ブラック・メイデン:第四話 デセントドール

「こうやって遊ぶのは久々だな」
 高校まで一緒だったキトルスは大きく笑う。いつも思うことだが、もやしみたいな身体から、どうしてこんなに大きな声が出るのだろう。何年経ってもこいつはこいつだ。オレがひきこもっていた高校時代も領主になった現在も、変わらず一緒に騒いでくれる大切な友人だ。
 先週と先々週は寝る暇もなく、忙しかったので、今週は休む! と、大きな声で宣言し、その場の勢いでクラリス領の別荘を借り、館を飛び出して、キトルスを訪ね、今に至る。
 道中、ブラック・メイデンに会えたのはうれしかった。恥ずかしいから、誰にも話せないけど。
 大きなテレビ画面には学生時代に死ぬほど遊んだ格闘ゲームのリザルト画面が映っていた。出たばっかりの最新版。結果は負けを越している。別に金銭を賭けたりしていないから、懐は傷まない。でも、悔しい。ここ一年は忙しくてプレイしていなかったせいか。うう、腕が落ちた。
「オレも下手になったなあ!」
 ソファの背もたれで大きく背伸びしたオレに、キトルスは、
「ちょっと何か飲もうぜ」
 奥の棚から、蒸留酒の瓶を出す。
「いくら休日だからって、まだ昼間だよ。もう飲むの? 飲んだらプレイできないって」
「ザルのお前が何を言う。どれだけ飲んでも、素面のお前にハンデをつけてやろうって話なのに?」
「そんなお情けはいらないよ」
 確かにオレはアルコールが好きだ。そして、いわゆる呑兵衛だ。どれだけ飲んでも酔い潰れたことがない。逆にキトルスは飲めないのに、アルコールが好きという一番厄介なタイプである。毎回、泥酔して、毎回、介抱するのがお約束だ。
「ホタルの負けず嫌いは治らないな」
 キトルスはショットグラスを二個並べ、それぞれに酒をつぐ。
「キトルス、つまみは?」
 気が置けない間柄の会話は気が楽だ。好き勝手言える。キトルスもそれを十分理解しているようで、
「ホタル、お前もやっぱり飲むんじゃねえか。そこのオットマンの中にスナック菓子がある。それでいいだろ」
 ショットグラスを一気にあおったキトルスは、高らかに笑った。
 そんなに一気に飲むと、酔いが早く回るのに。
「そういや、最近、売人とつるんでいるってウワサを聞いたが、マジか?」
 キトルスはアルコールで顔を真っ赤にさせながら、聞いてきた。オレは蒸留酒を受け取るとチビッと舐め、
「ああ、そうだけど……。それが?」
 と返事をした。
「あのな、売人がどういう存在か、知っているのか? お前は昔から世間知らずだったが、ここまで無知なのは、領主……どころか大人としてもどうかと思うぞ」
「はあ。じゃあ、お前は彼らは何者なのか知っているのか?」
 キトルスの言葉にオレは首をかしげる。
 スナック菓子の袋を開けたキトルスは、
「元々、彼らは【罪人】と呼ばれてた。耳障りが悪いから、ある時期から売人って呼ばれるようになったけど。法的にアウトなものを売買していたから、ともいわれているな。先々代の国王が作ったシステムだよ」
 まるで教師のように話す。
「はあ……」
 いつもと違って、酔ってきたのだろうか。頭が混乱する。
「最初は強盗犯とか殺人犯とか、そういう凶悪な犯罪者を市中に行かせないシステムだったんだ。でも、時が下るに従って、先代の王が……正確には王妃だな。王は王妃の傀儡だったから。まあ、とにかく、彼らはこのシステムを悪用して、諫言してきた部下を政治犯として、罪人……今で言う売人に貶めていったんだ。他にも気に入らない元老院の議員とかも貶められたそうだ。一般市民でも、王家の悪いうわさをしたものは、みんな売人にされていった」
「へえ……そんな悲しい過去が」
 オレはキトルスの講義にうなずくしかない。
「お前なあ。ちゃんと聞いているか?」
 キトルスはショットグラスに蒸留酒を注ぐ。
「で、今残っている売人たちの多くは子孫に当たる。新しく登録される売人はもういないよ。戸籍を売るとかして、なってしまう人はなってしまうらしいけど。今の国王になってからすぐに廃止されたし、そもそも人権的にアウトだし。先輩が言うには、あいつらは戸籍を持っていないから、どれだけ売人がいるか、把握できてないらしい。ネズミのごとくいるとかなんとか。不妊手術しておけって話かもしれないが……。これは弁護士が言う言葉じゃないな。わりぃ、聞かなかったことにしてくれ」
「あー。うん、そうする」
 メイデンは裏でしか生きられない存在、それが売人だと言っていたな。これってそういう意味だったのか。
「まあ、売人なんだから、たいした教育は受けられないんだ。お前があんなのに付き合う必要はないんだよ」
 そんなものなんかな。メイデンほど聡い人間を見たことないんだが。
「さあ、再戦しようぜ」
 キトルスはイヤミに笑った。
 
 結果、アルコールというハンデをもらったのに、あれから一戦も勝てなかった。良いところまでいくが、毎回逆転される。
 一度ぐらいは勝ちたかったが、あともう一刻過ぎれば、午前様になりそうだったので、仕方なしに白旗をあげた。
 おいとまするとき、さっきは気がつかなかった玄関に違和感を覚えた。
「どうしたんだ、この絵?」
 玄関の真っ正面に、油絵が飾ってあった。古い街道を古今東西、様々な装束を着た人たちが歩いている絵だ。少し薄暗い風景で、寂しい印象がする。
「昨日、上司と仲の良い画商から買った。ミレイって有名な画家の作品らしい」
 そういえば、キトルスは弁護士で、弁護士事務所で働いているんだっけ。上下関係が厳しい職場のようで、こいつからの携帯電話のメッセージの大半は、泣き言か愚痴だ。
 上下関係厳しいからといっても、上司に言われて、わざわざよく分からない絵を買う必要あるのか?
