。
「別に。こっちこそ、悪いことをしたわ。ごめんなさい。自分で自分の誓いを破ったんだもの。天罰が下っただけよ、きっと。それよりも、今のキミの方が元気ないわよ」
 キセキはオレの顔を見上げる。とてもかわいらしく、顔がほころぶ。
「だから、どうして笑うのよ……」
 気怠げにキセキはソファに身を投げる。
「あたしが熱中症で倒れてから、うちの長が、ホタルくんを殴ったって聞いて、生きた心地がしなかったわ。一週間入院したんですってね。ってことは、病明けでしょ」
 手持ち無沙汰に両手をにぎにぎさせているキセキの姿がなんともかわいらしい。オレはキセキの隣に座る。
「あのさ、その長が、キセキは首都にいちゃいけないとか言ってたよな? 国王も一ヶ月軟禁とか云々言っていたけど、これってどういう意味なんだ?」
 ここまで言ってから、
「言いたくなきゃ、言わなくていいけど。無理強いしてまで聞きたくないし」
 オレはキセキの方を見た。
 キセキもオレを見る。
 空色の大きな目は光を放っていた。
「そんなに、聞きたいの? 後戻りできなくなるわよ」
 自虐にも見える悲しい笑みを浮かべるキセキに、
「君と出会った時点で、もう後戻りはできくなっている」
 オレは正直に話す。
「そういえば、呪われたお姫さまは王子さまのキスで元に戻るっておとぎ話があるわよね。同じように、あたしにキスができるかしら? もしかしたら、あたしの呪いが解けるかもよ? もちろん、そんなことをしたら、ホタルは本当に二度と戻れなくなるけど」
「は?」
 キセキの軽やかな笑みに、オレの思考はフリーズした。
 キス?
 キスだって?
「ほら、やっぱり、後戻りしたいんでしょ」
 キセキは立ち上がり、フードをかぶった。
 そのキセキの姿に苦しいぐらい悲しくなって、オレはキセキに抱きついた。そのままの勢いで、彼女のフードを外す。
「ちょっと、何するの?」
 キセキは驚いた様子で、オレを突き飛ばし、こちらを見る。
 すぐにオレは立ち上がり、キセキに抱きつく。そして、頭を抱き、くちびるを合わせた。
 とても時間が長く感じた。
「ちょっと! 冗談を真に受けないでよ。あたし、初めてだったのに!」
 オレを突き飛ばしたキセキは手の甲で自分自身の口を拭く。顔は真っ赤だ。
「じょ……冗談、だったのか?」
 顔が熱い。そして、理性を失った自分の行動があまりに大胆すぎて、びっくりした。
「違うわよ。いいえ、うれしかったわよ。とてもうれしかった! でも、そういう意味じゃないってこと! 一週間前の賭けであたしが負けたときに、気がつけばよかった!」
 キセキはオレに抱きついた。
「洗いざらい、すべて話す決心がついたわ。でも、今はあの修道院をどうにかするのが先。あたしから大好きな男や大切なこの国を盗ろうとしたあの女の罪はとても重い」
 耳元で聞こえるキセキの声は、あまりに刺激が強すぎて、心臓が破裂しそうである。
 何かがひっくり返った音と同時に、
「だ……旦那さま! 今、お帰りで?」
 ボサボサ頭のヒジリがノックもせずに、飛び込んできた。
「あ……。お楽しみでしたか」
 ヒジリはずれ落ちた眼鏡をかけ直す。
「ちょうど、終わったところだから。あたし、帰るね。何かあったら、連絡して。あたしも何かあったら連絡するから」
 キセキはオレから離れると、さっきの刺激的な声から一転して、健全にフードをかぶると、窓を開け、外を出た。
 キセキの姿はすぐに消えた。まるで魔法のようだ。
「ビペリ卿の用事はどうでしたか?」
 ヒジリの質問に、
「詳しいことは言えないけど、また、彼女に助けてもらったよ」
