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世界で最も幸福な空間であるはずのハワイで私は一人だった。

人生に絶望したとき、旅に出たくなるのはなぜだろう。

運命を変えるような恋が終わったとき、私は抜け殻になった。
まだ二十歳そこそこだった。
どんなに絶望しても日はまた昇り、朝が来て、世界は止まらないという
ごくごく当たり前の事実に打ちのめされた。
生きていても死んでいてもあまり変わらないと思った。
ごはんを食べたり、食べなかったり、吐いたり、
夜眠ったり、眠れなかったり、泣いたりした。
明日なんて来ても来なくてもどちらでもよかった。

そんな私を見るに見かねた友達のアドバイスで一人ハワイに飛び立った。
誰かと予定を合わせる気力もなく、ただ飛行機とホテルを適当に予約して
たった一人、ハワイの地に降り立った。
ハワイは人生で2回目だった。
以前、家族旅行で一度来たことがあった。
あの頃は怖いものなんて何もなかったのにね。

空港を出た瞬間のモワンとした暖かい空気と容赦なく降り注ぐ太陽の光が
ここがハワイであることを私に思い知らせた。
それが底抜けに明るい近所のおばさんみたいでうっとうしくもあり
じわじわと体の芯からあたためられるような感覚もあった。

こんなにも心の弾まないハワイ旅行があるだろうかと考えた。
ただハワイにいる。
それだけだった。
空港の入国審査で渡航目的を聞かれ「サイトシーイング」と答えたものの
観光する気力などまるでなかった。
ただバスに揺られ、ビーチを歩き、
「ジャンバジュース」のいちごジュースで水分補給をし、
またビーチを歩いて時々立ち止まった。

夕方のビーチをあてもなく歩いていると、外国人の女性に声をかけられた。
現地の人のようだった。
陽気に話しかけてきていきなり私の首に花輪のレイをかけた。
花びらに触れてみると生花だった。
英語で「写真を撮るか?」と聞かれて
「ノー」と答える間もなくスマホを奪われて写真を撮られた。
ハワイのビーチで突然のピン写。
まったく希望してない誰得のピン写。
口先だけのお礼を言ってその場を去ろうとすると
その女性に呼び止められた。
何ドルと言われたかは忘れたが、レイの料金を要求された。
「ただじゃないの?それならいらないです」
日本語で言って首からレイを外して女性に返した。

最悪だ。
日本でボロボロになってハワイに傷心旅行に来てみれば
夕方のビーチでレイの料金をぼったくられそうになった。

ますます傷ついた心で歩き続けているとふと日本料理の看板が目に入った。
そういえば昼食を食べていなかったことを思い出し、
扉を開けて中に入った。
木のカウンターがあった。
カウンターの奥の方の席に案内され、メニューを見た。
唐揚げ定食があって、それを頼んだ。
「観光ですか?」
ふいに日本語で声をかけられた。
顔をあげるとカウンターの向こう側に日本人のおじさんがいた。
その店の大将のようだった。
傷心旅行の説明する気にもなれず「はい」と答えた。
それからおじさんとぽつりぽつりと盛り上がらない世間話をした。
唐揚げ定食を私に出してくれたとき、おじさんは笑顔で
「いっぱい食べて行ってね」と言った。
私は唐揚げ定食を食べながらちょっと泣きそうになった。

翌朝、前日の唐揚げ定食で食欲に火がついたのか、
目が覚めると少しおなかが空いていた。
ホテルの無料ビュッフェでよく分からない紫色のパンを食べた。
何の紫色なのか気になって調べてみるとタロイモの色らしかった。
とても鮮やかな紫だった。

それからマラサダというシュガードーナツが有名な「レナーズ」というベーカリーに行った。
以前家族旅行で来たときにマラサダを食べた。
正直言って特別感動するような味ではなかったけれど、ただ「これがローカルか」という素朴な砂糖の味がした。
ショーケースを見ていると、見慣れたツイストドーナツも売っていることに気がついた。
「マラサダと何が違うんだろう」と気になってツイストドーナツを買った。
マラサダよりおいしいと思った。
でもガイドブックに載っているのは必ずと言っていいほどマラサダだ。
ガイドブックはモデルであって正解ではない。
自分の舌で味わってみて初めて気づくことだってある。

海から離れてあてもなく内陸のマノアの方まで行った結果、迷子になった。
ザ・バスのバス停を探しても自分が乗りたい線のバス停が一向に見つからなかった。
炎天下の中、スマホ片手にぐるぐると同じ場所を歩き回っていた。
マズい、このままだとホテルに帰れない。
そんなとき、ジョギングをしているローカルらしい男性とすれ違った。
私がスマホとにらめっこしていると、「どうしたの?」みたいな英語で話しかけられた。
明らかに観光客風の私が困っていることに気づいて声をかけてくれたようだった。
「ザ・バス・・・ザ・バス・・・」
つたない英語でスマホを見せると、男性はしばしの間真剣にスマホを見て、それから少し離れたバス停を指さした。
ニコニコしながら「あそこだよ」と教えてくれた。
お礼を言ってバス停に向かった。
バス停に向かう途中、なぜだか泣きそうになった。
ローカルの人がバス停を教えてくれた。
そんなささいなことで私はひどく感動していた。
こんな見ず知らずの土地で見ず知らずの私に親切にしてくれる人が世の中にはいたのだ。
昨日の日本料理屋のおじさんといい、ふいに自分に向けられた何の見返りも求めないやさしさに涙腺が崩壊しそうになった。

別れは苦しい。
特に自分の一部になってしまうくらい大好きな人との別れは苦しい。
でも人生はそれだけじゃないとハワイが私に教えてくれた。
生きていても死んでいても変わらないと思いながら生きていたとしても
そんな私に「いっぱい食べて行ってね」とあたたかい食事を提供してくれる人がいて
困っていたら立ち止まって助けてくれる人がいる。
真っ暗闇のようであって実は真っ暗ではない。
99.999%の暗闇の中にも0.001%の光はある。
その光を頼りに生きていくことまではできなくても、
「生きる」か「死ぬ」かの選択の瀬戸際でギリギリ「生きる」を選択できるくらいには明るくあたたかい。
一瞬の光であっても、泣きそうになるくらい眩しい。
人生は彼がすべてではないし、
彼と別れたとしても人生は続いていく。
いいことばかりが続くわけではないけれど、
悪いことが永遠に続いていくわけでもない。
旅と同じだ。
目に映る世界は止まらず流れ続ける。
どんなにどん底にいても世界に私以外の人間がいる限り、
私は希望の光をもう一度見つけることができる。
人生はちゃんとそういう風にできているんだ。

ハワイに行って何かが劇的に変わったわけでも
元気ではつらつとした自分を取り戻せたわけでもないけれど
確かにハワイで出会った人々は私の心をほんのひとときじんわりとあたため
そのあたたかさで「もう少し生きてみようか」と私は思えた。


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