「とても有名な画家のもので、これから価値がどんどんあがっていくみたいなんだ。今は飾って、高くなったら、売ればいいだろう?」
「そういうもんか……絵についてはまったく分からないから、どう評価すればいいか……」
 満足そうなキトルスにオレは返事に困り、言葉をにごす。
 絵画という話題で、ふと、ブラック・メイデンの姿が脳裏によぎった。そういえば、彼女も画商みたいなことしているとか言っていたな。彼女なら、この絵の価値が分かるのだろうか。
「絵の価値なんて、俺にも分からねえよ。ただ、その画商が月賦払いでいいからって言うから、買っただけだ」
 完全にベロンベロンに酔っ払ったキトルスは、フラフラとしている。
「水飲んで、さっさと寝ろよ。じゃあな」
 オレはお辞儀をし、玄関を開けた。

 キトルスの家はクラリス領セントラル駅の目と鼻の先にある。クラリス領といえば、王家のクラリス姫が治めているいう体でエリス国王が治めている土地だ。クラリス姫は十年近くひきこもりらしい。しかし、それは「体」というウワサがある。
 実際はとっくのとうに死んでいて、スキャンダルを恐れた王室がそれを隠蔽したとかなんとか。ゴシップは嫌いなんだけど、親父が楽しそうに話していた。今思えば、親父は悪趣味なところがあった。本当に性格が悪い人だった。
 ふと顔を上げると、駅前だからか、まだ人々の往来はあり、昼間ほどではないが、賑やかだ。飲み屋さんの明かりがたくさん並んでいる。
 自分が伯爵でなければ、ふらっと入りたいけど、どこに誰がいるか分からない。グッと我慢する。
「ねえ、ラズベリー? こんなにめでたいのに、泣く必要なんてあるかしら?」
 真夜中なのに、ダイアモンドのようにキラキラ光る声が聞こえてきた。
「めでたいけどさ、あんたと二度と会えないかと思うと、さみしくってさ」
 甲高い女性の涙声も聞こえる。
 振り返ると、いつもの通り、顔をマントのフードで深く覆ったブラック・メイデンと露出度高めのドレスに赤いマントを着た派手な美女が、裸電球がチカチカと光る、小汚いパブのテラス席で飲んでいた。
 慌てて、メイデンの死角に当たるビルの角に隠れる。なんで隠れる必要があったのか分からないが、とにかく隠れる。
 メイデンのストローをすする音がすると、
「ラズベリーってば。あたしのことなんて、この場で一切合切忘れなさい。そして、身請け先で幸せになりなよ。夢にまで見た表の社会って、とても素敵なことだわ」
 たおやかに話す。
「まあ、そうだけどさあ! メイデン! さみしいモノはさみしいの!」
 メイデンにラズベリーと呼ばれた美女は叫ぶと、ビアを一気に飲み干す。
 気がつけば、ガールズトークを夢中になって聞いていた。傍目から見たら、これは非常に気色悪い行動だ。頭が熱く感じる。注意しなければ。
「たしかに、この泣き上戸を世話するのが、今日で最後だと思うと、さみしいわね」
 メイデンはそよ風のように優しい声で笑う。
「私の身請け話ばかりさせるなんて、ズルいよ。ブラック・メイデン。あんたも表の社会に行くつもりなんでしょ?」
「え、何のこと?」
 鋭いラズベリーにメイデンは驚いた様子で素っ頓狂な声を出す。
「貴族とできているって聞いたんだ。あんたぐらいのツラなら、二号ぐらいなれるでしょ」
「ちょっと待って。どういうこと?」
 ラズベリーの言葉にメイデンの声は固くなった。
「だーかーら! 最近、あんたがオトギリ伯爵に媚びを売っているって聞いたの! イケメンで有名な! ねえ、どこまで進んだの?」
 ラズベリーのナッツを噛む音がする。
「進んだも何も……。ただ同じ目的を解決するために協力しただけであって……。まあ、媚び……ねえ。そんなの、売っているつもりはないのだけど。個人的な感想を言えば、カッコイイとは思うわね。好みの顔よ。性格も悪くない。それどころかお人好しすぎて、こっちが不安になるぐらいだわ。でも、それ以上の感情を持つのは、彼にとっても、あたしにとっても危険だと思うの」
「メイデン、あんたって、バカ」
「バカとは何よ。バカって」
 からかうラズベリーにメイデンはあきれたようだ。
「ねえ、メイデン。素直に答えて。好きか、嫌いかで言えば、どっち? まさか、もしかして、他に本命とかいたりするの?」
