見出し画像

画像で世界を認識している話とパルプとドリトスとレディ&オールドマン

~ 戻ってきたウナーゴン ~

どうも久しぶりだな。ウナーゴンだよ。

私は仕事をしており(えらい)、その繁忙期はおおむね半年サイクルで出現するため、その間のアウトプットは極端に少なくなる傾向にある。半年ってちょっと長すぎる感じがするよね。その間クリエイターとしては息をしていないみたいになってしまうので、ここらへんの事情は今後もうちょっとこう、どうにかしてゆきたい(漠然)。

ところで、私の本質は画像系クリエイターだと自分では思っており(文章も得意だが)、世界の捉え方も画像準拠なのだなあという話をしたいと思います。

文章に対する苦手意識がある

文章も得意だと胸を張った直後に言うのもなんだが、私は長らく自分の文章能力(書くのも読むのも)を、実力よりも低く見積もってきたと思う。それでいて常人(世間一般のアベレージとします)以上に書けたり読めたりしてしまうのは、まあそういうバックグラウンドがあるから仕方ないのだが、ここでは本題ではないので語らない。ともかく、自分の実力を正しく認識できるようになってきたのは、社会に出てから様々な局面で自らの国語能力に命を救われるような体験を継続的にしてきたからだと思う。

それはそれとして、やっぱり読書とかは面倒臭く、できればしたくない……みたいなのは学生の頃から現在に至るまで、相変わらず存在している。部屋に蓄積されている物理媒体書籍の99%くらいはマンガだし、本屋さんで買った文庫本とかも(自分で買ったのに)なかなか読む気になれない。

これはnoteで文章媒体の記事を読むとき、あまり文字数が多くない方が嬉しいなあ、みたいな呟きです。

飛行機のエコノミークラスでの長時間フライトという、極めて特殊な極限状況下に置かれてはじめて読書行為が発動した結果、夏休み旅行の移動時間だけを使い、数年かけてやっと読破した文庫本も存在するくらいだ(地上にいる間は決して読書しないため)。

思えば私がニンジャスレイヤーという小説の読者になれたのも、あれがツイッター分割される形でリアルタイム更新されていたからであり、「一区切り当たりは140文字なので絶対読める」、「私の読書スピード(=音読のスピード)を決して上回らない更新速度」という2点が極めて重要だったのではないかと思っている。

私の読書スタイルを書いておくと、まず、文章が脳内で音読される。そこから超リアルな映像への変換が行われる。これがものすごくカロリーを使うのだな。これは絵を描くときの予備動作とほぼ同じだ。だから文字数がある程度まとまってそこにあると、「なんか手に取るのが億劫だなー」となってしまうのだ。だけど読んだら読んだで映画を観終えたような気分になることがあるのだ。

パルプ概念が分からなかったけど一瞬にして理解してしまったときの話

突然話が飛ぶのですが、昨年10月に逆噴射小説大賞というのがありましたね。そのときは「パルプとは何か?」みたいなのを感覚的に全然理解できていませんでした。古典でいえばラヴクラフトなら全集を読破しているし、ニンジャスレイヤーも三部作まではほぼ全部のエピソードを読んでいる……にもかかわらずだ。「で、パルプって一体なにさ?」という感じでした。

なので私は、そこんところがよく分からずに参戦して3つも投稿して2つも二次選考通過していたといえるだろう。

この後、ダイハードテイルズさんの記事で結構手厚く解説している記事(これとかこれとか)が出て、それも読んだのだが、結局感覚的にはよくわからなかった。

ところが今年の1月だったか2月だったか・・・とにかくそれくらいの時期に、私はパルプ概念を一瞬にして理解してしまうことになる。それはあるマンガとの出会いだった。オノ・ナツメ先生の『レディ&オールドマン』だ。

私は書店を訪れたときにはマンガコーナーの巡回を欠かさないので、当然オノ・ナツメ先生という作家が存在することは相当前から知ってはいた。が、なんだか絵柄がそのとき自分の求めている感じとは合わないと感じていて、相当な年月にわたりスルーし続けてきたのだった。私が(当時から現在に至るまで)読みたいマンガに求める条件の一つが「絵画のように細密に描かれている」というものであり、それは松本大洋とかメビウスだとか・・・全ページカラーで、BD(ベーデー)寄りというか・・・そういう画集のような本がうちには沢山ある。私は文字情報の多さには負担を感じるけれど、なぜか画像情報の多さには全く抵抗がないのだ。

オノ・ナツメ先生の絵柄はまさに真逆であり、極限まで線を削ぎ落としたかのようなミニマルな画風が特徴だった。これまでスルーし続けてきた作家の本を手に取ってみようかなというのは、そろそろ新しいジャンルにも触れてみたいなというのもあったし、本兌有先生と杉ライカ先生の『オフィスハック』という小説を物理書籍で読んだとき、これまたとてもミニマルで洗練されたオノ・ナツメ先生の挿絵を目にしていたのも大きかったと思う。

私は読み始め・・・ページをめくり・・・驚愕とともに、瞬時に理解した。

これはパルプだ。

極力抑えた線画で、作風も過剰に語ることは無く、乾いている。そしてケミカル物質のごとく脳内になんの抵抗もなくスッと入ってくる。物語はドライブする。これは『オフィスハック』を読んだときと同じ感触だ。

これは・・・
これは・・・
ドリトスだ!!!

そうなのだ。袋を開けただけで鼻腔から脳内に直接入ってくるケミカルメキシコ物質・・・そして乾いており、あとには一陣の風が吹き、何も残らない・・・。まさにこの食感と読み口が同じなのだ。これがパルプだったのか!!!

🌵 🌵 🌵

・・・ということを、小説を読んでいる間はなぜか全く気づかず、画像情報で示された瞬間に理解した・・・。これは、私がやはり世界を画像で認識しているからではなかろうか。

という話です。

それから1ヶ月ほど経ったころ、パルプ小説講座を連載されている逆噴射聡一郎先生も同じような表現をされていたので、この悟りが間違いではないことを確信しました。

🌵 🌵 🌵 🌵 🌵

(終わりです)

いいなと思ったら応援しよう!

ウナーゴン
🍎🍏いただいたサポートはウナーゴンの進化素材となります🍏🍎 🌝🌚感想はこちらでも受け付けています🌚🌝 https://marshmallow-qa.com/unargon2030m