あなたと話している
SNSやネットが広がってから、リアルの会話にネットからの情報を持ってくる場面が増えました。
そんな中、自分の感想や意見より前に、SNSでの他人の反応や、それについて検索した結果の話をする…という話の流れが最近とても気になっています。例えば「こういう事があって、それに対してネットではこういう反応があった。一方でこういう反応もあったんだよね(うんうん)」という感じ。
私はこういう場面になるとなんだか、誰と話しているのかよくわからなくなります。
私自身もそれをやってしまうことがあるんですが、そういう時って、目の前の相手というより、自分か、ネットそのものへ思いをはせていることが多い気がする。本来、会話って自分と相手の間で進んでいくものなはずなのにね。
10年以上前のことですが、ネット検索の精度が上がり始めた頃、印象的なやりとりがありました。
雑談の中で、動物の話が出て「そういえば◯◯(動物)って、なんで××な性質があるんだろうね」という流れになった時、相手が即座に「ググればいいじゃん」と言ってその場でスマホを出して検索を始めたんですね。
こちらとしては、会話の継続として「なんでだろうね?△△なのかなあ」という想像を経て「検索してみようか」になるか、もしくは「どうなんだろうねえ」とか言って話題が変わる(雑談であって、大して重要な会話ではなかったので)…という展開を想像していたので、会話の間にいきなり“情報探索”が割り込んで来たことにすごく違和感がありました。
いまは当時よりいっそう、そういった情報優先の価値観が広がっています。
例えば何かを買う時やどこかに行く時「口コミに良いって書いてあった」というのを基準にしたり、相手本人ではなく、その属性(国籍や障害や性別とか)をして「〇〇の人って××なんだって」とラベリングをしたり。
その、情報至上主義が極端になったのが、「それってあなたの感想ですよね」とか「お気持ち表明」とかいう皮肉な言い方につながっているのかもしれません。お気持ち、全然良いでしょ。私は、お気持ち大事にしたいよ。
ただ、はっきりしないコミュニケーションが苦手(または嫌い)な人もいるので、皆に「自分の気持ちを話して!」と言うのは違うかなと思います。
でも、正確さや情報と、経験や感想、どちらを先に持って来るべきかというのは意識していきたいです。
情報は現実から導かれた事実だけど、情報だけで現実が出来ているわけではないし。
「よくわからない」とか「うまくいかない」とかいうのまた、大事な情報だし、必要な余白じゃないかな。
と、思ったら前に似たような事を書いていました。
正しくなくても大事なことっていっぱいあるよ〜。