 なんだ、これは。オレにとっての究極の問いじゃないか。正直、自分の噂を聞くのは非常に怖い。メイデンにはできれば好いてほしいけど、もし、嫌いって言ったら、どうしようか。緊張で呼吸が荒くなる。
「ふうん。案外、素直じゃん。それがどう転がろうが、そのままのあんたでいてよ。その方が安心して、結婚できる」
 ラズベリーは上機嫌に笑い、店員にビアのおかわりをしていた。
 あれ……これ、緊張のあまり、メイデンの答えを聞きそびれた感じか? どうやら、肝心なところを聞き逃してしまったらしい。オレの間抜け!
「で、どこまで彼のことを知っているの? 教えてよ」
 ラズベリーのナッツをほおばる音がする。
「オトギリ伯爵のルーツは、東も東の国。その東の国から貿易商として、この国にやってきて、なぜか騎士になって、戦争で名を上げ、オトギリ領をもらった。しかし、この領地はあまりに土地が痩せていたため、二代目と三代目がマニュファクチュアを推進し、結果、職人と商人が多く住むようになった。産業革命で重工業が盛んになり、コンピューターが一般人にも普及し始めると、先々代の領主がIT産業を支援を開始した。結果、第三の産業革命――いわゆるIT革命ね――が一番最初に起きた領地と言われている。ITバブルで一時期大変盛り上がったが、弾けて、一気に不景気になる。今は持ち直して、割と景気は良い。現在の領主はホタル・ジェット。十代目当主。今年の冬で二十五になる、この国の中で一番若い領主。そして……」
 まるで教科書を音読するかのように、メイデンはうちの歴史を語り始めた。
「ちょっと、タンマ、タンマ。そこじゃないよ。あんたって、変な所でズレているよね? ここら辺、もう少し、自覚しなよ」
「え? どういうことかしら?」
 何がどうなって、二人がこんな会話になったか知らないが、時間も相まって、どうやらお開きになったようだ。メイデンが会計に行っていた。
 さて、オレも帰ろうかと、大きなあくびをしたとき、
「ねえ、キミ。なにしてるの?」
 ダイアモンドで黒板をひっかいたような声がした。
「え、ブラック・メイデン? どうしてここに?」
 オレは振り返り様に驚き、冷や汗をかく。
「それはこっちのセリフ。それに王家が治めているとはいえ、夜にこの領地を出歩くのは危ないわ。というか、こんな夜中に何しているのよ」
 メイデンは、なんだか不機嫌そうだ。
「噂をすれば影って本当なのね」
 苦々しく言葉を吐くメイデンに、
「なあ、メイデン? 美術品に詳しいのなら、ミレイっていう画家を知っているか?」
 聞き耳を立てたのをバレないように、話題を逸らそうと、キトルスの絵に話を振った。
「ミレイ? ミライ・ミレイのことかしら? だったら、かなり有名よ。教科書に載るレベル。灰色の魔術師って呼ばれている画家だわ。聞いたことないかしら?」
 さっきまでナナメだったメイデンの機嫌が良くなったように聞こえる。自分の専門分野を話すと機嫌が良くなる性格のようだ。無事、話題がそれて、安心する。
「それって、相場はどれぐらいで取引されているんだ? もし、お前だったら、いくら出す?」
 あいつ、弁護士って言っても、サラリーをもらっている立場だ。就労時間の割には収入が少ないらしい。これもまた愚痴の内容である。月賦払いとはいえ、そんなに高い絵のはずがない。もし、高い絵なら、あいつはバカみたいな借金を背負っていることになる。
「相場……? バカね。ミレイの絵がオークションに出されたら、一大ニュースになるわよ。出回っているはずがないわ。もし、あたしが手に入れたら、速攻で美術館に寄贈する。みんなに見てもらいたいからね。それぐらい素晴らしい画家なの。ねえ。どうしてそんな話をあたしに振るの?」
 彼女の知識はどこから湧いて出てくるのか? 感心しつつも、酔いどれキトルスの発言の矛盾に疑問を覚え、
「なあ、オレのものじゃないけど、絵画の査定ってしてもらえるか?」
 頭を掻きつつ、尋ねた。
「話が皆目見当つかないけど……。あんたのお願いなら聞くわ。で、お代は何をくれるのかしら?」
 さすが、ブラック・メイデン。商魂たくましい。

 借別荘でオレが作った夜食と朝ご飯をたっぷり食べたメイデンは、まだ暑くならないうちにキトルスの住むマンションへ一緒に向かった。
