『宇宙戦艦ヤマト』と『大日本帝国』

 東映シアターオンラインで『十一人の賊軍』公開記念として『大日本帝国』(1982年)を特別配信。監督は劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)の舛田利雄。
 「『宇宙戦艦ヤマト』は「日本の立場を枢軸国側から連合国側に移した第二次大戦の物語」なのだ」(佐藤健志/『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』)。
 終末論の流行を背景に、よみうりテレビで放送されたSFアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)。第二次大戦を模したその物語は、「ヤマト」=「連合国側」という図式に沿って組み立てられている。「ヤマト」=「アメリカの物質文明」と言い替えてもいい。実際、「ヤマト」は「アメリカ」よろしく、当初は中立の立場を取っていた。
 「この回答文に従えば、我が国は日清戦争以前の明治維新の状態に戻ることになる。それで一億の国民を養って行けますか?」(『大日本帝国』)。
 『ヤマト』における「ガミラス」の地球侵略は、「日本」の大陸進出に見立てられている。序盤は優勢だった「ガミラス」=「枢軸国側」だが、「ヤマト」が誇る万能工作機械の前に、彼らは次第に追い詰められていく。戦局の推移は現実の太平洋戦争とまったく同じであることが分かる。
 波動砲で最初に破壊された木星の浮遊大陸は、劇中では「オーストラリア大陸」と同程度の大きさと言われている。「オーストラリア」を滅ぼした「物質文明」に対し、「ガミラス」は本土決戦による反転攻勢を目論む。しかし……。
 「そこに都市は無かった。ただ、廃墟があるだけであった。破壊の限りを尽くされた地上には音もなく、動くものもなかった」(『宇宙戦艦ヤマト』)。
 「連合国側」の攻撃により、破壊の限りを尽くされた「枢軸国側」=「大日本帝国」。その前には空母四隻を失うという、ミッドウェイでの敗北をなぞった海戦がある。
 「ガミラスの人々は地球に移住したがっていた。この星は、いずれにせよおしまいだった んだ。地球の人も、ガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なの に、我々は戦ってしまった。我々がしなければならなかったのは、戦う事じゃない。愛し 合うことだった」(『宇宙戦艦ヤマト』)。
 『ヤマト』の作り手はここで、古代進と森雪の口を借りて、「アメリカ」に反省の言葉を述べさせている。『ヤマト』が放送されたのは「オイル・ショック」で「物質文明」への批判が高まっていた頃。プロデューサーの西崎義展は『ヤマトよ永遠に』(1980年)のパンフレットでこう語る。
 「西欧文明だけが人間を幸せにする道なのだという、日本の現代を形成した選択には、誤りがあったと批判しなければなりません」。     
 「日本」の現代を形成した、「西欧文明」批判がテーマの『ヤマト』では、登場人物には新撰組など、「明治維新」以前に活躍した人間の名前が付けられている。「ヤマト」の旅は近代以前の世界を目指すものであった。

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