ブラック・メイデン:第五話 オービットオブザーバー

「して、このカーシェアなるものについて、教えてほしいだがの」
 上品なデザインで鈍いワインレッド色のベストを着た男性がきらびやかな応接室でオレをじいっと見る。長く真っ黒な髪に鋭い夏の日差しのような目は冷汗三斗の思いにさせる。足はまるで生まれたての子鹿のように心許ない。
 男性にキレイと評するのはどうかと思うが、涼しげな水色の目はキレイとしか言いようがない男性だ。そして、今のオレに会う資格があるのかわからない、いわゆるやんごとなき存在。
 そう。今、オレをにらみつけているのは、この国を治めているエリス国王。その人である。
「えっと……その……」
 国王のまぶしすぎる太陽のような視線に、オレはとまどう。資料を持つ手が震える。
「陛下。悪いクセがでております」
 隣にいたスーツ姿の老婆が国王に進言する。
「なんと。そんなにわたしの目は怖いのか?」
「ええ、もちろん。真剣にオトギリ伯爵にお尋ねしているのは、分かっておりますが」
 どこかで聞いた会話だな。まるでオレとヒジリのようだ。あるあるネタなのだろうか。
「オトギリ卿よ。すまなかった。ちょっと深呼吸をさせてくれ」
 国王は大きく息を吸い、吐くと、視線は優しい太陽の光になった。
「このスポイルという者が行っている事業のカーシェアというものが、最近首都で流行っているのだ。特に高級車のシェアリングが流行っているらしい。貸主は車代の維持費どころか、元が取れるレベルで儲かるし、借り手も高級車が乗れるという満足感が得られるという。こんなうまい話はまことだろうか。元老院でもやっている者がいて、良い商売だと広告塔にもなっているのだ」
 国王が見せた資料は「スポイルシェアリング」という会社のチラシだった。「憧れの高級車で、思い出作りを」と書かれている。これは借り手側のチラシらしい。
 高級車か。あんまり興味がないな。地元の企業の車に乗ってはいるけど、それほど車に思い入れはない。どれだけ高い車に乗っても、嫌な人間と乗っていたら、楽しくないし、安い車でも、キセキとだったら、どこに行くにしても、きっと楽しいはずだ。
「ん? どうした? そんなにこの話はつまらないか?」
 ああ、オレも悪いクセが出てしまったようだ。
「申し訳ありません」
 オレは頭を下げる。
 そして、思ったことを正直に話した。
「こんなので儲かったら、うちの財政ももう少し楽になります」
 オレの返事に国王は、ふうむ……とうなずく。
「確かにそうかもしれないが、実際、首都の景気はいいのだ。ただ、虫の知らせ、というと、変な言い回しだが、嫌な予感がする。ということで、スポイルシェアリング社について、ちょっと調べてくれないか?」
 は? 国王直々に調査しろとの命令だと?
「あの……これ、オ……いや、わたくしには力不足だと思うのですが」
 正直に答える。そりゃ、首都の大学は出ているものの、そこでは薬学の勉強しかしていない。会社経営とか経済とか専門外。ハッキリ言って、知らないぞ、こんなの。
「ふふふ」
 国王は不敵な笑みを浮かべる。
 え、なに。怖い。
「アベルシティだったか。オトギリ卿よ。お前は、ひとつ間違えれば、国家を揺るがす大事件を解決しただろう。だから、お願いしている。それをやってのけた実績を買っているのだ。それに、わたしは簡単に人を信用する人間ではないぞ。それほど、お前を買っているのだ。どうか、やってくれないだろうか」
 国王は立ち上がり、頭を下げた。
「ちょ……は? え……。頭を上げてくださいませ!」
 オレも立ち上がり、挙動不審になりながらも、国王の頭を上げようとする。
「じゃあ、やってくれるのだな?」
「えっと。はい……」
 そもそも、オレの領地で起きた事件を解決しただけの話だ。もし、このまま放置していたら、オレが責任をとらされていたに違いない。少なくてもオレはヒーローではない。
 事件を解決したのは、ブラック・メイデン……そう、キセキだ。
 それを言う機会を失っていることに気がついたときには、もう時すでに遅し。
 さて、どうしようかな。
 お人好しすぎて、断り切れないオレのバカ。

 あれから一時間経った。国王から首都に呼び出されて、何事かと思ったら、こんなよく分からない会社の事業について真偽を確かめろって。
 ワケがわからない。
 無茶言うなよ。いくら陛下とはいえさ。ただの若造には荷が重たすぎる。
 冷静になればなるほど、胃が痛くなる。
 キセキがいたから、今までの事件が解決できたのだ。戸籍がない売人は首都に来られるはずがない。彼女ナシで、どうすればいいのか。
 この事件はオレ一人で解決しなきゃいけないのか? はあ、どうしようかな。
 薄暗い本屋で、知識として知っておかねばと、車の雑誌を見繕っているときだった。
「え、キミもカーシェアリングに興味があるの?」
 ダイアモンドに照らされたようなキレイな声が聞こえてきた。
 え? まさか。
 振り返ると、薄汚れた黒いマントを着て、よく使い込まれた大きな工具入れを持ったキセキ――通称、ブラック・メイデン――がそこにいた。いつも通りフードを深くかぶっている。
「え、どうして? ここは首都だぞ。どうして入れるんだ?」
 オレはとても驚いて、腰が抜け、尻餅をつく。
「あたし、機械修理には自信があるって言ったでしょ? この本屋の時計が壊れているから、直しにきたの。わざわざ指名してきたのよ。あたし、有名になったのかしら。すごいわよね。なんて。うふふ。不正に入ったワケじゃないから、安心して」
「は……はあ」
 キセキの差し出す手を頼りにオレは立ち上がると、