 寝起きのキトルスは、二日酔いでツラそうだったが、週末というだけあって、比較的のんびりとしていた。
 売人であるメイデンを見たキトルスは、ギョッと驚き、固まった。
 相変わらず、失礼なヤツ。正直者といえば、そうかもしれないが。
 それに気にする様子もなく、メイデンは玄関に飾られた絵を見るなり、
「あれが件のミレイの絵? 違うわよね?」
 と、憤りを見せた。
「違うって、どういうこと?」
 オレはオウムのように聞き返す。
「早とちりだったわ。この絵のコトではないわよね?」
 メイデンはオレのベストを引っぱる。
「いや、アレだけど?」
 オレの発言に、メイデンは今までで一番大きなため息をつき、
「あり得ない! あり得ない! あり得ない! なんですって? これがミレイの絵ですって? そんなことを言うヤツは、あの世でミレイに土下座して、地獄の業火に焼かれなさいよ!」
 頭を抱え、ぶんぶん振り回した。なんか、こういうオモチャ、あった気がする。
 変な思考は置いておいて。
「ニセモノ? これが? 有名な画商から買ったんだぞ。そんなハズない!」
 キトルスは咳き込みながら、反論する。
「はん! 有名って。有名でも無能はいるわ」
 ブラックも負けじと、強い口調になっていく。
「その無能な画商を教えなさい。ミレイの名を汚すなんて、信じられないわ。どうかしてる!」
 気がつきゃ、ブラックはキトルスの胸ぐらをつかんでいた。オレは必死に彼女を引き離し、キトルスに詫び、その場を後にした。

 メイデンをなだめるため、コーヒーのボトルをコンビニで買って、渡した。あー冷たい! と、楽しげに笑う。少し機嫌が良くなったようだ。
「キトルスのヤツ。メイデンが売人だからって、あんな態度をとらなくてもいいのに」
 街路樹の下のベンチで、オレはボトルのキャップを開ける。
「あんなのは日常茶飯事よ。気にしてないわ。それより、あの贋作の酷さの方がムカつく。最低、最悪。あんなのをミレイの絵だって言って、売る画商が存在するなんて、信じられない!」
 こいつ、自分が受けた侮辱よりも、絵に対する侮辱の方がイヤなのか。人のことは言えないが、やっぱり、どこかズレている。
 そして、お互い黙りこくってしまった。気まずい時間が流れる。
 この沈黙はしんどい。
「売人システムってものがあるんだな」
 沈黙を破るため、オレは昨日聞いたキトルスの話をメイデンに尋ねた。
「ええ。そうね。今はもうないけど。今いる売人たちの大半はそのデータベースに登録された人達の子孫になるわ。あー。そう考えると、あたしが最後に登録された売人になるのか。現在の売人の大半はデータベースに登録しようがないから」
「データベース?」
 オレは思わずオウム返しする。
「そうそう。犯罪者を健全な一般市民から守るために作られたデータベースよ。血液……まあ、いわゆるDNAね。一定の犯罪を犯すとDNA――正確には血――を登録させられるの。データベースに登録されると、公共施設や商業施設に入れなくなるのよ。今の売人たちの多くは子孫だから、そのデータベースに登録されてはいないし、そもそもそのシステムはもう使われていないから、自由に出入りできるわ。でも、一度、貶められた人たちは表の世界へはなかなか戻れない。公共施設である役所にいけないから、売人の子どもは戸籍が作れないでしょ。そうしたら、その孫も戸籍が作れない。そして、法律上、この国がルーツでないと、戸籍は作れないから、この国の生まれという証明をまずしなきゃいけないのだけど、自分の祖父母を知っている売人なんてごくわずか。だから、売人が戸籍を手に入れるのが非常に難しいの」
 ブラック・メイデンはボトルのキャップを開け、コーヒーを飲み、話を続ける。
「つまり、表の世界に行くのはとても大変ってわけ。大変な思いをしてまで表の世界に行きたいと思う売人は少ない。だから、今も裏の世界がある。暗殺者や危ないお薬を売る人たちがいる。人は楽な方に流れるものよ。ちなみにデータベースに登録される基準は不明だったらしいわ。裁判なしにお上が勝手に決めていたから。凶悪な性犯罪者が登録されなかったケースもあれば、先代の妃のドレスを汚しただけで売人に登録されたケースもあった。そういえば、今度、そのメイドの娘が結婚するのよね。結婚すれば、比較的簡単に戸籍が作れるのよ。良い人を見つけたものだわ」
