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"実家がライブハウス"の20代社長がライブハウス経営をしたら、本当に難しい事がわかった。

こんにちは、渋谷でライブハウス「TOKIO TOKYO」レーベル「10002」を運営する、HYPE株式会社のTOKIOです。

僕は2019年に会社を作ってから、今は渋谷でライブハウスとレーベルの経営をしています。

そして実は、僕の父親は横浜でF.A.D YOKOHAMAという老舗のライブハウスを29年くらい経営しています。

29年

すごいですよね。
僕が29歳なので、F.A.DとTOKIOは同い年です。

そんな"実家がライブハウス"の僕は、2019年、社会人2年目で新卒で入社したリクルートホールディングスを辞め起業をするのですが、もともと興味のあった音楽業界で未経験ながら起業をします。
やる事業はもちろん「ライブハウスを軸にした音楽事業」です。

そして時間は経ち、2024年11月、このnoteを書きながら僕が思っていること、
それは「ライブハウス経営というのは本当に難しい」ということです。

コロナ禍に生まれた音楽業界未経験の人間が作ったライブハウスが、これまでどんなライブハウス経営の壁とぶつかってきて、2024年に過去最高業績を作ることができたのかをお伝えします。

HYPE創業

上述した通り、2019年に新卒で入社したリクルートを1年半で退職し、HYPEを創業しました。
リクルートでは残念ながら本当に成果を残せず、日々悔しい思いをしながら、朝から深夜まで働いていたことを覚えています。
正直当時は忙しいのと、成果を残せない苦しさから、記憶も若干曖昧です。

そして会社を作り、ほぼ個人事業のような形で受託などを請け負いながら、日銭を稼いでいました。
半年ほど経ったタイミングで、今出資をしてくれているVCの担当者に出会い、事業プランを話すと

事業アイデアはつまらないけどお前は面白いから、なんでもできると言われたら本当は何がしたい?

と言われ、

日本のライブハウスを全部僕のものにして、超良い箱をたくさん作り、そこにいるライブアーティストを集めた最強レーベルを作りたい

と話したところ、出資が決まり、未経験ながらに今のライブハウス&レーベル事業を立ち上げるに至りました。

ライブハウスを作りながら、マネージャーをやる

ライブハウスを作るにも時間がかかります。
それまではアーティストのマネジメントをしたり、WEBサービスを作ったりしていました。

といってもそんなに事業としては上手くいかず。
マネージャーとして担当したオルタナティブファンクバンド「BREIMEN」は、vo,ba 祥太との出会いから2020年からマネージャーを担当するようになりますが、2022年で離れます。

その後はオルタナティブロックバンド「鋭児」を担当して、年間100本以上のライブをやったり、FUJIROCKのレッドマーキーステージやSONIC MANIAの出演、LAでの制作合宿など、2023年のまるまる1年をかなり濃い人生過ごしました。(どこかで書きたい)

鋭児で出演したFUJIROCK FESTIVAL'23の風景

ライブハウス「TOKIO TOKYO」

2021年3月、ライブハウス「TOKIO TOKYO」は渋谷は公園通りでオープンしました

コロナ禍でのオープンということもあり、オープン当初から話題にはなりましたが、走り出しは全然ライブ開催件数も少なく、
「まずはすぐ黒字にしよう!」
と思っていたライブハウス経営は、緊急事態宣言やらコロナの影響で大赤字。
コロナ禍が過ぎたらいけるか?と思ったものの、そもそも経営難易度は高く、黒字にするのも大変。
苦しい時期は2年ほど続きました

2023年は運営としては安定してきたかと思いきや、自分がマネジメントしているアーティストにつきっきりになり、ライブハウス事業を放置し任せっきりにしてしまった結果、チームは崩壊し会社のボードメンバー2名と店長、現場スタッフみんな辞めるという大惨事に。

あの時期は本当に大変で、チームを再編成し、自分もライブハウス事業に復帰することを決めました。
この時期の会社の雰囲気は最悪で、このタイミングに会社に残る・入ると決めてくれた今のメンバーには本当に感謝してもしきれないし、彼らの人生を少しでも良い方に一緒に進めたいと思ってます。