 とだけ、答えた。

 ヒジリがかっ飛ばしたおかげで、日をまたぐ前に帰ってくることができた。新月だからか、月は見えない。おかげで満天の星空。こんなに科学技術が発展しても、少し田舎に行けば、こんな星空が見えるんだな。首都とは違う。
 軽くシャワーを浴びた。汗が流れて、すっきりした。
 ベッドに座ろうとしたとき、電話のチャイム音が鳴った。メッセージが届いている。表示された文字を見ると、キセキから、「起きたら連絡ください。いつでもオーケー」と書かれている。
 オレは急にキセキの声が聞きたくて、電話をした。
「あ、もしもし。夜分にごめんね。起こしちゃったかしら?」
 キセキは夜なのにとても明るい声である。
「いや、丁度帰ってきたところ。なあ、一体なに?」
「よかった。すぐに話したかったことだから。あたし一人で抱え込めない情報なの」
 電話の向こうで、キセキは大きく笑う。
「ここにいる修道女はみんな保護されている女の子だったわ。つまり、保護された子どもたちが貴族に春を売っている」
 そして、キセキはとても深刻そうな声で衝撃的なことを追加して答えた。
「え、それじゃ、まるで身売りじゃないか!」
「まるで、じゃないわ。そのまんま、身売りよ。権力者である貴族相手だから、なおさら酷いわ。子どもであることをいいことに、合意がないんですもの。首都にいることがステータスのこの国でしょ。言うことを聞かない子どもは首都から追い出す、って脅して、言うことを聞かせるのよ。ちなみに、男の子も春を売られるわ。かわいい男の子が好きな人もいるからって。勉強なんてウソ。もし教えているとしたら……ココからは察してよ。こんなこと、好きな相手から、そういうのを聞きたくないでしょ。こっちからも言いたくないわ」
 確かに、これ以上、キセキから性的にセンシティブな話は聞きたくない。
 一瞬、間が開いた。
 どうしたのだろうか。
 緊張が走る。
「あのさ」
 キセキがもごもご小さくつぶやいた。
「なんだよ」
「こう言っちゃったけど、あたしのこと、本当に……好きなの? キスまでされたら、こっちも本気になるわよ」
 オレの胸は高鳴った。
「本気……って。もう少し、自分に価値を持ってくれないか。少なくても、オレはキセキがいなきゃダメだった。だから、あのとき、もう後戻りはできないって言ったんだよ。好きじゃなきゃ、ここまでするか」
 電話の向こうで泣き声が聞こえはじめた。
「え、泣かせるつもりはないんだけど……」
 オレは動揺する。するものか、と思っていた二の舞をしてしまったか。
「ううん。違うの。あたしはあたし自身を誤解してた。実はね、春を売れば、自分の価値が分かるかなと思ってたの。自分に価値があるから、身体が売れるって話だから。でも、あたしは自分自身の価値ではなく、物への価値で生きてきた。自分に価値があると思わなかったから。ありがとう。あたしもホタルのことが好きよ。だから、このことが終わったら……」
「分かったよ。この話の続きは、次に会ったときにしよう。大切な話だろ」
 ぐすん、と鼻をすする音がしたあと、
「うん。そうだわね。じゃあ、おやすみ」
 このキセキの声のあと、電話が切れた。
 キセキも好いてくれてたことに、心が弾けそうだった。
 修道院で、キセキが助けてくれたのも、きっとオレのことが好きだったからなのだろう。
 さっきまで彼女の顔を見ていたのに、また会いたいと思った。
 少し早いけど、指輪を探そうかな。
 キセキの声のようなキレイなダイアモンドの指輪をさ。

 翌日、ヒジリにたたき起こされた。
 時計を見ると、まだ明朝。何か用事あったっけ?