 メイデンは大切そうにもう一口コーヒーを飲む。
「今じゃマントが売人の証ってされているけど、元々は因果が逆なの。家族に迷惑をかけたくない罪人がマントを身につけ始めてね。それが売人のイメージになっちゃって、どれだけ暑くても、大抵の売人はみんなマントを羽織るようになったの。そうでないヤカラもいるけどさ。この前の詐欺グループとか。でも、見て呉れでわかるでしょ」
 へえ……。そんな歴史背景があるのか。
 オレって、本当に何も知らないんだな。バカだ、オレは。本当に。
「ん? あれ。今、最後に登録された……って言っていたけど、メイデンはどんな罪を犯したんだ? 聞いた話じゃ、今の国王になってから、システムは廃止になったんだろう?」
 メイデンは一拍黙り込み、
「キミ、聞いても良いことと悪いことがあるの、知ってる?」
 暗い声でこう言った。
 あ、しまった。ネガティブすぎることを聞いてしまったか? オレの心臓は早くなる。
「ま、いいけど。あたしが売人になった理由か……。【あたし】だったから、かな。そうとしか思えないわ。生まれてきたそのものが罪だったのかも」
 メイデンの声は少し涙ぐんでいた。
「ご……ごめん……」
 彼女の踏み込んではいけないところだということに、早く気がつけばよかった。
 ああ、オレのバカ!
「別にいいわよ。あたしの問題だから。背負わせるつもりないし。キミの今の立場も、十分重たいでしょ」
 メイデンは自虐する。
「ついでだから、言っちゃうけど、元々、あたしは商品だったの。扱いは売人ですらなかった。でも、ブラックの長やブラックのみんなのおかげで、あたしは春を売らずに済んだのよ。このマントもね、長が仕立ててくれた。貧すれば鈍ずる。お前の鋭い勘を鈍らせないために、良いマントを羽織れ、と」
 メイデンに仲間がいるのか。それは彼女の救いだったのだろうか。まあ、オレもその一人だといいのだけど。
 携帯電話が鳴った。キトルスからだ。慌てて、通話ボタンをスライドさせる。
「もしもし? ジェットだけど」
「ああ、さっきはすまなかった。酔いがキツくて、当たってしまって。なあ、さっきの売人の子、連れてきてくれないか? 謝りたいし、話を聞きたい」
 オレは返事をすると、ちらり、メイデンの方を見る。
「分かっているわよ。もちろん、行くに決まっているでしょ」
 メイデンはマントの下の口元だけでも分かる、したり顔をしていた。

「すまんかった」
 オレたちが玄関を開けた途端、キトルスは流れるように土下座をした。
「ホント、ごめんよ、嬢ちゃん。あんたの目利きは確かだった」
 顔を上げたキトルスは、気持ち悪いぐらい泣いていた。
「あの……。あたし、嬢ちゃんって言われる年齢じゃないんだけど……」
 メイデンは明らかに動揺している。
「そういえば、メイデンって年齢いくつなの? 十八? 十九?」
 俺の質問に驚いたのか、メイデンは少しよろけ、
「えっと、二十五になったけど、それが?」
 バランスを戻しながら、答える。
「え、オレより年上なの?」
「キミの誕生日がまだ来ていないだけ。同い年よ。昨日がちょうど誕生日で……。って、こんなのはどうでも良いわよ。今はミレイの絵の話!」
 メイデンはオレの背中を思い切り蹴り、
「で、泣きじゃくって、どうしたの。一方的に謝られても、ワケがわからないわ」
 闇夜に走る光線のようにキトルスに聞く。
「ニセモノの可能性があるんだ。ミレイのサインが違うんだ」
 キトルスは目元を押さえる。
「サイン?」
 オレたちはハモる。
「あのあと、不安になって、美術館のホームページをいくつか回ったんだ。そしたら、すべてあの絵とサインがちょっと違うんだ。コレはニセモノで、オレは騙されたのか……?」
 深くため息をついたメイデンは、
「とりあえず、落ち着きなさい。そして、あんたが買った画商を紹介して」
 自身の頭を指でコンコンと叩く。
「一体、どうするんだ?」
 オレは尋ねる。
「簡単よ。突撃するだけ」
 彼女の声はイタズラを楽しむようなものだった。

 画廊は高級百貨店がいくつも並んでいる地区にあった。セレブリティがたくさん集まるところだ。とてもじゃないが、売人が歩ける場所ではない。一般市民ですら、来るのに勇気がいるところだ。ちなみに、一応、セレブリティに属するはずのオレでも、ここに来るのは、割と勇気がいる。
