ボローニャ復元映画祭2020 DAY 4
こうなることは目に見えていたのですが、映画を観るのに忙しくて(映画作品のストリーミングは開始から24時間で終了、というリミットがあるのです)、書くのが追いつかない。これ、昨日の夜、書いているべき3日目のメモです(書いてる今日はもう4日目)。ヤバイ。
『妾(わたし)は天使ぢゃない』(1933)。
原題はI'm No Angel。「妾」と書いて「わたし」と読むんですかね?。普通、「めかけ」ですよね。でも、「わらわ」とは読むようだから、一人称でもあったようです。
主演メイ・ウェスト、共演ケーリー・グラント。メイ・ウェストは主演だけじゃない、ストーリーほかいろいろクレジットされてます。当時、大人気だった悪女キャラ女優。この前に『わたしは別よ(She done him wrong)』という映画をやはりグラントと撮っていて、それが大ヒット。すぐさま同じ感じで別の映画を、となって、これが。この映画は1933年のパラマウント映画最大のヒット作であり、破産しそうだった同社を救った作品でもあるとか。ちなみにメイ・ウェストは「ケーリー・グラントを見出したのは私」という話をものすごく喧伝してたようで、グラント側はかなり迷惑に思っていたようです。まあ、今でいう「あれおれ」詐欺的な。
メイ・ウェスト、なんでそんなに人気あったんだろうなあ。見てると、いかにも「姐御」って風情で、キャブ・キャロウェイみたいなジャズ・ブルースを歌って、黒人のメイドを4人も侍らせて(まあ、彼女たちはみんな楽しそうにしてるんですが)、なんか上沼恵美子さんみたいな感じなんです。今の人気女優とはまったく違う味わいです。
話は、サーカスで人気を博していたウェスト演じる「タイラ」というビッグスターが、リッチなケーリー・グラントに見初められて(昨日話したグラントの映画『LADIES SHOULD LISTEN』もそうですが、彼が話に加わってくるのは、ちょうど全体の半分くらいのタイミングです)すぐに恋仲に。なんだけど、いろいろトラブルがありまして、法廷劇に……またかよ! この時代、法廷劇が流行ってたんですかね? 一時期、インドの娯楽映画(70~80年代作品)を熱心に観ていた時期があったんですが、歌や踊りがすぐに出てくるってのはみなさんご存じでしょうけど、かなりの確率で法廷のシーンも出てくるんですよ。今思えば、この時代のアメリカ映画のクラシックが参考になっていたのかもしれません。
その前日のグラント映画もパラマウント社製、今日のもそう。どちらもオープニング・クレジットで、演じる役者の役がテキストと映像で示される(この先に見ることになる映像の先出し)決まりがあるようで、新喜劇の中継でも見てるみたい。これもまた楽しいなあ、と思いました。
VOLKER SCHLÖNDORFF, THE BEAT OF THE DRUM (2020)
『フォルカー・シュレンドルフ、太鼓のビート』ということですね。昨日のメルヴィルのと同様、今年出来たばかりの、シュレンドルフのキャリアについてのドキュメンタリー。カンヌ映画祭で最高賞(=パルムドールを1979年、コッポラの『地獄の黙示録』と『ブリキの太鼓』の2作品で分け合った)を獲った彼の代表作『ブリキの太鼓』にひっかけてのタイトルですね。
正直、彼の作品は『ブリキの太鼓』(1979)しか観てません。しかし、『ブリキの太鼓』だけはかなりの回数観てます。DVD、今やだれもその存在を覚えていないHD DVD、さらにブルーレイも作りましたから。
昔は、ちょっと通っぽい映画マニアと言ったら『ブリキの太鼓』が好き、とか言ってたものなんですよ。それがなんとなく年月を経るうちに、いわゆる「シネフィル」の評価する映画じゃない、みたいな感じになっちゃって。蓮見重彦が大嫌いみたいなんで、そういうことも影響してるのかもしれません。でも、僕は好きですよ。ぱっと見、分かりにくい映画かもしれないし、エロとかグロが表に見える作品ですが、それぞれのキャラが、当時のドイツとかポーランドとかその狭間のカシュバイの人たちのメタファーであることを理解すれば、実に分かりやすい寓話であるとも言えます。あと、モーリス・ジャール(『アラビアのロレンス』ほかデヴィッド・リーン作品でおなじみの!)の音楽が素晴らしいんだ!
