JUST ANOTHER
僕はパンクを通ってない。子どもの頃、今は齢60を越えてなおロック・バンド活動やDJ兼バーテンダーなどをしている兄に「買ってこい」と金を渡されてレコード屋から持ち帰ったセックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』は最初から最後まで全部同じ曲に聞こえた。それがあったせいか、なんとなく「パンク」と呼ばれるものに対する距離があって、クラッシュなんかも全然聞かずに大人になった。その後「一人クラッシュ」なんて呼ばれ方で現れたビリー・ブラッグなどは初来日時に都内を何か所か追っかけたし、今でも大好きなのだが(全然日本には来てくれなくなった)、精神はともかく、ビリー・ブラッグの音楽をパンクとは呼べないだろう。
うちには車いすの子どもが2人いるので、食事や移動の介助のために常にヘルパーさんたちがいるのだが、今から4、5年前だろうか、下の息子の方をヘルプしてくれる、それまでお付き合いのなかった事業所と契約した(障害のある人はその生活の必要度に応じて、住んでいる自治体から、あなたは月に何時間、ヘルパーを使っていいよ、という「時間数」をもらう。その時間数の中で、いろんな事業所と契約して、この日は何時から何時までというのを決めて、ヘルパーさんに来てもらうわけである)。その事業所にはless than TVというレーベルからCDを出したり、ライヴ活動をしているミュージシャンや関係の人たちが多くヘルパーとして働いていて、そういう人たちが我が家に現れるようになった。聞いたこともないバンド名や禍々しいイラストの描かれた黒のTシャツの人が多かったり、普通に体のあちこちにタトゥーが入っていたりする人も少なくないが、基本的に大変優しい人たちである。そのレーベルの首謀者である谷ぐち順さん(通称:谷さん)自身も時々、来てくれる。レスザン(そう略す)というのは、ハードコア・パンクや、かなり尖った音楽をやってるインディーズの人たちがいっぱいいて、知っている人は知っている、その筋ではしっかり有名なレーベルなのだった。もちろん、先のような理由もあって、僕のアンテナの中には入ってきていなかったのだが。
そんなお付き合いが出来たので、誘われるままに、レーベルのライヴ・イベントに息子の車いすを押して出かけるようになった。出るバンドによっては、ステージから客が身投げしてきたり、フロアでお客同士の体当たり合戦が始まったりして(いわゆる「モッシュ」というヤツである)、そうした危険人物をすぐには避けることのできない車いすは大変危険なのであるが、そんな時は谷さんが「守りますんで」と息子の前をガードしてくれたりする。
谷さん自身はFuckerという名前で、ひっくり返したビールのカートンに座ってフォークギターの弾き語り(という言葉から想像されるものとはかけ離れた歌の数々なのだが)をやっていて、そのうちに、10代のうちの息子をゲストヴォーカリストとして(彼は言葉は喋れないのだが声は出る)フロアに呼んでくれることもあった。また、その息子自体は、出演者の中でもDEATHROという名の神奈川県央No. 1ヴォーカリストがすっかり大好きになってしまったので(彼は他のゴリゴリのハードコア系の出演者たちとは毛色が違っていて、いわゆるJ Rock的な世界観で、キャッチーな歌メロも多い)、レスザンのイベントがあると、小岩だ下北沢だとよく出かけるようになった。息子は他の事業所のヘルパーさんと行くこともあるが、割とそういう日は僕が車いすを押していることも多い。実際のところ、ここ5年で最も回数を見たライヴはDEATHROのそれである。
レスザンのライヴに行くと、必ずと言っていいほど、一眼レフを構えてバンドの演奏や会場の様子を撮っている女性がいた。最初はスチル(静止画)の写真を撮っているのかと思っていたのだが、ものすごい勢いで被写体に粘着しているので動画を撮っているのだと気付くのにそう時間はかからなかった。いろんなアングルで撮りたいからだろう、変な姿勢で曲の間中、フロアに座り込んでいたりして、あんなことを続けていて体がおかしくならないんだろうかと心配になってくるほどだった。
2017年の夏になって、谷さんから、「映画が出来たんです」と教えられて、試写会に呼んでもらった。タイトルは『MOTHER FUCKER』という、絶対にテレビで放送したり、英語圏には売れないもので、内容は谷さん一家(パートナーのゆかりさんも、当時は小学生だった息子の共鳴くんも、この一家は全員ミュージシャンで、ゆかりさんはニーハオ!!!!、Limited Express (has gone?)というユニットの他にDEATHROのバンドでベースも弾いているし、共鳴くんはチーターズ・マニアという自分のバンドがある)のロックかつある種ハチャメチャな暮らしぶりと、レスザンの沢山のミュージシャンの演奏シーンをフィーチャーした、とても面白いドキュメンタリーである。そして、その映画の監督が、体が折れ曲がりそうになりながら一眼レフを決して離さないあの女性だったのだ。長い時間をかけて撮っていたものが、この映画に結実したのである。彼女の名前は大石規湖という。さあ、やっと前置きが終わった。