「旦那さま! ブラック・メイデンを襲いましたか?」
 ヒジリはベッドから起き上がったばかりのオレの胸ぐらをつかむ。その表情は恐ろしかった。鬼の形相はこのようなものであるか。
「襲うって? キセ……ブラック・メイデンに何かあったのか?」
 ヒジリは頭をクシャクシャとかきむしると、
「何かあった、って。ブラック・メイデンに何か起こしたわけじゃないんですか?」
「えっ……と。何かなかったわけじゃないよ。首都でキス……しただけ……」
 ヒジリはオレをベッドに叩きつけると、
「本当にキスだけなんですね? そのあとは何もなかったんですね?」
「ああ。どうして彼女のことでウソをつかなきゃいけないんだ? キスだって……一応……」
 しどろもどろになる。顔は熱い。
 ヒジリは安堵の表情をし、
「キスまでなら良かったです! あれだけデキてれば、キスぐらいしますもんね! ビペリ伯爵が旦那さまが売人の女を襲った話を電話でされましてね。旦那さまと取引次第ではもみ消すなど言っていたんですよ。ただ、ウソのスキャンダルでもばらまかれたら、悲惨です。どうにかしなければいけません」
 と、ため息をついた。
「分かった。ビペリ伯爵に会ってくるよ。連絡を取ってくれ」
 オレはベッドから起き上がる。
 ヒジリはうなずくと、お辞儀をし、オレの自室から出た。
 
 寝起きで思考がぼんやり霧がかかったかのように気持ちが悪い。ビペリ伯爵からオレは逃げた形になるのだけど、それがキセキとのスキャンダルになるとは。風が吹けば桶屋が儲かるって、マジなのか? そもそも売人と恋仲になるそのものがスキャンダルなのかもしれないが、ただ襲ったとかそういうのは、あまりにそんなウワサ、悲しすぎる。
 それに、キセキが持ってきた衝撃的な情報が頭にちらついて、どうにもこうにも脳が動かない。
 オレは着替えを終えると、ベッドに座り、頭を抱えた。
「なんて、悲しい顔をしているんだい?」
 黒いマントを羽織ったあの魔女が目の前のデスクに座っていた。
「ブラック・レディ……?」
 オレは荒い呼吸を整える。
「そうだよ。ブラック・メイデンの上司になるかね。調子はどうだい?」
 ブラック・レディはとても恐ろしい顔をして、オレの顔をのぞきこむ。
「ところで、ホタル・ジェット。お前、ブラック・メイデンを襲ったか?」
 疑われている。冷や汗が酷い。
 オレは、
「襲ってなんかいない。どうして、彼女を襲わなきゃいけないんだ?」
 震える声で答える。
「オトギリ伯爵は代々女性を大事にしないからな。ブラック・メイデンを苦しめるつもりなんだろう? あの子もバカだね。こんなクズにほれるなんて。男の見る目はなかったようだ」
 オレは怒りのあまり、ブラック・レディのほほを叩いた。
「ふざけるな! オレはキセキのことが好きだ。だからこそ、キセキを大切にしたいのに。強引にキセキをものにするなんて、そんなことできるものか。キセキの見る目を認めたのはお前なんだろう? それを否定するなんて、貴様! キセキを侮辱しているのと同じだ!」
 ああ、しまった。怒りにまかせて、敵に回してはいけない人を殴ってしまった。
 オレは自分のやったことに青ざめ、叩いた手をもう反対の手で触る。
「ご……ごめんなさい。許されないと思うけど……」
 頭を下げたオレに、ブラック・レディは高らかに笑った。 
「あんたはこの国をどうしたい?」
「は?」
 ブラック・レディは唐突に変なコトを聞いてきた。
 オレは今、お前を殴ったんだぞ。
 一体この人は何を言い出すんだ?
「だから、あんたはブラック・メイデンとこの国をどうしたいんだ、と聞いているんだ」
 頭を上げたオレは混乱した。この国をどうしたいかだなんて、突然聞かれても!