「なあ、スポイルシェアリングって会社、有名なのか?」
 こう聞いた。
「有名も有名。首都ではこの話題でもちきりよ。不気味なぐらいにね。車の他に、ブランドもののカバンや、宝石のシェアリングサービスもやっているみたい。あたしは美術や工学の勉強はしてたけど、こういう話なんて、さっぱりだから、この程度しか知らないわ。その分じゃ、誰かに頼まれたんでしょ? もう、お人好しなんだから」
 キセキは楽しげに笑う。
「本なんて買う必要なんてないわ。その雑誌は『自動車』の話しか書かれてない。あたしの情報を買った方が良いと思うけど。どうする?」
 オレは買おうと思って手に持っていた雑誌を戻す。
「あはっ。信用してくれているのね。ありがたいわ。んじゃ……。ここで情報や金銭のやりとりは危険だから、別の場所、用意してくれないかしら。渡したいものもあるし」
「分かったよ。うちの別宅へ行こう」
 キセキのいう証拠を一刻も早く見たい。
 で、別宅に向かう道中、気になることを聞いた。
「なあ、キセキ? 首都に呼ばれるだけの工学の知識があるなら、研究者とか、開発者とか、そういうのにはなれないのか?」
「うう……。それを聞く? 前にも言ったけど、人には聞いて良いことと悪いことがあるのよ」
 キセキは澄んだ声で言葉をにごす。
「まあ、簡単に言えば、自分は名誉とか出世とか政治とかそういうのに興味ないの。キライと言ったほうが正確かも。そのせいで殺されかけたし。ま、確かに表の世界に戻ってもいいのよね。自分で言うのもなんだけど、腕はあるから、最近、勤め先をいくつか紹介されてはいるのよ。戸籍を作るから、売人稼業から足を洗ってもいいんだよ、って言われている感じかしら」
「ふうん」
 例え話すぎて、ワケの分からない話だな。でも、深入りするのはよそう。

 芸人ばりのオーバーリアクションをしたヒジリをひとしきり笑ったあと、別宅の応接室にキセキを通した。
「これが証拠……になるのかな」
 キセキが出したのは薄汚い黄色のマントを羽織った売人の写真だった。痩せこけてまるでゾンビのような顔色の悪さだ。
「このスポイルって男、元々売人だったの。麻薬を売っていたわ。金を融通して、どこかで戸籍を買って、成り上がったって、売人たちではとても有名な話よ。売人の中でも、スポイルは、バツグンに金儲けが得意だったわ。金に関することなら、非常に頭の回る人間で、勉強する男なの。どこのコネだか、レイン伯爵から資金を調達して、事業を興して、成功したわ。そういえば、レイン伯爵って、元老院の議員もやっていたはずよね。だから、レイン伯爵から戸籍を買って、首都に入れたんじゃないか、ってあたしたちの中で話題になってたわね」
 勢いよくしゃべったキセキは、フードを外す。
「それで肝心のシェアリングサービスなんだけど、元々持っていたものをシェアするのではなくって、まず買わせるのよ。バッグなり、車なり、ジュエリーなり」
 キセキはマントの下から、少し土埃がついたパンフレットを見せた。様々な高級車の車種が書かれている。オトギリ領にある会社の車種もいくつも書かれてあった。値段は高い。無茶苦茶高い。もしかしたら、オレの領地で一軒家……とまではいかなくても、土地は買えるかもしれない値段だ。
「メインの儲けはこっちなの。もちろん、一括で払える人間なんて、貴族でも無理だから、ローンを組むわけ。でも、今持っている確かな情報はこれだけ。だから、ここまでのお代しか受け取らないわ」
 自信満々だったキセキの表情は少し暗くなる。
「でね、ここからは『不確か』な情報になる。情報があっても、その真偽が分からないの。結構調べたのだけどね。あたしじゃ、一次ソースが見つからなかった。で、一緒に考えてほしいわけ。三人集まればなんとやらって言葉があったはずよね。まあ、ここには二つしか頭はないけど、どうにかなるでしょ」
 キセキはそう言い、マントの中から書類を二枚取り出した。
「二枚ともシェアリング用のカーローンの契約書なのだけど。まず、これね」
 彼女は一枚の紙を指さす。
「私用文字で書かれているもの。それで」
 キセキが指すもう一枚の契約書は……。
「あれ、これ。公文文字じゃないか」
 実際に市民が使っている文字――私用文字と呼ばれる――と聖書や公文書で使われている文字――公文文字――は違う。文法も微妙に違う。公文文字を読める人間は聖職者や役人、貴族など限られている。オレも仕事柄、公文文字は読める。統一すればいいのに。そうすれば、もっと色んな人が仕事にありつけるはずだとつねづね思っているが、それはともかく。
「私用文字で書かれたものと公文文字と内容が違うのよ。勧誘すれば、紹介料がもらえるシステムだと書かれているのだけど、ご覧の通り、私用文字より公文文字の金額の方が高いのよ。十倍の値段ってすごいわよね。で、私用文字は原本そのものを仲間が買ってきたから、本物なの。でも、公文文字の方は正確かどうかが分からないわ。これは出所不明のコピーでしかないからね。ねえ、どう思う?」
 それから、キセキは次々と差異を指摘していく。
 ふうん。なんでこんな差をつけるか分からないけど、貴族たちを優遇しているんだな。そら、国王も気にする話だ。
 って、あれ。
 ふと、ある疑問が起きた。
「なあ、お前さ。どうして、文字が読めるんだ? 公文文字までを読める一般市民なんて、役人ぐらいだろ」
 オレの問いに、キセキの挙動は明らかにおかしくなった。そして、フードを深くかぶる。
「い、今はそれを聞く必要あるかしら? キミが誰かに頼まれたことを手伝っているコトを考えてよ。ほら、あたしのことはどうでも良いでしょ」
 はぐらかされた。まあ、無礼なことをしたな。
