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時を経て癒されたピアノへの想い
こんにちは。ときたゆうです。
先日、soufuさんの記事であなたの記事が話題です!
という note からの通知が届き、さっそく soufuさんの記事を読んでみました。 ↓ こちら。
昨日投稿した記事で、「小1の娘がピアノをやめたいと急に言い出した話」を書いた。
今朝、上記記事をクリックしてみたら、こちらもおすすめ
の欄に、ときたゆうさんのピアノに関する投稿を発見。
まさに、昨日の自分の悩みに回答してくださっているような記事ではないですか。(上記noteより引用)
とにかく、嬉しかった!(>▽<)
特に、ピアノのことを書いたこの note は、
大人になった私から、ピアノを習っていた頃の小さな私へ、絶対に届かない手紙を書くような気持ちで書いたものだったからです。
soufuさんが私の note を読み、さらに、私の気づきを役立ててくださったということを知り、
書いて良かった!絶対に届かない手紙が奇跡的に届いた!と思えるほどに、心が躍りました。
↓soufuさんが話題にしてくださった私の noteがこちらで、
この noteを書く動機になったのが、
「なぜ、あのとき、ピアノをやめたんだろう?」という疑問でした。
同じことを繰り返したくない、という想いもあり、初めて当時のことを深く思い起こしました。
ピアノをやめると決めたのは自分で、それはそれで良かったのだと思っていますが、幼い私が「やめる」決断に至る心の変化をたどっていくと、
そこに自分の考え方の癖が見えてきたのです。
楽しかった努力が、時間の経過とともに、義務だと捉えるようになってしまう癖が、自分を追い詰めてしまったのです。
例えば、
始めは「ピアノを弾くのが楽しい!」「もっと上手くなりたい!」と思って練習に励みますが、
そのうち、「練習をしなくてはならない」「先生に言われた通り正しく弾かなければならない」、という風に、義務感でピアノを弾いていました。
義務感“だけ“でいっぱいになってしまうと、楽しいという感情は沸き上がってくる機会を奪われます。そして、 ⇒ピアノやめたい・・・ と、私はなりました。
ストレスから離れたいと思うのは、ごく自然な反応ですしね。。
ピアノをやめたいと、先生に伝えた日の記憶はほとんどありませんが、
10年間、毎週先生の家に通って、お話したりピアノ弾いて、時々怒られて、
そんな時間がプツっと途切れたあの日のことを思い起こすと、
なぜか今になって、涙が出てくるんですね。
私は、先生やピアノが嫌いでやめたんじゃなかったんです。
そのことを、私はずっと忘れていました。
思い出して、よかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
それでは、また。