「どうしたい……って。みんなが安心して過ごせればいいな、と。オレはキセキ……メイデンの絶対的な味方だし、キセキはこの国を大切なものだと言った。彼女が大切なものはオレにとっても大切なものだ」
 オレの言葉を聞いたブラック・レディは、真剣な目をした。
「お前、言うね。分かった。あの子の審美眼は確かだった。信用するよ。あんたら二人の侮辱を許してくれ」
 咳払いをしたブラック・レディは、
「まったく。あの子をつぶしにくるとは、国を敵に回すことになるって知らないんだろうねえ」
 目を見開き、頭を抱えた。
「ホタル。お前に頼るのは非常に苦しいが、メイデンを助けてくれないか。今、あいつは首都の警察に捕まっている。お前に襲われたということで保護されたというべきか。ビペリ伯爵とあの修道院の決定的な情報を手に入れちゃったようでな」
「捕まっている?」
 彼女の調査能力は尋常ではない。知ってはいけない情報を知ってしまったのだろう。
 苦々しい表情で、ブラック・レディは、オレに指さし、
「坊ちゃん。ついてきてくれないか。メイデンがいうには、この情報を暴露するには、あんたが絶対に必要らしいんだ」
 そう言い、手をつかんだと思うと、窓からオレごと飛び降りた。
 下には屈強な黒マントが二人。この前の人たちだろうか。
「そんなにビビらなくても。私たちは仲間を襲われた、あんたは恋人を襲われた。それが同一人物だった。ただ、それだけだ。あの貴族ども。黒き情報屋を敵に回したのを悔やむがいい」
 ブラック・レディはしたり顔をしていた。しかし、その顔は少しつらそうで、ひきつっていた。

 ブラック・レディの移動手段は、まさかのスポーツカーだった。とはいっても、ヒジリの運転よりはマシである。
 他の黒マントは極秘の別ルートで来るらしい。
 オレは助手席でブラック・レディにキセキの情報を話した。
「大丈夫だって。この程度じゃ黒き情報屋の若頭なんか務まらないよ」
 ブラック・レディの声はオレを安心させるためか、力強い声をしていた。オレはキセキの身を案じ、呼吸をするが、自然と浅くなってく。
 首都へ向かうたくさんの車を追い抜きながら、ブラック・レディは運転をする。
「気晴らしに、昔話をしようかね。十代の頃、私は大切な人をこんな風に隣に乗せて、よく運転したものさ」
 昔話、ねえ。生きていれば、ブラック・レディはオレの母さんぐらいの年齢だと思うのだけど……そのような時代に車を運転するような女性だったとは。なんとハイカラな。
「一緒になると思ってた。でも、時代が悪かった。彼女はとても良い家柄の娘でね。貴族との縁談が来たんだ。あの子は言った。わたしをあなたの運転で、誰も知らないところへ連れ去って、どこまでも連れて行って、って。つまりは駆け落ちしようって言ってきたんだ。でも、私は拒否した。彼女の幸せは結婚だと思ったからね。私は売人の女なのだし。今思えば、悔やむばかりだよ。結婚してすぐに、病んでいったんだから。あんたを産んでから、元気になっていったけど。でも、心の支えのあんたに縁談が来たのがトドメだったんだろう」
「え?」
「最初、ブラック・メイデンに会ったときのことを覚えているかい? オトギリ領でのマインドコントロール事件さ。元々、あの事件の調査をブラック・メイデンにさせてたのは、私なんだ。【依頼主は明かせない】とウソを言ってね。もちろん、あんたの身上調査もさせてた。あの男の息子なんだから、とんでもないロクデナシだろうって踏んでいたんだ。メイデンの調査結果をこっそり新聞社に渡して、あんたを失脚させるつもりだった。そうしたら、まさか、あんたらが意気投合して、一緒に事件を解決するなんて、思わなかったよ。私としたことが、あんたがあの人の息子でもあることをすっかり抜けていた。あの男への復讐は失敗さ」
 オレは言葉に詰まった。ブラック・レディの目は少し潤んでいる。
「まあ、なんだ。あんたは、昔、好いた女の息子なんだ。無下にはできないってことだ」
 ブラック・レディは自虐的にこう吐き捨てると、アクセルをふかした。
「ところで、坊ちゃん。ブラック・メイデンとはどこまで行ったんだ?」
 話題が急カーブしたのに、戸惑いを覚えた。
「どこまで……って?」
「Aか、Bか。まさか本当にCまでいっていないだろうね?」
 そういうことかよ。表現が古い。さっきまで、ブラック・レディとオレの母さんの話だっただろう。オレの話に振るな!
