差別の奥に安心はあるか(ハンセン病資料館に行った話)
最近「差別がないのは理想ではあるけど」と前置きしつつ「障害がある人が、普通の人と同じように暮らせないのは仕方ないと思うんだよね」と話す人に出会いました。そういう事を言う人とは思わなかったので、瞬間、私の頭はフリーズ。「差別する人は自分が差別しているとは思っていない」というのを直に感じて、ぞっとしました。
そんな中。
先日、国立ハンセン病資料館に足を運びました。
人権を守るとか優生思想に陥らないとか、本来なら当たり前のことが揺らいでいる昨今。差別や偏見からの壮絶な苦しみ、それらとの戦いの歴史は胸に迫るものがありました。
ハンセン病と聞いて私がまず思い浮かべるのは、病気の一つであると言うことより「病気が起こした差別問題」だということでした。しかも“過去の”問題としてです。
しかし、長い間で染みついた偏見や隔離の歴史から患者さんやご家族は、今も差別に苦しんでいると知って、かなりショックを受けました。
展示パネルや資料、パンフレットなど、資料館にはあらゆる場所に「ハンセン病は今は治る病気」「元患者と接しても大丈夫」と書かれています。その丁寧さがまさに、偏見を拭う難しさを映し出していました。
展示の中には、国から出された隔離促進への文書が多く展示されており、その中には「社会の安全のために隔離する」という趣旨の言葉が多く登場します。「社会のために(なら尊厳を奪ってでも)(患者や家族を)閉じ込める」。まるで“社会”の中に患者がいないかのような書き方です。
「社会の役に立つべき」という論の行き着く先は「社会の役に立たない人はどう扱われても仕方ない」に繋がっていきます。
ハンセン病の歴史に限ったことではありません。障害者への差別から、外国人へのヘイト、路上生活者の排除まで、今をもってしても「社会の役に立つかどうか」「異物でないかどうか」というベクトルでの差別は枚挙にいとまがありません。
下の作品は、入所者の方による日記や絵手紙。
日々の苦しみや、引き離されてしまったふるさとへの言葉と共に、本当に多く「ありがたい」「感謝します」という言葉が書かれています。
なんて複雑で重い「ありがとう」でしょうか。ここに至るまでにどれだけの葛藤があったのか、想像するだけで心が締め付けられます。
さて、冒頭に登場した知人の「仕方なくない?」発言。
私はその時、何も返す言葉を持てませんでした。同調こそしなかったけど「あー」とか言ったような言わなかったような、その程度。
言い返せなかった理由はいろいろあります。ケンカみたいになるのが嫌だったとか、発言への怒りとか。しかし、一番大きかったのは“恐れ”でした。
普通の暮らしが出来ない人を切り捨てるのは私にとって、「殺されてしまっても仕方ないよね」と言うのとほぼ同意義に聞こえました。状況が変われば私も「仕方ない」の向こうに追いやられるんだろうという恐怖を感じたのです。
でも相手はまさか、私がそんなふうに感じたとは思わなかったでしょう。
差別や排除は、その重さと裏腹に“なんとなく”みたいな曖昧さで広がっていきます。
もし、そのような発言にまた出会った時、私はちゃんと言い返せるでしょうか?
正直、自信がありません。批判されたらどうしよう、嫌われたらどうしよう。怒られたら怖い。「言い返せなくても仕方ない」と逃げたい。
でも、その先にあるものに目を向けたら、そうは言っていられません。はっきりと「それは違う」と言えなくても、何らかの異は唱えるべきでしょう。
差別をしそうな相手だから、ではありません。しなさそうだからこそ、言う必要があるのです。