 ここに来るまでメイデンは嘲りをずっと受けていた。
 人々の冷たい目線はとても痛い。
「大丈夫よ。もう慣れている」
 そんな彼女の言葉がつらかった。
「さ、入るわよ」
 画廊の入り口に来たとき、警備員が、
「売人はお断りだよ」
 メイデンの腕をつかんだ。
「おや、あんたも詐欺に加担しているの?」
 警備員の手を振り払ったメイデンは、逆に警備員の腕を捻る。
「詐欺……だと……?」
「ええ。詐欺よ。贋作を売るのがここの画廊なの? 最低ね」
 動揺した警備員から離れると、メイデンはプリズムみたいに派手な大声をあげた。
 街を歩く人たちの足が止まった。そして、ざわめきはじめた。
「詐欺って一体どういうことだ?」
 恰幅の良い男が画廊から出てきた。ここの画商だろう。ハゲていて、こんなおっさんにはなりたくないという風貌だ。着ているスーツはパツパツでみっともない。
「ミレイの絵をオトギリ伯爵のご友人に売ったのは、アンタ?」
 メイデンは声を張り上げる。
「なんだ、この無礼な売人は? お前たち、さっさとこいつを……」
 画商の声をオレはとっさに、
「あの、彼女の話を少しだけ聞いてもらえますか?」
 と制止した。
「ぬわ、オトギリ伯爵がどうしてここに? 売人になにか吹き込まれたんですか!」
 画商は顔を真っ赤になっている。つばがこっちまできそうだ。
「そんなの、どうでもいいですよ。とりあえず、五分だけでいい。彼女の話を聞いてください。お願いします」
 オレは思い切り頭を下げた。
「頭を下げる必要ないのに。あんた、自分の立場の重み、分かってる?」
 メイデンは自虐的にため息をつく。頭を上げたオレを一瞥したメイデンは
「でも、せっかく、時間を頂戴したのだから、質問をいくつかしましょうかね!」
 まるで灼熱の太陽のように高笑いした。
「い……一体、何がおかしい?」
 画商は少し動揺している。まあ、オレも動揺する。
 それを気にとめず、メイデンは、
「ここで買った絵について尋ねるわ。ここにミレイの絵が売られていたそうね? それは本当なの?」
 ガラス片のように鋭い声で聞いた。
 今まで、ブラックに対して冷たい視線を送っていた人々はどよめきはじめた。
 ミレイはそれほどまで有名なのか。
 一方の画商は黙ったままだ。
「【はい】か【いいえ】で答えられる問いなのに、どうして答えられないの?」
 メイデンは思い切り画商を煽る。画商は真っ赤な顔で、
「う……売っているはず、ないだろう! そんな貴重な絵を私が……」
 こう反論する。
「じゃあ、これは何?」
 メイデンは、キトルスからもらった領収書と月賦払いの契約書をひらひらとさせる。
「ここにはミレイの作品って書いてあるけど?」
 画商はメイデンが持つ二枚の書類をぶんどると、さっきと打って変わって、青ざめ、
「あ……ああ。これね。これか。売ったよ。投資に使えるって売った」
 と、さっきと真逆のことを言い始めた。
「言っていることがあべこべよ。売ったの? 売ってないの? どっち?」
 ブラック・メイデンの声はレーザー光線のように鋭くなっていく。
「彼には売った。彼の上司が言うには、その青年は有望だからって。投資目的で売った」
 画商のくちびるはブルブル震えている。
「でも、あれ、明らかなニセモノよ。よく見れば、トーシロの人ですら見抜ける贋作よ。あたしなら一発で分かるレベルの酷いものだったわ」
 メイデンのこの言葉に、表情が明るくなった画商は、
「あははははは! 売人のお前の何が分かる? 無学で何もモノを知らない売人ふぜいが! あの絵は今から二十五年前に書かれたミレイの最後の作品なんだ。どこにも公開されていない幻の作品なんだ。それを前途多望な青年に買ってもらったんだ! 将来、彼はあれを売って、大金持ちになるんだ! どうだ! お前みたいな下賎なヤツには分からないだろうがな!」
 ガハハとまるでガキ大将のように笑う。
 まさか、立場がキチンとしていれば、本物と偽物を見分けがつくと言っているのか? こいつはメイデンは売人だから、節穴だと言っているのか。それにしても、さっきと言い分が違う。統一感がなさすぎる。正気か?