「分かったよ。悪かった。話を戻すけど、キセキ、君が言いたいのは公文文字と私用文字で内容が違うのが出回っている。私用文字は原本だけど、公文文字のは原本と同じかどうかが分からないってことか」
 キセキは再びフードを外し、
「そうそう。そういうコト。でも、『文字が読めるはずがない』売人であるあたしが投資するって言って、スポイルが信用するはずないでしょ。自分だって元売人なのだし。【ブラック】に目を付けられたらおしまい、って話があるぐらい、あたしたちの情報網はすごいのよ。警戒するに決まっている」
 空色の目で、オレを見た。
「なあ、この前もなんか言っていたけど、【ブラック】とか、なんとかって何? 長が云々言ってたよな?」
 オレの質問に、
「あれ、言ってなかったっけ? 売人の中でも【ブラック】っていうグループがあるの。【黒き情報屋】って呼ばれているわ。表現は難しいけど、情報屋のチームみたいなものね。って言っても、きちんとした組織ではなくて、結構ゆるい集まりなのだけど。あたしはその中でも、最年少だから『ブラック・メイデン』なの。長はブラック・レディよ。長は売人の中じゃ、最強レベル。一番敵に回しちゃいけない人。気をつけてね」
 う……。そんなヤツがいるのか、怖い……。
 背筋が凍るオレを知ってか知らずか、キセキは話を続ける。
「でさ、スポイルは金に関することなら、本当に頭は回るから、私用文字をある程度読み書きできると思うけど、ホタルくんの言うとおり、一般市民は公文文字を学ばないわ。学べないといった方が正確ね。限られたところでしか使われていないのだし」
「ほう……。それってつまり……」
 オレの問いに、
「そう、この公文文字のほうの契約書が本当に使われているのであれば、スポイルのシェアリングサービスで、この国のお偉いさまも関わっていて、かつ儲かっている、ってことになるわね。ってことで、おとりになって」
 キセキはうなずく。オレも同調してうなずいたあと、
「え、おとり?」
 びっくりして、ソファから転げ落ちる。
「そうよ。さっき、言ったはずだけれど。あたしの身分じゃできないって」
 たしかに。たしかにそうなのだが……。
「知恵と資金は貸すわ。ね、お願い!」
「ってもなあ……」
 オレはソファに座り直すと、頭をかく。
「それに、あたしがこの書類渡さなかったら、あなた、詰んでたでしょ。あの普通の『車雑誌』を読んで、さてどうしようか、って、頭抱えていたはずだわ」
 キセキはフードをかぶると、窓辺へ行き、国王が御座す、真っ白に染められた豪華絢爛な煉瓦造りの城を眺める。
 確かにそうなんだよな。まさか、首都にキセキがいるだなんて思ってもみなかった。そして、彼女がいなかったら、何もできなかった。
「まあ、簡単に言えば、キミにしてほしいのは、あたしのお金を使って、スポイルに近付いてって話。ちょうど、あたしも携帯電話を手に入ったから、いつでもコンタクトが取れるように、連絡先交換しましょ」
 振り返ったキセキの手には、この前発売されたばかりの新型の携帯電話があった。
「は……はあ」
 収入が入ったからって、今時、身元保証がされないと、犯罪の温床になりかねないってことで、簡単に携帯電話の契約なんてできないのにな……と思いながら、キセキと連絡先を交換した。

 ってことで、スポイルシェアリング本社の前にいる。オフィス街の中心だ。
 摩天楼って本当にあるんだな。すべてのビルが見上げるほど高い。その中でも一番、スポイルシェアリングの本社ビルが一番高い。よほど儲かっているとみた。
 一応、オレの金から出すとは言ったけど、キセキの「もし本当だったら、あたしだけ損になるのはイヤ」「儲かったら、あたしと山分けしましょ」とか、商魂を見せつけられ、色々言いくるめられて、結局、ローンの元手はキセキのものから出すことになった。彼女の出した金額は、驚くことに、それなりのオプションをつけたメジャーな車種の新車が買えるものだった。結構、儲けているんだな。オレからの分の売上もあると思うけど。
 ビルに中に入り、受付嬢に挨拶していると、
「おお、これはオトギリ伯爵、あなたも来られるとは」
 キセキの写真で見た男――スポイルだった。キセキの写真と違って、ビシッとスーツを着こなしているが、貧相な痩けた顔は死神みたいで不気味だ。汗でべたついた頭皮にニヤついた顔はとても気持ちが悪い。男であるオレすら、気持ち悪いと思うのだ。女性から見たら、歩くセクハラと言われかねない笑みを浮かばせている。
「立ち話もなんですし、応接室へ案内します」
 何の疑いを持つ様子がないスポイルはへこへこ頭を何度も下げながら、奥の部屋へ案内してくれた。元がつくとはいえ、売人だから、情報が入っているかもしれないと思っていたが、そうには見えなかった。オレが売人とつるんでいるのを知らないのだろうか。
 案内された応接室は、成金を絵で表したぐらい下品なものだった。金ぴかなどこかの神さまの偶像に、宝石でできた絵画がいくつも並んでいる。ソファの生地はとてもいいのだが、深く沈むので、若干座りにくい。
 豪華さで比較すると、国王陛下の応接室より豪華である。しかし、趣味の悪さが出てきている。もし、ここにならんでいるものをキセキが見たら、いくらで査定するのかな。オレでも分かるぐらい成金主義の部屋なのだ。きっと彼女は失神するだろう。そんな変な想像して、心の中で吹き出す。
「あの。高級車を買って、それを別の人に貸し出せば、その賃料で儲かる話を聞いたのですが、それは本当ですか?」
 オレはカバンの中から、国王からいただいたあのパンフレットを取り出した。
「ええ。そうです! 本当です」