ライブハウスの意義

こんなタイミングだからこそ、ライブハウスの意義や提供できる価値について、改めて考え直しました

ライブハウスというのは、熱量爆発の場であり、アーティストにとってライトファンからコアファンに変わるきっかけを提供できる場所だと考えています。

「TOKIO TOKYO」ではミュージシャンの楽曲だけでなく、その存在感を圧倒的に体感し、熱量が爆発してしまうような場所を提供したい。

この場所を通じて、単なる箱貸しでなくミュージシャンのビジョンやストーリーをイベントやサービス、コンテンツを通じて来場者に伝えたい。

そしてその結果、より熱量高いファンをアーティストに増やし、永続的な音楽活動の一助になりたい。

そんな想いを胸に、改めて新参のライブハウスだからこそできるような新しいチャレンジをたくさん考えました。

ライブハウス「TOKIO TOKYO」の再建

とはいえ僕がまずはじめに2023年の11月にやったのは、「師匠を作る」ことでした。
当時の自分には、正直今のまま一人で「TOKIO TOKYO」を完全に伸ばすことができる自信がなく、以前から仲良くしていただいていた飲食系の事業をしている経営者の先輩に泣きついて、顧問になってもらいました。

そして顧問の方と一緒に、グチャグチャな経営にまつわる数字を整理して、メンバーの目標設定をしなおし、企画・営業・運営など一つずつの業務を改善していきました。
また、取り組めていなかったデジタルマーケティングも積極的に実施し、稼働率の向上に努めます。

そうすると驚くほど売上は改善し、費用も最適化したことで、4ヶ月ほどで大幅に業績は改善しました。
オペレーションを磨いていくことで、より業績は伸びていき、ライブハウス事業では現時点で過去最高業績を達成することができました

これからの「TOKIO TOKYO」

といっても、まだまだ会社として余裕はなく、もっと多くのライブを開催し、アーティストや来場者の皆様に価値貢献し、一つ一つのライブイベントが思い出になるようなサポートをしていかなければと思っています

我々は業界の当たり前とは違った考え方をしているかもしれません。

その結果、見る人が見たら違和感を感じることもあると思います。

反省すべきことは反省しますが、これからも音楽の未来が明るくなるために、今自分たちがやるべきことを考え抜いて、物怖じせずにガンガンチャレンジしていきます

アーティストの中には、はじめて関わる音楽業界の人がライブハウスの人だった、という方もいると思います。

僕らは単発のライブに場所を貸すだけで無く、少しでも音楽活動をサポートできる箱でありたい。

来年はもっとライブハウスからアーティストの皆様のファンを増やせるようなサポートや、関係者の皆様のお仕事が快適になるような取り組みにチャレンジしていきます。

ただ、そういった新しいチャレンジばかりでなく、今も評価していただくことの多い接客の品質向上、さらに寄り添ったサポートの提供を通して、満足度の高いライブ体験をお届けしていきます。
※今月は接客・運営業務講習を制作チームの健太とほっしーが運営スタッフに実施してくれています。

また、ライブハウスを運営する中で見えてきたアーティスト支援の課題にも、レーベル「10002」でドンドンサポートしていく予定です。

我々はこれからもアーティストと関係者、来場者の皆様への価値貢献と圧倒的なホスピタリティで、日本一のライブハウスを目指します

まとめ

泥臭い努力の上に、多くのライブハウスは成り立ち、生き残り、毎日ライブを開催しているのだと知りました。

僕はライブハウスをはじめて良かったと思っています。

日々リアルな場所でアーティストやファンの皆様とお仕事をして、どうしたら売上が上がり、費用は下げられ、少しでも利益を作って、より良いサービスをアーティストやファンの皆様に還元できるかを考える毎日。

これまでやったITのお仕事では規模が大きいけど、そこまでのお客様のリアルは見えていなかった。

「TOKIO TOKYO」を育てながら、僕たちも「TOKIO TOKYO」に育ててもらってる。

これからも「TOKIO TOKYO」では、もっと多くのアーティストが広く、深く、長く愛される環境を作っていきたいと思っています。

いつまでも挑戦者の姿勢でありたい。

「TOKIO TOKYO」を起点に、多くのアーティストやファンの皆様と、より音楽の未来を明るくしていけるように、これからも精進していきます。

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