「終わっているとはいえ、私の恋バナをしたんだ。あんたもしたっていいだろう? 親子って似るんだな。懐かしいよ、その反応」
 ブラック・レディはエアコンを弱める。
「えっと。キス……」
「あはは! キスまでか! 奥手だな!」
 小さなスポーツカーに響く声で、ブラック・レディは笑った。
「何がおかしいんですか!」
 叫ぶオレに、
「好きな人がいなくなるって、自分の半身がなくなるような感覚だったよ。だからこそ、メイデンを大事にしてくれ」
「はい」
 ブラック・レディにオレはうなずいた。
 
 オレは首都に着くと、すぐ警察署へ向かった。ブラック・レディは部下と合流するために別れた。
 突然来たオレに、受付の警官は驚いた様子だったが、話は分かっていたようで、取調室へ連れて行かれた。
 弁護士、黙秘権云々言う警官二人に、
「弁護士なんていらない。オレが売人の女を襲った話だろう? ビペリ伯爵を呼べ。あいつがオレをハメた」
 オレはこう言葉をかぶせた。
 二人の警官はお互いの顔を見て、ため息をついた。
 ここまできたら、貴族らしく、傲慢に、高圧的にいこう。
「オレを捕まえておいて、その態度ってどういうことだ? オレはビペリ伯爵にハメられた。その保護したという黒いマントの売人もきっと同じことを言っているはずだ。人を犯罪者扱いする前に、ビペリ伯爵の裏取りをしたのか? 捜査ぐらいキチンとしろ」
「あ……はい。た、確かにあの売人もオトギリ伯爵と同じことを供述してます。裏取りする必要は……」
 若い警官は青ざめていた。年齢が上に見える警官は、若い警官の頭を軽く叩く。
 すごい勢いで、取調室の戸が開いた。金属のイヤな音がする。
「なんだ、騒々しい」
 年上の警官に、
「売人の女が逃走しました!」
 飛び込んできた警官はこう叫んだ。
 キセキは逃げたようだ。いつにも増して大胆だな。
 安堵したオレを見た三人の警官は、
「売人が見つかり次第、またお呼びいたします」
 と、頭を下げた。

 無事、警察署から出たオレは、キセキに電話をかけた。
「もしもし、今、かけようと思っていたところ。お互い、災難だったわね」
「そうだな」
 晴れ渡るキセキの声を聞いて、涙が出てきた。
「ちょっと、泣く必要なんてある? 今は、ビペリを追い詰めるのが先よ」
 そうだ。キセキの言うのがもっともだ。
「今ね、アレン修道院の前にいるの。でね……って、きゃっ」
 電話の向こうで、キセキの叫び声と男たちの怒号が聞こえてきた。衝撃音も複数聞こえてくる。
「離しなさいよ! 離せ! 離せ!」
 キセキの声は遠くなっていく。
 そして、そのまま電話は切れてしまった。
 再度、オレはかけなおすが、不通になっていた。
 青ざめたオレは、キセキを助けるために、アラン修道院に向かった。
 
 タクシーで向かったが、首都とはいえ、アラン修道院は、郊外なので、着いた頃には、もうすっかり夜になっていた。
 いうて、首都なので、真っ暗というわけではない。園庭の明かりがポツポツ自己主張している。
 キセキは無事だろうか。今まで助けてもらったし、これからもずっと一緒にいたい。オレは命をかけて、庭園の門をくぐった。
「おや、無様に逃げていった根性なしさん、どうしたの?」
 煌々と照らされた修道院の前には頭巾にあられのない下着姿のシスター・カモミールがいた。オレを一瞥すると、机の上のラップトップコンピュータを閉じた。明かりと相まって、欲情をさそう悪魔のように見える。
 正直、気持ちが悪い。
「ブラック・メイデンを捕まえたのか? あの子は今どこにいる?」
 オレは恐怖を振り切り、凄んだ。
「捕まえたですって? あはは。あのちんちくりんは死んだわ。まさか、あの子を助けに来たってワケ? あはははは! ヒーロー気取りも大概にしなさいよ」
 シスター・カモミールは邪悪に高笑いをする。
 キセキが死んだって? まさか。
「あははははは! あのちんちくりんの売人のガキに助けられるって、あなた、本当にみっともない男! あのまま、私に食べられちゃえば、こっち側だったのに。そうすれば、いずれ、内閣に入れたはずよ。おバカさんねえ! 長いものには巻かれておけばよかったって、後悔してももう無駄よ」
「どういうことだ?」
 オレはこの女が何を言っているかワケが分からなかった。キセキが死んだという話で、脳みそが冷え切って、動いていなかったのもある。
 長いものには巻かれておけ? 内閣?