 スポイルは満面の笑みを浮かばせる。
「事業……っていうのでしょうか。どうやってそんなに稼げるのですか?」
 オレは感情を表にださないように気をつけながら、スポイルに尋ねる。
「そもそもカーシェアリングをご存じですか?」
 スポイルは質問で返してきた。こういうの、苦手なんだよ。
「聞きかじっただけですが、元々はシェアリング登録した会員が車を借りるものですよね? でも、レンタルカーと違いがよく分からないのですが」
 オトギリ領は車社会なので、このサービスはそんなに普及していないのだけど。
 スポイルはご機嫌な顔でオレを見る。
「大体はそうですね。違いですが、レンタカーは不特定多数に長時間貸すものですが、カーシェアリングは短い時間、会員に貸し出すものです。なので、普段使いによく使われます。首都はオトギリ領と違って、地価が高いので、駐車場代がバカにならないんですよ」
 なんか、田舎者扱いされた感じで、ムカつく。
「で、わたくし共がやっておりますカーシェアリングは、自分の車を貸す形になります。個人間のカーシェアになりますね。まず、高級車を買ってもらい、それを我が社で管理します。貸し出しやメンテナンス、車検までキチンと行います。その手間賃は頂きますが、それ以外の賃料は持ち主である方にお支払いするという形になります」
「ん……と……」
 頭が混乱してきた。ここにキセキがいてくれたら、どれだけ心強いか。まあ、いないのは仕方がない。
「ローンを組んで、自動車を買うことになりますが、その一割を謝礼としてお渡ししますし、毎月のローン代金と賃料の五%を謝礼としてお支払いします。契約満了時にも謝礼をお支払いいたします。はじめこそ、借金をすることになりますが、必ず儲かる仕組みです。さて、オトギリ伯爵、どうしますか?」
 話がややこしい。まあ、車を買ったら、その分キャッシュバックするぞみたいな話だろうか。こんなにもうさんくさいヤツにキセキのお金を出すのは忍びないし、ましてや自分の金を出したくない。そういう思考が走り、一瞬躊躇したが、
「ええ、やってみます」
 オレは恐怖心を顔に出さないように、慎重にスポイルにお願いした。
「ああ。嬉しいです! いずれ、このサービスをオトギリ領でも行わせてください!」
 こんなの、誰が領民にやらすか、バカ。
 それに土地柄、自家用車を複数台持つ人は多いため、そもそも借り手が存在しない。そして、そんな不安定なもうけ話、だれも信用なんてするか。
 オレは領民を信じる。
「では、どの車種にいたしましょうか……」
 オレは必死になって、思考が顔に出ないように気を張っていた。そのおかげか、スポイルはオレの不機嫌さに気がついていないようだ。上機嫌でスポイルは持ってきたファイルから、パンフレットを取り出す。
 一つは外車、もう一つは我が領地の一流メーカー。
 どっちを選ぶかといえば、そら、後者。決断力が早いですね! とおべっかを言うスポイルが心底イヤになる。
 スポイルは、売買契約書を持ってきて、
「同一内容ですので、一枚読めば大丈夫です。サインはどちらにもしてください。もう一枚はお客さま用なので、どうぞお持ち帰りください」
 スポイルは仰々しくオレに渡した。
 文字は公文文字だった。内容はキセキの持ってきたものと一言一句同じだった。自信がないって言っていたけど、そうでもなかったじゃないか。
 オレは万年筆で、両方にサインした。
 次にローン契約をした。普通より金利が高いように思える。キセキのお金をいれた通帳を見たスポイルは、
「そんな大金をお持ちなんて、さすが、オトギリ伯爵」
 満足げに気持ち悪く笑う。気持ち悪いなあと思いながら、ローンを組んだ。
 スポイルはビルの出口まで、何度もお辞儀をしながら、ピッタリついてきた。
 もういい加減にしろと怒りのゲージは貯まっていくが、それが顔に感情が表れないように、破裂しそうな心臓を押さえつつ、ビルを出た。
 スポイルの姿が見えなくなるまで、息が詰まる思いで歩いていた。
 夏至は過ぎているが、夕餉の時間近くというのに、外はまだ明るい。
 首都だけあって、まだ人の往来は多く、居酒屋とかバルが盛り上がっていた。
 その人々を見ながら、お金を出したキセキに対して、こんなヤツに金を出して良かったのかと妙な罪悪感を覚えていた。
「どうだった?」
 キセキの声でオレの心臓ははねた。
「わ、驚かすなよ!」
「いやあ、あまりの挙動不審さに、どうしたのか不安になっただけよ」
 キセキはいつも通りフードを深くかぶっていた。その中から見える笑みは、どこか楽しげだ。
「結果が聞きたいけど。こっちも調べたことがあるの。ここじゃ、人が多いから、また、お邪魔してもいいかしら?」
 キセキにオレはうなずいた。

 夕餉を一緒に食べたあと、自室でオレがもらった契約書をキセキに見せた。
「まったく同じね」
 黒のマントではなく、深緑のワンピースを着て、化粧されたキセキはいぶかしげに、その契約書を見る。この前同様、メイドの着せ替え人形になっていたようだ。
 オレはスポイルが話したシステムを覚えている限り、ていねいに話した。
 話を聞きながら、キセキは頭を数回トントンと指で叩く。
「へえ。そんなことになっていたの。でもなんか変。車を買って、人に貸し出すだけで商売って成り立つかしら? ホタルくんの話だと、毎月のローン代も支払ってくれるんでしょ? それじゃ、もし貸し出しがなかったら、儲かるどころか、赤字になるわ」
 確かにそうだ。スポイルの気持ち悪さに気を取られていて、考えが至らなかった。もっと聞けば良かったかな。
