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小声の抵抗、猫背で翻す反旗
「ニュースを見ても怖い話ばかりだな」とメソメソしつつ、お出かけ…。
社会派アンテナはオフにしよう…と思いつつ立ち寄ったお店でこんなステッカーに遭遇。お店の人もパレスチナ国旗のバッヂをつけていて、勝手に「同志〜〜〜!!」みたいな気持ちになっていました。
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(三軒茶屋の、猫の本専門書店Cat's Meow Booksさんです)
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こうして、出先で政治的メッセージを掲げている場に遭遇すると、何かほっとします。(もちろん、それぞれの問題が解決されることが目標ではありますが…)
ほっとする──、つまり、普段ほっと出来ないのは自分の中に、そういった課題に言及して「意識高い人」「気にするタイプ」とか言って線引きや忌避をされることへの怖さが染み付いているのだと思います。
最近は「行きすぎた配慮」とか少数派の声への忌避感をよく見聞きします。そういうのを聞くたびに私は自分にナイフを向けられるようでヒヤッとします。私は他人に「言いたいことを言った方がいい!」なんて言っていますが、正直な話、自分自身がそう出来ているかというと、微妙…。「攻撃されないように黙っていたい」という感覚の方が強いです。
私はそんなふうに、小さな声は切り捨てて良いとする風潮や、そこに堂々と抗えない自分に、基本的に落胆していて、あまり希望を持っていません。
ただ現実的には落胆したまま過ごすには人生は長すぎる!そして、災害とか病気でいつ何時、思いがけず人生が終わるかわからない…。その時、不満や後悔を抱えながら死ぬのは嫌だなあ。と思い、しばしばアクションを起こしたり作品を作ったりしています。
「気にするタイプだから」「意識高いから」そうしてるんじゃないのだ。
安心して生きるのに必要だから、そうしているだけだよ〜。
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ただ、そうして落胆と諦めの中「まあしょうがない」とか言いつつ歩いていると、先の道で希望の光を持って歩く人としばしば出会うのです。
そして「こんな人達を前に「諦めてる」なんて言うのは恥ずかしすぎるな!」とか思ってまた歩き始める。そういう人たちに私は本当に生かされていると感じます。
胸を張って大声を出せるタイプだったらかっこいいけど!!
こんな及び腰でキョドキョドしながら、それでも歩いている人がいるというのも、まあ、そんなに悪くないんじゃないかなと思っています。
すみません、でもいつもありがとう。
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