1999ナイアガラ・シカゴDay1 狭い機内とロストバゲッジ
1999年夏。アメリカ9日間の旅の記憶。
ふと、20代のときに書いた旅の記録を思い出した。
久しぶりに読み返してみる。
1999.8.5
私と、ゆり姉のふたり珍道中の始まり。
関空で、最後の日本食そばを食べていざ出発〜。
お盆前の空港は出発客も多く、チェックイン、出国審査にかなり時間がかかり、トイレに行く余裕もなく私たちは飛行機へ乗り込んだ。
これから広大なアメリカへの旅が始まる。機内に入り、ワクワクしながら席を探すも、私たちは指定の座席を見て唖然とした。
え?ここ???
なんと、そこは調理場のすぐ前で、シートを後ろに倒すことができない席だった。前の人はシート倒すし、しかも私たちの横はなぜか壁(そんなことある?初めてだよ)。後ろにシートを倒せない私たちは、座席と壁に挟まれて、これ以上ないという窮屈な席。
マジ?ここで11時間も過ごすのか???
広大なアメリカへの旅の始まりは、窮屈な座席から。
あーーー、マジか。
しかたないとあきらめるも、あまりの狭さに耐えきれないゆり姉は、器用にも後ろ向きに座ってみたりと姿勢を変えてみる。挙句の果てには、座席に立ち上がって体操を始める始末・・・。隣で寝ていた私は、暗がりにヌボーーーーと立っている人影にびっくり!!!驚いて目が覚める、という。笑
おまけに楽しみにしていた機内食も、私たちのすぐ前で食べたかった肉料理が売り切れ。乗ったときから決めていただけにショックも大。あーあ。
そんなこんなで機内を過ごし、ようやく到着したミネアポリス。入国審査&トランジットを無事に済ませ、バッファロー着17:00頃。
バッファローには学生時代の先輩が留学していて、私たちを出迎えてくれた。先輩にも無事会えたし、荷物さえ受け取ればOKね、とバゲッジルームに行ったものの、待てども待てどもゆり姉の荷物が出てこない(私は預けるのが面倒で預けなかった。それが幸いした!?)
結局、その日に荷物は出てこず・・・。
とりあえず一人分の荷物でもあれば、何とかなるもの。
二人ともが荷物預けてなくってほんまに良かったわー。
その後、先輩の彼女とも合流し、4人で夕食にバッファロー名物のチキンウィングを食べた。ピリ辛ソースなんぞついてて美味しかった〜(つけすぎると結構辛いので注意)。
それにしても、向こうの人はよく食べる。私たちが4人で一皿を食べている隣で、4人家族のテーブルには4皿。つまり一人一皿・・・。すごいね、ご両親は結構なお年そうに見えたのに。
夕食後に車でバッファローのダウンタウンをぐるりと回ってもらって、いよいよカナダ入り。バッファローのダウンタウンはあまり治安がよくないらしく、私たちはカナダ側でB&Bを予約していた。
レインボーブリッジを渡るときに見えた、もうもうと上がるナイアガラ滝の水煙。そしてライトアップされた滝とものすごい水音。
私は明日からのナイアガラ観光に胸を膨らませ、B&B入りした。私たちの泊まったエリアはB&Bが多く、どこも外観は小綺麗だった。これから始まる9日間がめちゃ楽しみ。
・・・と女ふたり旅は続く。