そこに誰かはいるの、いないの
入管法改定案が可決されたのを外出先から見ていた。暗澹たる気持ち。
しかし私自身の暮らしは明日からも変わらないだろう。難民として日本に来た人がどうなっていても。いまそのようにして日本に住む人がどうされても。
それを良しとしてしまう国に自分は生きている。生きる権利を選別する国に。「無意識のうちに加担する」と言うのはこういう事なんだよなと思う。
私が怖いのは、問題に対する対策として、排除を当然のものとして機能させてしまうことだ。(本当にしつこくあちこちに書いて、鬱陶しくてごめんなさい)
諸々の障害者差別についてもLGBT理解増進法についても、入管法改定案も、少数派に対するマジョリティ側の視点が「受け入れて“あげる”」といったふうであることが気持ち悪くてたまらない。国がそういうやり方を肯定すれば、そういうやり方でOKという空気ができていくだろう。
私が自分の本を出したのは5年前。ゾンビ道場を作ったのは10年前だ。
もともと「自分のマイノリティ性をおもてに出してみたらどんな感じだろう」というのが、作ってみたきっかけの一つだったんだけど、この10年で、マイノリティに対する世間の態度はすごく変わったと感じている。
年齢や経験から、自分の感覚が変わったのはもちろんだけど、正直今だったら10年前と同じ気持ちにはなれないと思う。
対等に話せる人とそうでない人の距離がすごい。理解が深まった一方で、受け入れない人の拒絶ぶりと、その堂々たる態度が悪化したと感じる。露悪的ですらない。なんなら「これを露“悪”と言う方が悪」といった所だろう。
絶望的な気持ちの一方で、そうじゃない事もあり、光となる人もいるのだと忘れずにいたい。楽しいことを見つけて、それに対してはなるべく単純に楽しくありたい。今の自分にとっては、そういう気持ちを持つことが体制に対するカウンターだ。
手を繋ぎたい。繋げなくても殺したくない。
どんな立場の人でもその生は尊重されるべきだ。(こんな立場でも尊重してもらえるだろうか?)
生きて欲しい(生きていてもいいですか?)
あなただけでなく、私だけでもなく。共にここで。
今日の絵
絵日記だけで続けるチャレンジをしてみたけど、早くも頓挫してしいるなー。言いたいことが多い。言わないといけないことが多い。
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