「まだ理解していないの? 本当にお子さまね! あのね、ビペリ卿は、私の傀儡なのよ。骨抜きにしてやったわ。次期首相になるおかげで、予算が増える。つまり、私のお金が増えるってわけ。そして、あんたは失脚するわ。だって、ビペリ卿の誘いを断って、あんなちんちくりんと逃げたのだもの。あと、私の手をケガさせたのも許せない」
 シスター・カモミールの手には絆創膏が貼ってある。
「ま、この程度のケガ、仕事には影響ないんだけどね」
 ケラケラ笑うシスター・カモミールに、オレは、
「人助けと言って、その人の弱みにつけ込み、貴族に子どもたちをあてがっているのは本当なのか?」
 静かに聞いた。
「あらら。あのちんちくりんちゃん、そこまで調べたのね。殺して正解だったわ。もちろん、あんたも殺さなきゃね」
 ザッと音が鳴った。振り返ると、軍人が三人オレの後ろに立っていた。バッジから将校だろうか。
 貴族どころか、まさか、軍人……しかも、士官クラスまで、手を伸ばしていたのか。
「軍人さんも、私の傀儡。みんな骨抜きにしちゃったわ」
 う……。女を武器にする女って、マジでいるんだな。恐ろしい。
「オトギリ伯爵。ここで死んでもらいます」
 一人の陸軍将校が言った。振り向くと、手にはピストル。
「軍人がオレに手を出すのか?」
「あはは。オトギリ卿。貴族と言っても、田舎者でしょう。ビペリ伯爵やカモミールさまに楯突いた罪は重たいですよ」
 軍人がこんな風に武器も持たない人間に銃を突きつけるなんて、とても信じられない。
「国を守らず、オレに銃を向けるのか」
「シスター・カモミールのお手伝いこそが国を守ること。この御方を敵に回した時点で、あなたは守るべき対象ではありません」
 オレの問いに、そう冷たく軍人は言い放った。オレはあきらめた。
「分かったよ。殺すなら、殺せ。それで気が済むのなら。ただ、オレが死ぬと国王陛下が動くぞ。分かっているのか?」
「なんだと?」
 将校達はざわめいた。もちろん、これはハッタリだ。ハッタリの一つも言わないと、もう気が済まない。やぶれかぶれという言葉がぴったりである。
「ウソをおっしゃい。国王陛下はドンさまを信頼しているのよ。だから次期首相になる。あんたみたいな田舎者の言葉なんて信じるはずがないでしょ、本当にバカなお子さま思考ね!」
「うう……」
 ハッタリはやっぱりハッタリにすぎない。
 簡単に見抜けるよな。
 たとえば、同じ場にビペリ伯爵とオレと並んで、陛下に何か進言したとして、どちらに言葉に重みがあるっていう話だ。
 大物政治家と田舎貴族とどっちを信用するかって、あまりに明白すぎる。
 キセキのことについて、もっと知りたかったな。彼女の生まれや好きなことをもっと知りたかった。
 ま、あの世で、キセキに会って聞けばいいか。
 そのとき、銃声……。それどころじゃない、大きな大砲の音がした。
 あまりに大きな音に、耳が割れそうだ。脳内に音が響き、オレは倒れ込む。
 それと同時に、修道院の入り口が大破し、窓ガラスは粉々に散っていた。火薬の匂いがすごくて咳き込む。顔を上げると、イヤーマフに大型のロケランを担いだ軍服の男性の影が見えた。
「ドン・ビペリは背任の罪で、たった今、警察に送ったぞ。このロケットランチャーで、そのきれいな身体を肉片にされたくなければ、その場を動くな! 貴族に銃を向ける軍人がどこにいるんだ? ああ、ここにいたな」
