【石の街】攻防記(4前編・明朝、巳の刻)
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翌朝、街は異様な空気に包まれていた。
僕たちの目の前には、呪術防護を施された真新しいレールが敷かれていた。朝の光を反射してピカピカと輝くそれは、縦横無尽に無数のカーヴを描いて、広場から街のあちこちへと伸びている。この広場からスタートし、街中を隈なく巡るコースとなっているのだそうだ。街の住人の半数以上が駆り出され、夜を徹して行った工事の賜物だ。
街の其処此処で、すでに靄の様に曖昧に溶け合った状態になっている箇所も出始めていたが、そうした場所にも、本来地面があった位置を正確にレールが貫いていた。
レールの施設作業に従事した者を除く残りの半数は、予測される攻撃の第二波に備え、すでに外壁の補修に取り掛かっている。第二波がいつ来るかは正確には分からないが、少なくともあれだけの大規模呪術を駆使すれば呪力のチャージに丸二日は要するであろう、というのがヴァルデンベーラの見立てであった。
呪術駆動による自走式トロッコに乗り込むのは、今回の作戦の要となる、僕を含めた志願者6名。同級生のフィコやヒョウもいる。トロッコは屋根のないシンプルな箱型で(列車形態にするには間に合わなかったようだ)、僕たち6名を二列縦隊の形に乗せて丁度よいサイズとなっていた。
各自の前には、冷やしざるうどんが沢山盛られて置かれている。めんつゆは潤沢にあるが、トッピング具材の類は無い。
どうやら必要なのは、あくまで
・若い男が
・上半身裸で
・冷やしざるうどんを
・勢いよく音を立てて啜りながら
・街中をトロッコで爆走する
ということらしい。
うどんは、一人あたり、ざっと5~6人前くらいだろうか。大丈夫、食べきれる量だ。むしろ街を一周する間に足りなくなるようであっては術式に支障をきたすので、余るくらいの方が望ましい。
「うどんを啜る音……これを街の隅々にまで届かせることが肝要なのじゃ……」
ヴァルデンベーラ婆の言葉が蘇る。
トッピング具材については、実のところ、あった方がうどんは食べやすい。しかしながら、相対的にうどんを食べる量が減り、啜る音を出せないタイムラグが相当程度発生することを考えると、術式の効力を減じてしまい、本末転倒だ。つまりはそういうことだろう。用意されていないのには頷けた。
もともと、食べる量には自信がある。僕は痩せ型なので意外に思われることが多いのだが、実はまあまあ大食いの部類に属している。食べても太らないのは、もしかすると遺伝的な要因もあるかもしれない。先の呪術大戦で死んだ祖父もそうだったと聞く。
大量のうどんを前に、僕は内なる闘志が漲るのを感じた。街を救う闘いだ。相手にとって不足はない。僕は上着とシャツを脱ぎ捨て、トロッコに乗り込んだ。
スタート地点には多くの人が集まり、儀式の開始を、固唾を呑んで見守っている。
——あとは、もう、やるだけだ。
ヴァルデンベーラ婆が古木の杖を振り下ろした。
トロッコがゆっくりと動き出した。
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最初はゆっくりと進んでいたトロッコは、みるみるうちに加速し始めた。
「そら、食うぞ! なるべく音を立てろ!」
僕の前に位置取ったフィコの言葉が号令になった。僕らは一斉にうどんを啜り始めた。
ズルズルズル! ズゾゾゾーッ! ズルズル!
周囲の風景は飛ぶように過ぎ去ってゆく。思いのほか速い。
風がびょうびょうと吹きつける。これは一仕事だ。
ズルズルズルズルッ! ズゾゾゾゾーッ! ズルズルズルッ!
過ぎゆく街の景色に気を配りつつ、崩壊の進んでいそうな箇所にはとりわけ音を届かせるように意識しなければならない。
ズルズルズルズルッ! ズゾゾゾゾーッ! ズルズルズルッ!
急カーブ。放り出されぬよう、重心を逆方向へと傾ける。
向こう側に、靄状に溶けて半倒壊した建造物が見えた。
重点補修箇所だ。
ズゾゾーズルズルズルッ! ズゾゾーズルズルズルッ! ズルズルズルッ!
音が届くや否や、靄のように混然一体となっていたエリアが、不可思議な逆転再生映像のように収束・凝固し、元通りになってゆく。あるべきエレメントがあるべき流れへ。それは見事な有様だった。
——この調子だ。いける……!
ズゾゾーズルズルズルッ! ズゾゾーズルズルズルッ! ズルズルズルッ!
——うん、うまい!
これは経験則だが、焦って食べようとすると、意外なほど多くの量を食べることができない。重要なのは、味わい、楽しみながら、心の余裕をもって食べること。一見遠回りのようにも思えるが、これこそが秘訣なのだ。加えて、僕の場合、飲むように啜るのではなく、ある程度咀嚼することも、重要な工程となる。
闘志は燃えている。だが、あくまで心の奥底は冷静に——。
いまや僕たち6人は、一つのチームとなっていた。
常にうどんが口の中を通過している以上、言葉を交わすことはできない。
だが、意思は通じ合っているのを、肌で感じていた。
いかな早喰い・大喰いの名手とて、間断なくうどんを啜り続けられる訳ではない。息継ぎが必要だし、多少は咀嚼している時間も存在する。ペース配分の観点から休むことだって必要だろう。だが、僕らは6人。誰かの啜り音が止まっているときには、他の誰かがカバーできる。6人で一体の、ある種のグルーヴ感が生まれていた。
ズゾゾーズルズルズルッ! ズゾゾッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
ズゾゾーズルズルズルッ! ズゾゾッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
ズゾゾーズルズルズルッ! ズゾゾッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
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