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義理父のために作るスープ。
年初に、夫の父(ここでは義理父と記します)の病気の知らせがあった。それもかなり深刻だという話。
私にとって義理父は、10年前の結婚の挨拶を含めて、4度しか会ったことのない人であり、色々事情があって一人で暮らしていて、親族の中で最も接点のない存在だった。
昭和の時代のように、嫁入りすると同時に同居していたとしたら、もっと違う感情が芽生えていたと思うけれども、とにかく接点がないので、そのバッドニュースを聞いた時、私は、やけに客観的に受け止めていた。
義理父は、とにかく我々夫婦には迷惑をかけたくない、ということばかりで、これまでの関係性からしても急にズカズカと彼の生活に踏み入ることができず、何をどうしたら助けになるのか、ということを手探りしなければならなかった。
他の親族とも話し合って、現時点の病状においては、義理父に直接サポートするのは息子である夫をメインにし、私はその夫をサポートする意識でいようと整理したのだが、
病状の変化を聞くにつけ、余計なお節介であっても、義理父に、いや義理父の身体に、どうしてもちゃんとした栄養を届けたいという想いが抑えられなくなってしまった。
”迷惑だと嫌がられるだろうか?”
”申し訳ない、とかえって気を使わせてしまうだろうか?”
あるいは、
”病状的に口にすることが難しい場合、逆に苦しみを与えることにならないだろうか?”
何か行動しようと思うとき、私はいつもこうやって、やらない理由を探して悩む。
拒絶されるのが怖いのだ。
接点のない義理父なので、リアクションが全く想像つかず、悩んでも答えは出ない。
義理父と接点が無い、という状況に対して私は、心のどこかで、せっかくご縁があって家族になったのに・・・とモヤモヤしていたのは事実であった。
だったら今はチャンスではないか。
結果がよろしくなくても、私なりに、義理父に関わらせていただこう。と腹を決めた。
それで、週に1回、
2種類の養生スープを作り、2つのスープジャーに入れ、義理父宅に見舞いに行く夫に持って行ってもらうことになった。
最初に作ったスープは、「アサリ汁」と「キャベツのポタージュ」だった。
これについては感想がなかった。
ああ、やっぱり迷惑だったかな・・・と少し胃が痛んだが、
後日、スープジャーは空になって戻ってきた。
歓迎されているか不明ではあったが、翌週もスープを作った。
「チキンとブロッコリーのスープ」と「さばとトマトのシチュー」。
この2度目のスープは、夫の目の前で少し口にしてくれた。
そして、
「ゆうさんの料理、おいしいよね。」
「腹一杯になるまで、食べたいなー。おいしいね。」
と呟いたそうだ。
夫はそれを聞いて、義理父の前で号泣してしまったそうだ。
私も、ああ、よかった。と心から思えて、胸がいっぱいになった。
まあ、私の料理というか、全部、医師監修のレシピ本を見て作っただけなのだけれど・・・(笑)
料理には、作る人の気が入る と聞いたことがある。
少しでも、義理父の身体の助けになりますように、義理父の気力が増しますように。
そう願いながら作ったスープには、魔法がかかっていると信じたい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。