【石の街】攻防記(4後編・明朝、巳の刻)
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街を4分の3周もすると、流石にうどんを啜るペースも落ちてくる。
だが、僕らは絶妙な連携と各々の沈着なペース配分によって、全体の作業バランスを一定水準以上に維持し続けていた。
靄は、高速で巻き戻された時間を辿るかのごとく、みるみるうちに凝固し、路面へ、階段へ、壁面へ……それぞれのあるべき位置へと戻ってゆく。
古びた集合住宅が、公共施設が、街灯が。
経年劣化や傷の具合すらもそのままに甦る。
石の街が、元の姿を取り戻している。
修復作業は順調だ。あと少し。
この大通りを突っ切って交差点のカーヴを右に曲がれば、元の広場への直線コースとなる緩やかな上り坂が姿を現す。そこを通り抜ければ無事、ゴールだ。
小気味好くリズミカルにズルズル音を立て、街を修復しながら驀進した僕らはしかし、最後のカーヴを曲がりきったところで、一瞬、怯んだ。
そこには、暗黒の大穴が口を開けていた。
灰色の靄が視界全体を覆いつくしている。向こう側が見えない。
無事な建造物はすでに一つとして無く、宙空に残されたその断片の数々は、今も端から溶け続けている。地面すらもが眼前から先で曖昧に消え、それらの靄は混じり合い、空中に静止しているかのごとき大穴より、底知れぬ奈落の暗黒へ、深々と流れ込んでいた。それは恰も不気味な、無音の滝のようだった。
呪術コーティングされた筈の真鍮色のレールすらもが、途中で溶けて消滅している。
このままの勢いで進めば、僕らも敢えなく奈落の底へと真っ逆様だ。
それ以前に、あの靄に突っ込めば、僕らの肉体も容易に消し飛ぶのではないかと思われた。
だが、勢いのついた呪術駆動トロッコは、レールの異常に反応したのか、穴の十数メートル手前でゆっくりと停止した。
僕らが怯んだ理由。それは、この異様な光景そのものよりも別にあった。
——恐怖。
そう。「恐怖そのもの」とでもいうべき巨大な何かが大気を満たし尽くし、暗黒の穴の底に向かって恐るべき密度となって収束しているのだ。
それは昨日の正午頃、公民館の2階で遭遇した「あの気配」を、何十倍にも濃くしたもののようであった。それが今、怪物のように、僕らの前に立ちはだかっている。
反克の術。自然の法則を反転させる邪術が最終的に齎すものが何であるかを、僕らは知らない。詳しく説明できるのは呪術師達だけだろう。だがその答えの一端が、今まさに目の前に顕現している。石の街に加えられた此度の攻撃には、計り知れない悪意が、おそらくは込められているのだ。
強すぎる「恐怖の気配」が、僕ら6人のうどんズルズルを止めた。
身体が動かない。気づいたときには、僕らの勇気は風前の灯火となっていた。正のサイクルが停止してゼロになり、やがて負のサイクルに転ずれば、僕らもこのまま虚無に呑まれて——。
…………。
……………………。
…………………………………………。
——いや、そうではない。僕らの肉体は依然、形を保っている。勇気は限りなくゼロ寸前にまで擦り減っていたが、精神も未だ、このように形を保っているではないか。冷静な思考ができている。まだだ。各々の勇気はごく僅かだが、6人分をかき集めれば、一人がうどんの一本を啜るくらいの動作ならば、或いは——。
うどんは、まだゴールまで走り切るだけの分を、残している。
ズルッ!
意思を総動員して手を動かし、辛うじて一本だけ、ざるから掬い上げて啜ったうどんが、確かな喉越しとともに食道を駆け抜けていった。
その瞬間、音の波紋に打撃を受けたかのように、靄の一部が少しだけ散った。
同時に「恐怖」がほんの少し、薄れるのを感じた。
そうだ。これこそ、僕らの取りうる戦い方。
6人いるのには、きっと意味がある。今こそ僕は確信していた。5つのエレメントの負の流転に勝てる秘策。それは僕ら自身が6つのエレメントの象徴となって紡ぐ正の流転なのだ。僕らの体内には、これまで散々発生させてきた正のエネルギーの波紋が、辛うじて残留していたに違いない。
ズルッ!
ズルズルッ!
ズルズルズルッ!
フィコが。ヒョウが。次第に仲間が後に続き、再びざるうどんを啜り始める。
うどんの滋味が、僕らに勇気をくれる。
勇気が、うどんを啜る音となり、恐怖を、虚無の靄を晴らしてゆく。
そうだ……! あるべきサイクル、正しきエレメントの循環を……今こそ取り戻せ!
うどんを啜れば啜るほど、恐怖と靄は薄れ、少しずつ、ほんの僅かずつ、街は元あった姿を取り戻そうとしていた。
ズルズルッ! ズルズルズルッ!
ズルズルッ! ズルズルズルッ!
ズルズルッ! ズルズルズルッ!
金属のレールが次第に復元してゆく。
ズルズルズルッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
ズルズルズルッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
ズルズルズルッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
暗黒の奈落への門が、次第に狭まってゆく。
ズゾーズルズルズルッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
ズゾーズルズルズルッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
ズゾーズルズルズルッ! ズゾゾーズルズルズルッ!
石畳が、路面が、消火栓が、階段が、壁面が、屋根が、街灯が。
エレメントの悪しき流れが逆転再生され、元の街の姿へと戻ってゆく!
ズゾゾーズルズルズルッ! ズゾゾー! ズゾゾーズルズルズルッ!
ズゾゾーズルズルズルッ! ズゾゾー! ズゾゾーズルズルズルッ!
ズゾゾーズルズルズルッ! ズゾゾー! ズゾゾーズルズルズルッ!
靄が晴れる。
真鍮色のレールが陽光に輝きながら、広場まで力強く伸びてゆくのが見える!
呪術駆動のトロッコが、再び動き出す——!
▢▢▢▢▢
いつしか僕らのトロッコは、最後の数百メートルを走り切り、広場のゴールレーンへ、ゆっくりと滑り込んでいた。
皆が歓声を上げている。
街の人達が大勢で、僕らの死闘を見守っていたようだ。
僕ら6人は疲れ果て、トロッコの中でぐったりとしていた。もうしばらくは——向こう数年間くらいは、うどんを食べなくても良い気がする。
だが、それでも皆が喜んでいることだけは充分、伝わってきた。
皆が、僕たち6人の闘士に歓声を上げ、あるいは飛び跳ねながら、手を振ってくれている。
うどんの食べ過ぎで涙に滲んだ視界の端に、ユメの姿が映った。
彼女は片腕で瞳を拭う仕草をすると、こちらへ向けて、大きくその手を振った。
僕は笑って、手を振り返した。
『【石の街】攻防記』終わり