 メイデンの方を見ると、彼女は首を捻っていた。
「ねえ……ちょっと待って。ミレイが死んだのは、今から三十年前よ。死んだ後に絵なんて描けるのかしら?」
「え?」
 画商やオレも含め、その場の全員が凍り付いた。
「ねえ、メイデン? それはどういう意味?」
 オレは耳打ちする。
「そのままの意味よ! ミレイはあたしの生まれるちょうど五年前に死んだのよ。命日があたしの誕生日だから、覚え間違いなんてするはずがないわ!」
 そんなに声を張り上げなくてもいいのに、っていうレベルでメイデンは声を上げる。
 オーディエンスにいた白いドレスを着た子連れの女性が、
「今、調べたけど、その黒い売人の子の言う通りでした! 亡くなったのは三十年前です!」
 携帯電話片手に、叫んだ。
 他の人々も携帯電話で調べはじめる。
「どこまであなたは本当のことを話していたの? ウソをウソで固めると、結局、矛盾だらけになるわ。身を滅ぼすのよ」
 足が震え、へたり込んだ画商の胸ぐらを掴み、メイデンはド正論を吐いた。
「これでも、まだ言い訳をするつもり? できるものなら、しなさいよ」
 メイデンの言葉は血だらけのガラス片のようだった。

 直後に、誰かが通報したのか、画廊に警察が来た。そして、メイデンはそのまま捕まってしまった。もちろん、身元引受人として、オレは彼女を迎えに行った。
 彼女が解放されたのは、それから半日後。もう日は暮れていた。色々あったらしく、メイデンはマントを脱がされてしまっていた。そして、その表情はかなりくたびれていた。
 メイデン曰く、はじめこそ、キツく聞かれたそうだが、根気よく話していると、美術館巡りが趣味の刑事さんも怒りを覚えたらしい。趣味の話で盛り上がるのは、どこも同じか。キトルスも警察で話をしているらしい。まあ、コイツは自分でなんとかするだろう。
「ああ、つかれた……。お腹減ったあ……」
 マントを羽織り、フードを深くかぶったメイデンに、
「なあ、飲まないか? 昨日、誕生日だったんだろう。祝おうよ。プレゼントとかいる?」
 と、提案した。
「あたし、アルコールを飲んだことがないんだけど」
 メイデンは即答した。
「え、マジ? 二十五だろ? もう立派な大人じゃないか」
 メイデンは、真剣な声で、
「あのね、あたしが住む世界は危ないの。下手したら、目の前には死が待っているの。アルコールは一種の麻薬よ」
 オレの胸に指をさす。
「そ……そうか。悪かったよ」
 理由はよく分からないが、残念だ。しょんぼりする。
「でも……。あんたがそんなに言うなら、飲んでもいいけど? 祝ってよ」
「え?」
 突然、真逆のことを言い始めたメイデンに、オレは驚く。
「ただ、あんたの家で、ね。パブはイヤよ。危ないから」
 メイデンの声はとても明るかった。

「これが酒なの? ジュースみたい。甘い。おいしい。もっと辛いと思ってた」
「林檎酒だからね。女性に人気らしいよ」
「へえ。よくお酒を炭酸で割るって聞くけど、こういうことなのねえ」
 オレたちはソファで並んで飲んでいる。もらった林檎酒なのだけど、オレには甘くて飲めなかった。女性に人気って聞いたから、メイデンにソーダ割りですすめたところ、かなり気に入ったらしく、これで二杯目だ。
 彼女はフードを外しているため、表情が分かる。とても明るい。顔は赤くない。オレと同じで酔わないのだろうか。
「おかわり、ほしいな」
 見れば、二杯目をもう飲み終えている。
「そんなハイペースだと一気に酔うよ」
「えー。いいじゃん。別にー」
 メイデンはオレに肩を回し、笑い始めた。彼女の身体はとても熱い。手を見ると、真っ赤だ。これは完全に酔っている。こりゃ、顔に出ないタイプで……しかも笑い上戸か。
 三杯目をのみはじめたメイデンは、とうとうくだを巻き始めた。
「うちの長がさ、オトギリ伯爵と会うなっていうけど、別にいいでしょ。あんた、楽しい人だもん。ちょっとバカだけど、頭は切れるし、カッコいいしさー。服には少し無頓着みたいだけど」
 それはどういう評価なんだ、メイデン。ま……嫌われてはいないようだ。ホッとする。
「こんなに純粋で真面目な人がいるオトギリ領はとてもいいところになるわ。秘書のヒジリさんも良い人だし、メイドさんも優しいし。あたしの母さんよりずっといい国にしてくれる」
 完全に酔いどれモードだ。意味不明なことを言っている。