「それに、いくら高級車を貸し出すと言っても、その賃料があまりに安すぎるのよ。薄利多売というのかな? たくさん貸し出すことでもうけを出しているってコトなのかしら?」
 不思議なことを言った。
「え? それはどういうことだ?」
 オレは思わず聞き返す。
「だから! 高級車を貸し出すには安すぎるの。しかも借り手の会員になるのは簡単。多分、あたしでも会員になれるわ。運転したことないから、乗れないけど」
 キセキは、薄汚いカバンの中から、乾いた泥だらけのファイルを取り出す。
 その中から三枚枚のチラシをオレに見せた。一枚はスポイルが見せたものと同じ。残りの二枚には車種と賃料が書かれている。スポイルの会社のと、もう一枚は競合他社のものである。スポイルの方は他社と違って、分単位でも月単位でも借りられるようだ。
「この金額、あまりに安すぎるのよ。ほら、他の高級車のシェアリングサービスより、二割以上安い」
「安いから、たくさんの人が借りるんだろう。それこそ薄利多売じゃないのか?」
「そうよねえ。でも、あたしの勘が違うと叫んでいる」
 キセキは考え込み始めた。
「やっぱりさ、この好景気はおかしい。先代が死んで、今の国王になってから、治安も良くなっているはずなのに、ここって確かに首都よね? 本当に国王陛下のお膝元である首都よね? って聞きたくなるぐらい悪趣味で下品な人たちが増えたように見えるの。でも、それは生まれ持った下品さというより、金で性格が変わったヤツらって感じかしら。そら、お金は大切よ。でも、自分の芯というものがない人がふいに大金を手に入れちゃうと、身を滅ぼすことになるわ。何事も適度ってものがあるはずだから」
「ふうん」
 増えた、とキセキは言った。まるで首都出身みたいな口ぶりだ。そんな彼女がどうして売人になったんだ?
 キセキは面倒くさそうな目で、
「あたしをまじまじ見て、どうしたの? 怖いわよ」
 ぼそり呟いた。
「ああ、すまなかった」
 謝るオレの言葉に、キセキは、
「そう」
 キラキラと輝く太陽の光みたいな声で、返事をした。
「ローンを組んでまで、高級車を買って、しかも自分で乗るんじゃなくって、貸し出すって、なんか変だわ」
「変?」
「そう。自分の車を自分で乗らないって、それはカーシェアリングと呼べるのかしら? 自分の車、『マイカー』じゃないのよ。そら、あいつも気になるわよね」 
 ん? なんだ? キセキ、今、あいつって言ったけど、それは一体誰だろうか。
 キセキは自身の頭をコンコンと叩き、 
「ううん……。脳内細胞がショートしそう! 何かが分かりそうなのに、思いつかない!」
 キセキは頭をクシャクシャとかきむしる。
「帰って、頭を冷やすね。お邪魔したわ」
 部屋から出て行った。
 十分後、窓から外を見ると、小さな黒いマントの影が一つ見えた。
「ブラック・メイデンったら、泊まっていかなかったんですか?」
 振り返ると、ヒジリがニヤニヤ顔で立っていた。
「自室に女の子を連れ込んで、何もしないって、本当に旦那さまはジェントルマンなんですね」
「この前も言ってたけど、それ、どういう意味?」
 オレの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。なんかバカにされている気がするが、気にしたら負けのような気がする。
「分からないなら、それでいいです。ルイボスでもどうです? 喉、渇いたでしょう」
 あきれ顔のヒジリの手にはティーサーバー。
「ああ、飲むよ」
 オレはベッドに座った。

 翌日、キセキからの電話で目が覚めた。
「おはよう。不躾で申し訳ないのだけど、車を実際に見た?」
 開口一番、キセキはこう言った。
「う……んと。見てないな。そもそも納車していないし。スポイルが管理するから、こっちは見る必要がないんじゃないかな。でも、それが何?」
 オレの返事に、
「なんかスポイルにはぐらかされた感じがするわね。家が建つような値段の車を買って、確認しないなんて、みんなおかしい。まるで投資だわ」
「投資?」
 キセキは奇妙なことを言い出した。
「そう、投資。不動産でも確認しないで、投資目的で転売用のマンションを買う人とか多いわよ。カーシェアリングだから、転売目的ではないけれど、自分が使わないって部分では、投資と同じだと思うわね」
「そんな説明を受けていないのだけど? オレが田舎者なのは確かだけど、スポイルに足下見られているのか?」
 頭をかきむしるオレに、
「田舎者といっても、ホタルくんは曲がりなりにも貴族なのだから、スポイルがそんな対応するはずがない。あいつは権威主義者だから」
 キセキは鋭く指摘する。
「今分かっていることは、買ってすぐにスポイルに預け、スポイルがカーシェアリングの管理、運営をしているということ。つまり、車の状況がどんなのか確認できないってわけよ」
 キセキの口調はヒートアップする。
「スポイルのヤツ! あたしのお金を巻き上げた罪は重いわ。どんな車を買ったか、絶対に調べあげてやる!」
 キセキはすごい勢いで、電話を切った。

 それから三日後、納車されたとの電話が来た。
 そんなに早く納車ってされるものなのか? と疑問に思ったし、キセキの言うとおり、自分の車を見ないのはおかしいので、自分の車をこの目で確認したい旨を伝えた。
 相手はかなり嫌がったが、オレは貴族なんだぞと、傲慢に攻めると、折れた。
 電話から一時間後、太陽がさんさんと輝いて、まぶしい中、スポイルがへこへこ頭を下げながらやってきた。
「案内しますんで」
 そう言うスポイルの運転で、首都の郊外まで来た。ここまで来ると、緑が多い。
 って、こんな森の中に連れてきて、どういうことだ?
