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【石の街】攻防記(2・正午)

【続いた】


▢▢▢▢▢


木、火、土、金、水。
世界を構成するエレメント。

木は燃えて火を生み、火は燃えたものを土に還し、土は月日の重みにより金属を生む。金属は冷えてその表面に水を生み、水は木を育む。このサイクルが相生だ。

一方で、木は土の養分を奪い、土は水の流れをコントロールし、水は火を消す。火は金属を溶かし、金属は木を斬り倒す。このサイクルが相克である。

この世のあらゆる物理現象は、この誕生と破壊のサイクルによって説明できるのだという。実際にはこれらの相互作用が複雑に絡み合い、それとは分からない形で発露するため、余人にはエレメント単位にまで分解してその作用を読み解くことは叶わぬものなのだと思う。

相生、相克。この自然法則を、もし反転させたらどうなるか。反生、反克。邪悪なる禁忌の術だ。

今、目の前で起こりつつあるのが、それに違いないのだ。
気づいているのは、おそらく僕だけ。早く皆に知らせなければ……!

広場の光景を前にして立つ人だかりに向かって駆け出す。だが、どう説明すれば。

「あ、ケン」

同学年の女友達、ユメが僕に気づき、笑顔で振り返った。やはり皆、まだこの危機的状況を呑み込めていないのだ。

「……ありゃあ、すげぇなぁ。」

広場の斜面をゆるやかに遡る水流を眺めながら、ヒョウの親父さんが呑気な声を上げている。

「あれは、反克の術といって……」

焦って口を開くも、誰もが広場の様子に気を取られており、聴いてくれそうな素振りを見せない。
ふと気づくと、ユメだけが僕にじっと視線を注いでいた。

「はんこくの術って?」

僕は身振り手振りを交えつつ、ユメに一生懸命説明した。相克を逆転させるのが反克であること。自然の摂理に反する呪術はいずれ人体にも影響するかもしれないこと。彼女は目を逸らすことなく、僕の話を聞いてくれているように見える……伝わっているだろうか?

「じゃあ、これはどうかな?」

ユメがやおら、髪飾りを外して僕に渡してきた。金色の細い金属棒が繊細な曲線を描く、華を模した意匠だ。思わず受け取って、一瞬どういうことだろうかと考える。ユメは僕の顔を見つめている。
……そうか!

金属の髪飾りを、傍にあったベニヤ板の上にそっと置いてみる。すると髪飾りはゆっくりと、熱した飴細工のように柔らかくなり、ぐにゃぐにゃと溶け始めた。これはおそらく……金克木の逆、木克金。いよいよ只事ではない。

もしかすると人間の身体も広義では「木(もく)」にあたるのか……? 今のところ、指で持っただけで髪飾りがミルクチョコレートのように溶け出す様子はなかったが……。

……いや、それより重大な問題がある。

例えば、木造建築が金属骨格で補強されている場合、金属骨格が木に負けて溶け、すでに建物ごと倒壊してしまっているのではなかろうか。幸い、この街の建造物は殆どが石造りなので、見渡せる範囲でそのようなことは起きていないようだが。
むしろこの場合の問題は……石が「土(ど)」なので……ええと……木克土の逆は土克木だから……建物内の木材が石に負けて溶けていたりする……? あるいは人間の肉体も時間の問題で街の素材に負けて、スライムのように溶けてしまうのか……?

「おうい、ケン! そこの公民館にも水が流れ込んでるぞ! 2階に取り残された人がいないか、見てきてくれないか。」

巡回警邏に当たっていた自治会のヨル小父さんの声が、恐ろしい想像に戦慄する僕を、我に返した。石造りの公民館は倒れていなかった。だが、いつ何が起きてもおかしくない危険な状態なのは確かだ。急がなければ。

「わかった!」

ヨル小父さんに叫び返す。

「……じゃあ、行ってくるね。」

ユメにそう言い残すと、僕は駆け出した。

建物の中は既に水浸しだった。シャバシャバとせせらぎの音を立てながら階段を水が遡上しており、さながら反転する滝のような有様になっている。水は自重でいくらか押し戻されているようで、衝突してできた無数の飛沫が空中を所在無げに漂う。流れはまだ緩やかだが、勢いは広場で見たときよりも、心なしか加速しているように思えた。もし2階に人がいれば、徐々に水嵩が増してゆく部屋で溺れてしまうかもしれない。階段を流れる水の深さはくるぶし程度。ばしゃばしゃと飛沫を跳ね散らかしながら、僕は一段抜かしで2階へと駆け上がった。

2階は膝下くらいまでの水位になっている。廊下をじゃぶじゃぶと歩きながら、部屋を順繰りに確認してゆく。木製の扉や窓枠は、案の定、真夏のチョコレートみたいに、ぐにゃぐにゃになって撓んでいた。建物内は無人で静まり返っている。すでに避難済みなのだろう、取り残された人はいなかったようだ。

そこでふと気づいた。

水が集まってくるこの部屋部屋には、なにか恐ろしい……そう、「恐怖そのもの」が、澱のようになって空気中に満ち満ちている。

名状しがたい危険を察知した僕は、慌てて反対側の階段を駆け下りた。遡上する水流に足を取られ、驚くほど降りづらかった。


【続く】



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