「どうして……。どうして……あなたが……」
 シスター・カモミールは青ざめ、足をがくがく震わせている。
「誰が誰を信用するか、お前がどうして判断する? 前国王妃は誰も信用しなかったから、腐敗が進んだ。では、わたしがすべきことは何か? 正しい情報を得て、出来うる限り最善の判断を下すこと。ビペリは不誠実で、身勝手で、保身に走る男だ。そんなのを信用できると思うのか? そもそも妹を殺そうと刺客を差し向けた男を兄が許すと思うか? さあ、答えてみよ。シスター・カモミール!」
「国王陛下も傀儡にすればよかった……!」
 国王陛下? 今、シスター・カモミールは国王陛下って言った?
「ほう。わたしがお前程度の女になびくとも? それはあまりに自信過剰じゃあないかね?」
 国王陛下の言葉に、とうとう、シスター・カモミールは尻もちをつき、泣き叫んだ。
 うう、自業自得なのに、泣けばいいと思っているのか、こいつ。
 自分が悪いことをしているって意識がまったくないのか?
「ねえ、尼さんさ。勝手にあたしを殺さないでほしいのだけど? 確かに撃たれて、痛かったけどさあ」
 影から、ダイアモンドのように固い声が聞こえてきた。
「泣けばいいと思っているの? 泣けば、みんないうことを聞いてくれると思っているの? だいぶ都合のいい考え方ね。この卑怯者」
 深い闇の中から、深くフードをかぶった黒いマントの女が現れる。マントには穴が複数あり、その下から赤く染まったシャツが見えた。
「女の涙は武器って言うけど、あたしはいくら泣いても誰も助けてはくれなかった。だから、自分で動くしかなかった。どれだけ痛くてもね」
 キセキだ。
 ああ、キセキが生きていた。それだけで涙が出る。
「あんたとは違って、あたしは行動をした。行動しないと、生きていけなかったし、認められなかったから。自分から動く人間に、他人を操るだけの人間は勝てっこないの。分かる? もう、あなたの詰み。観念しなさい。黒き情報屋を敵に回したのを、檻の中で後悔することね」
 キセキの言葉は鋭いガラス片のように痛々しいものだった。
 後ろから、何台ものサイレンの鳴る車が来た。軍人や警官がわらわらとこっちに来る。
 シスター・カモミール、将校三人はそのまま捕まってしまった。
 陛下はロケランを降ろす。
「無事に動いて良かったわ」
「お前が直したんだ。動かないはずがないだろう?」
「そうね」
 キセキと陛下、仲が良すぎないか? ちょっとなんかモヤッとする。
「おお、オトギリ卿よ。無事だったか」
 長い髪をポニーテールにし、ベレー帽をかぶった軍服姿の国王陛下はオレに握手を求める。
 脳内が混乱する。なんとか、握手をし直す。
「えっと……。この重火器……は……え?」
「ああ、これな。この前、キセキに直してもらってな。試し打ちしたくて、ウキウキしていたんだが、まさか、実戦で使うとは思わなかったぞ」
 上機嫌の国王陛下の口から、キセキの名前を聞き、
「あの、キセキとはどういうご関係で?」
 思わず聞いてしまった。
 子どものような笑みの国王陛下は、
「この前、結婚しろって言った妹だよ」
 とんでもないことを言い出した。
 は?