 森をくぐり抜けると、大きな駐車場があり、すし詰め状態に車が並んでいた。
「すべて我が社が管理している車です」
 息を呑んでしまった。こんな状態に車が並んでいる光景なんて初めて見た。
「オトギリ伯爵の車はこちらですね」
 キチンと注文通りの車種があった。ピカピカである。
 そのとき、電話が鳴った。相手はキセキだ。
「もしもし。一体、どうしたんだ? 今、ちょっと……」
「ねえ、ホタルくん? エンジンかけてもらって? きちんとかかるか、あたし、不安でさ」
 頭金はキセキが出したものだ。実質、キセキの車である。
 オレは電話を切らず、
「スポイルさん。エンジン音を確認したいんです。キーを貸してくれますか?」
 と、スポイルにお願いした。
 スポイルは「わかりました」と、素直にキーを渡してくれた。オレはエンジンをかける。エンジンは低く、豪快な音を鳴らす。
「ホタルくん。走行距離を確信して」
 なんだろう。新車なのに、走行距離を確認って……と思っていたが、オドメーターを確認すると、なんと首都とオトギリ領を十往復できるぐらいの距離をさしていた。
 これは中古車だ! しかも相当距離を走っている!
 オレは動揺を隠せきれなかったようで、手が震え、思わず、電話を落としてしまった。画面は割れなかったが、通話は切れてしまったようだ。
「一体、どうされましたか?」
 スポイルが機嫌悪そうに話しかけてきた。
「いえ、なんでも」
 オレは深呼吸して、携帯電話を拾い、エンジンも切った。キーをスポイルに返し、礼をした。
「これで安心していただけましたね?」
 満足げなスポイルを横目に、何か恐ろしいことが、今目の前で起きているような気がして、背筋が凍った。

 首都の別荘まで、スポイルに送ってもらった。
「それでは、楽しみに待っていてくださいませ」
 気持ち悪いニコニコ顔のスポイルを見送ったあと、ドッと疲れが出た。十日分ぐらい一気に年を取った気分だ。
「ねえ、走行距離はどれぐらいだった?」
 キセキが隣にいた。いつも通り、フードを深くかぶっている。
「新車の距離じゃなかったよ」
 自身の頭をコツコツ叩きながら、キセキは、
「やっぱりね。どおりで、儲かっているはずだわ」
 と、ガラスの破片のように、つぶやいた。
「どういうこと?」
 キセキはオレの胸ぐらをつかみ、
「安く仕入れて、高く売っていたってわけよ。しかも、長距離を走った中古車を新車と偽ってね。こんなの、詐欺よ、詐欺!」
 こう叫ぶ。
 まあ、怒るよな……。名義こそオレでも、あの車はキセキのものだのだし。
 キセキはオレから離れると、大きく深呼吸をし、
「ああ、そうそう! こんなことで時間を食うんじゃなかったわ。仲間の情報で、あの電話の前にスポイルが『あたし』の存在に気がついたんだって。だから、ここからは、時間との勝負になるわね」
「えっ。ちょっと、待ってくれ!」
 一瞬、悩んだ。
「キセキ。ちょうど良いタイミングで、電話をかけてきたんだ? テレパシーでも使えるの? これも、勘?」
 オレはキセキに疑問をぶつける。
「悪かったわね」
 キセキは、オレのカバンの底から、何かをはがした。
「コレ。いわゆる盗聴器。結構遠くまで飛ぶのよ。バレると怒られるレベルで出力が高いわ」
 ケラケラ笑うキセキに、オレも乾いた笑いをしてしまう。
「ホタルくんが黙っていればいいだけだから。今はそれどころじゃないわ。自分の金儲けにケチをつけられたスポイルはどう動くんでしょうね。将を射んと欲すればまず馬を射よ、だっけ。馬というか車だけど、あの車が中古車だったってことを、国王と警察に伝えて。明らかに詐欺よ。あたしは、他の車について調べてみる」
 キセキは流れるようにそう言うと、風のように去って行った。
 こ……国王?
 どうして、キセキが国王の話をするんだ? 不思議に思いながらも、確かに今回のコレは、国王の頼み事なのだ。中間報告ということあるし、騙されたこともすべて、洗いざらい話そう。

「それはまことか。ふうむ。さすがだな」
 キセキが持ってきた私用文字と公文文字の契約書を見せ、買ったのが中古車だった話まで、国王にすべて説明した。キセキの話をどこまですればいいか悩みながらの説明は、苦労した。
「少なくても、オトギリ卿は詐欺に遭った形なのだな。すまない。ここまで身体を張るとは思ってもみなかった」
 身体……というか、金を出したのはキセキなんだけどな。
「このままでは、スポイルシェアリング社は潰れるだろう」
 国王陛下は、二種類の契約書をじいっと見る。
「え、どういう意味ですか?」
「黒き情報屋一味に感づかれたとなれば、金を持ってドロンするってことだ。計画倒産だな。しかし、まさか、わたしまでこのことを知っているとは思わないだろう。だから、先手を打つ」
「ドロン? 先手を打つ?」
 おいおいおいおい。情報量が足りない!
 黒き情報屋を国王が知っている? 先手って?