このドキュメンタリーで初めて知りました。シュレンドルフは1939年生まれのドイツ人ですが、戦争が終わって10代からフランスのイエズス会の学校に行ってたんですね。そこにいるドイツ人は彼一人だったそうです。そしてある時、学校でアラン・レネの『夜と霧』(1956=ナチの収容所を描いた短編です)の上映があり、ものすごい衝撃を受けたのだと。なにしろ自身はドイツ人ですから。で、映画に目覚めて、そのレネやルイ・マル、昨日ドキュメンタリーを見た(シュレンドルフも出てました)ジャン=ピエール・メルヴィルのアシスタントとして働き始める。時、まさにヌーヴェルヴァーグの台頭期なんですが、「フランスにはもういっぱいいるから、自分の国で撮れよ」というアドバイスを得て国に帰り、最初に撮ったイジメについての白黒映画『テルレスの青春』(1966)がカンヌ映画祭で国際批評家連盟賞を受賞するという華々しいデビュー。やがて女優のマルガレーテ・フォン・トロッタと結婚し、彼女の主演、共同監督でテロルの時代を描いた『カタリーナ・ブルームの失われた名誉』(1975)を撮り、『ブリキ』へと繋がっていく。自身がドイツとフランスにまたがったアイデンティティを持っているせいか(彼のインタビュー・フッテージはドイツ語、フランス語、英語といろんな言葉で喋ってます)、映画で取り上げる内容も、やはり戦後ヨーロッパの歴史認識みたいなところに向かいがちです。
子供の頃、お母さんがキッチンで焼死するという痛ましい過去があったようで、それが『ブリキの太鼓』のお母さんの自殺のシーンにもつながっているし、前述のフォン・トロッタと結婚している最中に、アメリカで母親を思わせる女性と恋に落ち、みたいなこともあった(そのあたりでスランプに突入)。
結局、作家の描くものって、自分自身なのだなあ、とも思いますね。これ観て、彼のほかの作品も観てみたくなりました。あと、途中で、ニュー・ジャーマン・シネマの話になって、ヘルツォークやヴェンダースと仲良さそうにしてるあたりの映像は、なんか良かった。まだまだお元気そうで、もう何本か撮りそうです。
『寄席の脚光』 (1950)
これも自分的にはこの映画祭の白眉。フェリーニのデビュー作ですよ。と言っても、アルベルト・ラットゥアーダとの共同監督なので、半分デビュー作。今回、初めて観ました。「半分」ということもあって、なんか中途半端な作品なのかと思っていたんですが、いやいや、これ、立派なフェリーニ映画。「寄席」っていうと、落語家さんをイメージしてしまいますが、当時のミュージック・ホールというか芝居小屋というか、いろんな出し物をやる劇場ですね。それがファーストカットで、『フェリーニのローマ』の中盤に出てくる、面白いんだか面白くないんだかわからない出し物の連続、あれの白黒版。そのシーンからスタート。その舞台に出ていた芸人集団の旅に、スターにあこがれる若い美人が付いてきちゃって、これが大した芸はないんだけど、お色気でお客には受けるもので、一座の一人が芸のパートナーもやってる恋人がいるというのに(その浮かばれない恋人を演じるのがジュリエッタ・マシーナ)、その女とつるんで別の一座を組もうとする……なんだけど、結局うまくいかず、元のさやに納まる(でも浮気心は捨ててない)みたいなお話。旅する芸人の話ということもあり、またラストが列車ということもあり、ちょっと小津の『浮草』(1959)を思い出したりもしました。そっちは中村鴈治郎、京マチ子ですな。
列車もそうだし、夜の街もそうだし、そこかしこにあらわれる子どももそうだし……フェリーニのあらゆる署名がすでにここに刻まれてた感じ。加えて撮影監督オテッロ・マルテッリ(『道』も彼です)の技も素晴らしく、可燃性ナイトレート・ネガからの4K修復がまたとてつもないクオリティで、モノクロの濃淡の豊かさだけで、飯が何杯も食える。11月に米国のクライテリオン社から出るフェリーニのブルーレイBOXにも収録されますから、またそちらでも楽しみたいと思います。