その大石監督の劇場用第2作が間もなく公開される。それが『JUST ANOTHER』で、愛知県をベースにもう38年やっているパンク・バンド、the原爆オナニーズのドキュメンタリーである。名前は知っていたけれど、ただの一曲も聞いたことがない自分であることは、ここまで読んでいただければお分かりであろう。
一つのバンドをフィーチャーしたものだから、ライヴ中心の映画なんだろうと勝手に思い込んでいたのだが、意外にメンバーや関係者の話に重きが置かれていて、その意味では自分のような門外漢も入りやすい。単純に、人間への興味で見続けていられる。しかも、冒頭、登場するシャツを着て語るメガネのおじさんは、けっこうインテリっぽい喋りで、それがこの奇天烈な名前のバンドのヴォーカリストであろうとは、知らなかった人間にとっては想像もつかない(ちなみに、このおじさんの家の棚に収まったレコードやCDがすさまじい量なのだが、ある一角は膨大なザ・スミスのレコードで占められている。人から聞いた話だが、彼の奥さんは日本におけるスミスの第一人者なのだそうだ)。この人と同じくらいたっぷり出てくるベースのおじさんは、いかにもバンドの人、という感じなのだが、二人並べると、ベースのおじさんの方が優しそうである。この二人がバンド創設時からずっとやっているオリジナル・メンバー。もう60歳を越えている。そしてさらに優しそうなのが、途中から抜けたメンバー(初期のドラマーは、あの中村達也だったのだ)の代わりに入ったという50代半ばの人で、昔の写真など出てくるとお坊ちゃまのようだ。そんな人が疾走するビートをたたき続けて、ぐったりしてしまい、ライヴハウスの人に抱えられて楽屋に搬出されるという一幕もある。中で、彼らを古くから知る人がパンクバンドの加齢問題について語るところがあるが、本当に年取ってくると命がけだなあ、と思わされる。そして、もう一人、もっと後から入ったギターの人がいて、この人はヴォーカルの人に常にダメ出しをされるという役回り。ヴォーカルの人は「あいつは天才肌だから誉めちゃダメなんだ」ということを本人のいない場所で言うのだが。しかし、映画的にはこの若い人がいることで、幅が出たというか、このバンドの歴史の重みみたいなものも出せてるし、その若い人からのこのバンドに対する積年の愛憎みたいなものも出て、とても良かった。というか、こういうバンド内のコントラスト、微妙なグラデーションも、監督がこれを被写体として選んだ無意識の理由なのかもしれない。この4人が和気あいあい、という映像はほとんどないのだが(打ち上げの中華料理屋の映像でピントが彼らでなく、料理に合っていたのは印象的であった。飯を食わずに試写に行ったので思わずジュルルとなった)、なにかこう、ステージの上でだけは一体、という感じがとても良かった。
と、ここまで現メンバーの名前を一切書いていない。もらった資料を見れば分かることなのだが、今日知ったばかりの僕が知ったように彼らの名前を出すことは憚られる。
ライヴ・シーンはやはり圧巻。例によって彼女が一台のカメラで撮っているのだが、曲の進行に合わせて、的確な寄り引き、左右の振りがあって、ぼーっと見ているとそれがワンカットの映像だとは思えない。もちろん、その場その場での即興なのだろうが、あらかじめ頭の中で編集が出来上がっているかのような完成度で、ホントに感服する。こういうのは、やっぱり、場数だよなあ、と思う。
そのライヴの部分を見ていて意外に思ったのは、このおじさんたちは(若いギターの人を除く)、ライヴをやっている時の顔が一番老けて見える、年相応だ、ということだった。インタビューを受けている時などはやはり、それなりに自分の見え方を意識してしまっているのだろう。それが音楽をやっている時は本当に本当の自分に戻る。いわゆるショービジネスの世界の人たちのありようとは真逆である。彼らは、ステージの上では精いっぱい着飾って、表情を作って、夢を売る。夢のない部分はステージを降りてから。それがthe 原爆オナニーズの人たちは、ステージの上だけが正直な場所なのだ。ヴォーカルとベースとドラムの人は確かに老いている。その老いようが美しい、なんて書きたくはない。別に美しくはない。ただ老いているのだ。そこにそのままの人生が描かれていた。
『JUST ANOTHER』
10/24(土)より新宿K's cinemaほかにてロードショー!以降、全国順次公開!
Ⓒ2020 SPACE SHOWER FILMS