「ワケが分からぬ顔をするな。あとで、すべて話すから。情報は鮮度が命だというだろう。まずは、スポイルの会社の倒産を阻止する」
「そんなことが可能なのですか?」
 国王のとんでもないことを発言に、驚きを隠せない。
「国王をなめないでおくれ」
 オレの言葉に、国王陛下はどこかで見た、したり顔をした。

 それから一時間後、裁判所にスポイルシェアリング社の弁護士が来たそうだ。そして、倒産の申請を出した。しかし、国王の勅令で受理されなかった。
 ちょうどその頃、オレは警察で新車と言われて、中古車を買わされたことの聴取を受けていた。領主なんだから、もう少ししっかりしろと、年配の警察官に言われてしまったが、国王のせいだと、とてもじゃないが言い訳できなかった。
 くたくたになりながら、帰宅したあと、テレビを付けると、スポイルシェアリング社の解約騒ぎが報道されていた。あのビルの前に群衆が集まっている。
 こんな騒ぎ、もう、勘弁してくれ。
 オレは騒がしいテレビを切ると、ベッドへ横になった。

「おかげでうまくいった。オトギリ卿よ。どうも、ありがとう」
 翌日、また国王と二人きりになった。この前とは打って変わって、状況と似合わず、国王はヘラヘラしている。この前の厳しい顔とのギャップでこちらの顔が引きつる。
「群衆をどうにかするために、今、まともな財務官と話し合いをしておる。して、ジェットよ、お主の意見を聞きたい。この状況をお前ならどうする?」
 オレは頭を抱えた。
「徳政令……とか?」
 ひねり出した回答に、国王は大きな声で笑った。爆笑と言って良いレベルだ。
「そうだな。すべて保証はしなくとも、それなりに救済はすべきだな。オトギリ卿だけでなく、みんな、中古車を買わされた大きな詐欺事件だし、被害者を助けるのが国としての責務だから。レイン伯爵を含め、これに関わった者の処罰も考えねばならぬ。もしかしたら、マネーロンダリングに利用されているかもしれんしな」
「は?」
 マネーロンダリングという言葉にオレは驚いてしまった。
「スポイルって者は、話によると、麻薬取引で儲けていた売人だったと聞く。そうなると、海外マフィアとの取引が多かったはずだ。でも、そのお金は普通のところでは使えない。そこで、マフィアからの利益を配当金として、皆に配り、またその金を投資資金としてもらえば、それはもうマフィアからのお金ではなく、一般市民のお金になるだろう。これはわたしの推理だ。レイン伯爵もマフィアとの黒いウワサが流れている。この詐欺事件に一枚噛んでいるはず。どうだ、黒き情報屋のブラック・メイデンはここまで考えてはいなかっただろう?」
「え?」
 どうして、国王陛下がキセキを話題に出すんだ? というか、どうして知っているんだ?
「その驚いた顔はとても面白い。お前、顔に感情が出やすいって色んな人から言われているだろう。かく言うわたしもそうだが」
 国王はふふふと不敵に笑う。
「実は、わたしはお主の話と共に、ブラック・メイデンという孤高の売人の話を聞いた。ミレイの贋作を見抜くほどの審美眼を持っている娘だそうだな。そんな人間はなかなかいない。だから、彼女にも協力してもらおうと思って、わざわざ修理工として、首都まで呼んだのだ。半分、拉致みたいなものかもしれん。あとで協力させようとしたんだが、まさか勝手に合流するとは思ってもみなかった」
 なんだ、こいつは。
 オレたちをモノ扱いしているのか?
 憤りを感じる。
「での、もう一つお願い事があるのだ」
 お願い事? 厄介ごとはもうやめてくれ。
 オレで遊ぶなよ。
 国王陛下は大きく呼吸をすると、
「わたしの妹をめとってくれないか?」
 静かに言った。
 国王の言葉に、オレの思考は一旦フリーズした。
 なぜ、今、ここに国王陛下の妹の話が出てくるんだ?
 というか、国王の妹ってことは、王女……クラリス姫か。
 つーか、姫は生きていたのかよ! それに、今は詐欺事件をどうにかするのが先だろう!
「妹はひきこもりでな。お主みたいな行動力ある男の元へ嫁げば、今よりは元気になると思うのだ。それにお主はわたしほどじゃないが、色男だし、あの子と同い年だしの。多分惚れると思うのだ」
 国王は話続けるが、聞いている暇などない。
 そりゃさ、ここで「イエス」って答えれば、オレはこの国が滅びない限り、一生安泰だ。なんてったって、国王陛下の義弟になるわけだから。
 だが、それはなんか違う気がするんだよ。
 オレの信条というか……。ううん。
 人を利用してまで、出世するのはなんか、間違えている気がするんだよ。
 しかも、王女さまはひきこもりだろ。ひきこもりを無理矢理外に出すのは、実体験として、イヤな思い出しかない。その王女さまも無理矢理オレが連れ出したら、きっと心の傷になるに違いない。
 会ってはみたいけど、それと結婚は別だ。
 完全に人道に反している。
 出世心というものが皆無なのは自覚しているし、そもそもオレは上に立つような人間ではない。領主としての立場も親からもらったものであって、オレ自身、無菌室みたいなところで、約半年前まで過ごしていたのだ。何もモノを知らない。
 そして、脳内にキセキがちらついている。彼女から人としてのあり方を知った。もし、ここで王女さまと婚約したら、その恩人たる彼女に二度と会えないだろう。それだけは避けたい。
「ごめんなさい。それだけは勘弁してください。そのようなことはわたくしには無理です」
 オレは立ち上がり、頭を下げた。
 顔を上げると、国王はとても……まるでプレゼントをもらった子どものような笑みを浮かばせていた。
 オレは動揺する。そら、そうだろ。相当怒られるか、下手すりゃ社会的に殺される可能性だって考えられるのだから。
「オトギリ卿。ブラック・メイデンか?」
 オレは心が読まれたと思い、心臓が苦しくなった。
「これはブラック・メイデンとの賭けじゃった。あはは。わたしの勝ちだ! あの子は一ヶ月首都に軟禁だ! まったく、もっと自分に自信を持てばいいのに」
「自信……?」
「そう。わたしは『オトギリ卿はブラック・メイデンを選ぶ方』に賭けていた。一方のブラック・メイデンは『王女を選ぶ方』に賭けていた。おかしな話じゃろ。普通は逆だろうに。でも、あの子はそういう子なのじゃ」
 国王は大きな声で笑った。
 国王はキセキの何を知っている?