「ずっとこのままでいたいわ。ずっと……」
「それ、どういう意味?」
 妙なことを言うメイデンを見ると、彼女は完全に眠ってしまっていた。静かに寝息をたてている。
 いくら真夏とはいえ、こんなところで寝ては風邪を引く。昨日泊めたゲストルームにメイデンを寝かすと、オレは、蒸留酒のロックの残りを飲みながら、テレビを付けた。
 ニュース番組が流れていた。メイデンの暴いた贋作のニュースだ。
「もうニュースになっているのか」
 オレは驚く。残り少なかった蒸留酒のボトルを空にすると、
「つまみ、作ろうか……」
 冷蔵庫を漁った。

 次の日の早朝、勢いよく鳴った携帯電話で目が覚めた。
 ヒジリからだ。
 電話に出た途端、
「まーた、ブラック・メイデンとアホなことしたんですね!」
 と、すごい勢いで、叫ばれた。
「アホ……って。キトルスが贋作につかまされたのを、メイデンが……」
 オレはしどろもどろになりながら、答える。
「で、そのブラック・メイデンは、今どこに? 旦那さまが引受人と聞きましたが。もしかして、別荘に泊めたんじゃないでしょうね?」
「え、そのとおりだけど……」
 オレの答えに、ヒジリは、
「はあああ? 何、考えているんですか? まったく。今、わたくしたちはクラリス領セントラル駅にいます。そのままでいなさい!」
 と、叱ると、一方的に電話を切った。
 なんで怒っているんだ?
 そして、オレは何をしたって言うんだ?
 そういえば、メイデンは起きたのだろうか。
 ゲストルームに行くと、彼女はまだ寝ていた。とても穏やかに寝息をたてている。
 こんなに無防備なメイデンを見るのは、はじめてだ。
 かわいい。
 顔がほころぶ。
「あのですね、旦那さま。普通、男性が女性を家に入れるものじゃないんですよ」
 振り返ると、鬼の形相のヒジリがいた。
「その様子じゃ、何もなかったようで安心しました。あんたら、無防備すぎるんですよ。どうかしているレベルで。ガキですか」
 どうしてそんなに怒っているんだろう。しかも「あんたら」って……これは完璧、子ども扱いだな。どうしてだ?
「とにかく、うちの妻を連れてきたんで、彼女については任せておきますからね!」
 ヒジリはオレの腕を引くと、ゲストルームから出た。

 やっと起きたメイデンとオレは、ヒジリの奥さんが作った料理を食べた。メイデンに対しても、ヒジリが強く怒るので、ヒジリの奥さんが制止する一幕があった。しかし、奥さんが作る朝食があまりにおいしかったようで、機嫌が戻ったメイデンはおかわりを三回していた。
 やっぱり、彼女はよく食べる。

 朝食を食べ終えたあと、長居はできないと、メイデンは早々に身支度を始めた。
 ヒジリは帰りの切符を予約、ヒジリの奥さんは皿を洗っている。
「もう少しいればいいのに」
 手持ち無沙汰にオレは言うが、
「ううん……。これ以上、誤解されるのは、迷惑じゃないかしら」
 メイデンはレッグポーチをつけながら、苦笑いする。
「誤解って?」
「分からないならいいわ。ああ、そういえば」
 メイデンは、左手の平を右の拳で、ポンと叩くと、
「あたし、まだプレゼント、もらってない」
 いたずらな目でオレを見た。
「え……っと。何がほしい?」
 オレは考え得る限りの女性の欲しがるプレゼントを考える。
 高価な服だろうか。宝飾品? 彼女の趣味なら、絵画とか? 想像つかない。
「迷惑じゃなければ、あなたにあたしの名前を呼んでほしいの。一度で良いから。ねえ、キセキって呼んで」
「え……キセキ?」
 彼女は少し顔を赤らめる。
「うふ、ありがとう。あたしはブラック・メイデンだけど、名付け親からもらった名前はキセキっていうの。ずっと隠してきたけどね。今、呼ばれて思ったのだけど、あなたには、これからもキセキって呼んでほしいな。でも、これ、やっぱり、誤解されるかしら」
 キセキの声はどこか弱々しい。
「誤解ってなんだよ。な、キセキ。また、会えるだろうか」
 オレは明るく、彼女の名前を呼ぶ。
 キセキはたおやかに微笑み、
「あなたがそう願えば、きっと。じゃあね、ホタルくん」
 そう言うと、フードを深くかぶり、別荘の玄関を開けた。
 玄関の外は、真夏の朝らしい、強い日差しが降り注いでいた。

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