 キセキは国王陛下の妹?
 ってことは、キセキがクラリス姫?
 オレは何も言えない。言わない方がいいだろう。下手に何か言うと、兄である国王陛下に殴られるかもしれない。
「まったく、陛下とあろう方が派手にやらかすとはな」
 大破し、折れた修道院の柱に、ブラック・レディが座っていた。
「仕方がないだろう。火力こそ力。ロケットランチャーは火を噴くものだ」
「そうだな。それは真理だ」
 振り返った国王の返事にブラック・レディはけたたましく笑う。
「なにはともあれ、ホタルが無事で良かった」
 駆け寄ってきたキセキはオレを抱きしめてくれた。
「ケガしたんだろう! 痛まないのか?」
「もう手当は済んでいるの。本当は着替えたかったけど、時間がなくてね。すっごく強力な痛み止めを打っているから、今のところは大丈夫。動けるわ」
 元気そうなキセキの声に、顔がほころぶ。
「まあ、長が来なかったら、死んでいた可能性はあるけど」
 キセキの言葉に、キセキが生きているという喜びで胸が弾んだ。
 生きていてくれて、本当に良かった。
「あの状況から逃げ出せたのか?」
 それでも、心配だったオレは、キセキに尋ねる。
「ええ。撃たれたのは初めてだけど、これぐらいは日常茶飯事よ。あたしはホタルくんの方が心配だった。多分、アラン修道院に来るだろうって思っていたし」
 キセキはうるんだ目元を拭く。
「でもね、ホタルくんがやってきて、あの女を引き留めてくれたおかげで、すべて上手くいったの。あんたはあたしを見捨てなかった。それだけで良かったの。ホタルがあたしをあのまま見捨て、アラン修道院に来なかったら、計画はすべて水の泡だった。いずれアラン修道院の不正はバレるわ。そうしたらビペリ伯爵はもちろん、それを見抜けなかった国王は失脚。先代の国王のこともあるし、下手したら、革命がおきたかもしれない。それが防げたのよ。あなたはヒーローだわ!」
 キセキは顔を上げる。フードの下から見える顔は少しすすけているが、とても明るい表情だ。
 国王陛下は、豪快に笑い、
「逃げ出した妹がわたしの元に来てな、ジェットは絶対にアラン修道院に来るって言ったから、わたしはロケットランチャーを持ち出せたんだ。こっそり行くつもりだったが、部下にバレてしまっての。こんな大騒動になってしまった。仕方がない」
 ブラック・レディの肩を豪快に叩き、
「あんたの教育のたまものだな。感謝する」
 明るく言った。
「じゃあな、また! キセキよ、面倒くさいことになる前に逃げろよ」
 国王陛下は、けたたましく笑うと、サムズアップをし、そのままパトカーに乗っていった。
「メイデン。あんたの兄貴は嵐のようなヤツだ。この国もまだ捨てたもんじゃないね。こんなに売人をやってて良かったと思える日が来ると思わなかったよ」
 ブラック・レディは目元を拭くと、楽しげに笑った。そして、
「ここが修道院とはいえ、愛を神に誓うのは、あとにしておけ」
 オレたちを抱き寄せる。
「裏切りに遭っても、人を信じることを辞めなかったあんたらは、最高にロックだよ」
 ブラック・レディは目元を拭き、手を振る。そのまま、黒いマントは夜に紛れ、消えていった。
 オレとキセキはお互いの顔を見た。
 正直、キスしたかったけど、周りには警察や軍人がやまほどいるのだ。それに時期にヒジリも来るだろう。
 明日、全てを話すから、一番大きいホテルで待っているわ、とキセキは耳打ちし、影に消えていった。

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