「スポイルの話はわたしたちがどうにかする。わたしの手腕をあの子に見せなくてはな。お前はブラック・メイデンを迎えに行ってこい。そして、あの子にわたしの勝ちと告げよ。これは……これは命令である」
 そう言って、国王は応接室から出た。
 一体、なんだったんだ……。
 命令って言っていたけど……?

 オレは一刻も早く、キセキに会いたかった。そして、国王との謎の賭け事について、聞きたかった。
 あいつは一体何を考えているんだ? オレはキセキが好きだけど、彼女についてあまりにも何も知らなすぎる。キセキに色々聞かなければ。
 SPやヒジリとエンカウントしないように、こっそり城から抜け出すことに成功し、キセキにはすぐに会えた。いつも通り真っ黒なマントのフードを深くかぶり、オレの前に現れたのだ。城の近くのため、暴徒はおらず、それどころか人々は全く歩いていない。カンカン照りで、皮膚がじりじり痛い。
「あのさ、国王陛下から命令を受けたから、言うんだけど」
 オレの顔はきっと硬いだろう。実際、口は上手く回っていない。
「何?」
 キセキの声は放射冷却みたいだ。
「国王陛下とあたしの賭けでしょ。もちろん、あたしの勝ちのはずよね?」
 キセキは鋭いつららのように言い切った。
 この言葉に心臓から血が吹き出るほど苦しさを覚える。
「あたしの勝ちよね?」
 ケラケラと笑うキセキにとうとうオレの心臓が爆発した。
「いや、国王陛下の勝ちだ。キセキ! よくもオレを賭け事に利用しやがって。怒るぞ」
 オレはキセキの顎をつかんだ。
「は? あんた、バカなの? どうして王女を選んでくれなかったの? あたしが勝ったら、もう二度と首都に帰る必要がなくなるはずだったのに!」
 キセキはオレの手を振り払い、大きな声でがなる。
「正直に話すぜ! 人間の命を売買しないって言っていたくせに、オレを賭けに利用しやがったのもムカつくし、キセキ、お前自身を賭けの対象にしたのもムカつく! 自分で自分の信条を破るなよ! オレがお前を信用してないと思っていたのか? それが信じられない。お願いだから、もっと人を信用してくれ! オレを信用してくれ! 根本的に信用できない人間を自分の部屋に通すか? 一緒に食事するか? きみをキセキって呼ぶか? なあ、答えてくれよ」
 気がつけば、キセキの胸ぐらをつかんでいた。
 フードの下から、すすり泣く声が聞こえてきた。
「あ、泣かせるつもりは……」
 オレはキセキから離れる。しまった。感情的になりすぎた。どうしよう。
「いや、あたしも泣くつもりはなかったから。ごめん。本当にごめん」
 キセキはフードの下の目を押さえている。
「ホタルくん、本当にごめんなさい。ごめんなさい……。あたし、自分に……自信が……」
 キセキの息はだんだん荒くなっていった。そして、膝をつく。
 オレはキセキを抱きかかえる。彼女の手は震えていた。
「おい、キセキ。大丈夫か?」
 キセキの耳元で叫ぶ。
 フードを外し、彼女のおでこに手を当てる。髪の毛は汗でぐっしょり濡れていて、身体はぐったりしている。そして、とても熱い。
 熱中症だ。
 オレはキセキをおぶると、涼しい自分の別宅へ向かおうと走りだした。
 しかし、そのとき、
「ちょっと待て」
 恐ろしい男の野太い声がした。
 振り返ると、三人の黒マントがいた。二人はとても身長が高く、オレよりもガタイがいい。真ん中にいるのは背は高いが、華奢である。
 その華奢な黒マントがフードを外す。年はいっているが、綺麗な女性だった。長い茶髪はパーマがかかっている。シワは若干見えるが、それは年寄りに見えると言うよりは、魔女を思わせる。濃い青のアイシャドウは本当に魔女みたいだ。
「その子を離せ。私たちがなんとかする。この子はここにいちゃいけないんだ」
 黒マントの女性はオレの腹を拳で殴った。とても重たいパンチだ。思わず胃液が出る。そして、そのまま倒れ込む。
「私たちは国王陛下の言いなりにはならないよ。ブラック・メイデンは私たちの仲間だから。坊ちゃんを利用するなんて、卑怯なヤカラだし、あんたの優しさにつけこむなんて最悪すぎる。売人をなめてもらっちゃこまるよ。人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られてなんとやら、ってやつだ」
 マントの男の一人がキセキを抱える。
「ちょっと、待て。一体何なんだ?」
 痛いお腹を押さえながら、オレは手を伸ばす。
 この女は何を言っているんだ?
 黒マントの女性はせせら笑いながら、しゃがみ、
「その優しさはあまりにあの人に似ている。似すぎてて、病まないか不安だよ。でも、あんたはあんたのやるべきことがある。大丈夫だって。この子さえ望めば、また会えるのだから。坊ちゃんは坊ちゃんのままでいておくれ」
 オレのおでこにデコピンすると、
「じゃ、みんな、いくよ」
 立ち上がり、キセキを担いだ黒マントの男たちとともに去ってしまった。
 やっと痛みが引いたオレは、フラフラと立ち上がる。しかし、鋭い腹の痛みが再び起き、そのまま気絶してしまった。

いいなと思ったら応援しよう!