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【希望と絶望感想文】「本当の絶望」とは

『希望と絶望』は『3年目のデビュー』に続く日向坂46のドキュメンタリー映画第二弾として2022年7月8日に公開された。(本文は『希望と絶望』のネタバレを含みます)

映画内でのメンバーの発言は正確には記憶していないためニュアンスレベルで記述しています。


『希望と絶望』は日向坂46が東京ドームでライブをすることが初めて発表されたひなくり2019から、初めて東京ドームに立った3回目のひな誕祭までの約2年3か月のドキュメンタリー映画になっている。

2022年7月17日に放送された影山優佳さんのセルフドキュメンタリーの直後に竹中監督が開いたTwitterスペースでは「本当の絶望」の存在を示唆しながらもその詳細は明かさなかった。では表面上の絶望のアンチテーゼとして存在する「本当の絶望」とは何なのかについて考えていきたい。

絶望」の辞書的な意味は「希望が無い様子」「可能性を失うこと」などであるが、本稿では広くネガティブな事象全てとして捉えることにしてみる。

絶望① 共通認識としての外部要因による絶望

 本作のタイトル『希望と絶望』が発表された際、この2年間を知っているファンは「絶望」という響きを聞いて一瞬眉をひそめながらも3秒後には新型コロナウイルスの存在を思い浮かべてある程度納得していたことだろう。

そして公開された予告でもこの2年間の様々な苦悩がところどころに出ているが、その時点ではこのほとんどが新型コロナウイルスの流行に起因するものだろうと考えることが出来た。何よりもファンを大切にし、真っ直ぐに進んでいく彼女達が活動を制限されたことが確実にダメージを与えていたことは容易に想像できた。またようやく掴みかけた東京ドーム公演という夢が遠のいてしまい、開催すら危ぶまれたこと。これらが映画を見る前から予想できた絶望である。

*これ余談なんですけど…(かまいたちの番組)実は隅々まで活動を追っていると、この2年間のメンバーの言動から苦悩の様子を推察することは出来た。ケヤフェス2021でのスタッフの叱責については雑誌で何度か語られていたこと、ツアー千秋楽での佐々木久美さんの約束の卵前のMCでの発言など手がかりは沢山あったことには少し触れておく。


絶望② メンバー、スタッフ間の認識のズレ

 今作の2021年6月から10月頃は立て続けに開催されるライブに向けての苦悩がメインで描かれていた。この場面で印象的なインタビューがいくつかある。

・WKF2021にて:スタッフから「初めて誰跳べで感動出来なかった」と言われた際の松田好花さんの「私たちはたくさん煽って楽しんで良いパフォーマンスが出来たと感じていたけど見てる人が持つ感触と違うのは悔しい」といった旨の発言

・WKF2021にて:加藤史帆さんの「がむしゃら感がなくなったねって言われてえ?ってなりました」という発言

・WKF2021にて:佐々木久美さんの「どれだけ準備していたとしてもあの暑さは無理だった。体力つけてどうにかなる問題なのかな?」という発言

・全国おひさま化計画2021にて:高本彩花さんの「(セトリについて)どうして一回私たちに聞いてくれなかったんだろう?」という発言

・全国おひさま化計画2021にて:潮紗理菜さんの「ハードな曲が多いからペース配分を考えないと」という発言

これら全てに共通するのは実際にステージに立つメンバーとライブを作るスタッフの認識にズレがあるということだ。どちらが良い悪いは置いといて、ここではズレがあったように描かれているよねという話に留めておく。

作中でこのズレはメンバーの中で出た意見を佐々木久美さんなどが代表してスタッフに持っていきコミュニケーションをとることで解決したとされている。だが新型コロナウイルスの流行という外部の絶望要因がありながらも内部のズレが活動に支障を与えていたのなら、これは本稿で定義した「絶望」にあたるだろう。

絶望③ メンバー間の感覚のズレ

本作はメンバー間の感じ方や認識のズレがあったことを伝えようとしているシーンが複数あったように感じる。

・佐々木久美さんが無観客ライブの難しさを語るシーン「やりがいが見えづらくなり、メンバー同士がすれ違ったこともあった」という発言。これはストレートに無観客ライブに対するモチベーションの持って行き方に個人差があったという意味で読み取れる。

・WKF2021のパートではリハーサル段階から「気持ちが揃わなかった」「人によって姿勢に違いがあった、他人事のようにしている人もいるように感じた」など、メンバーの姿勢がズレていたかは分からないが決して一つでは無かったことが分かる。また公演前のインタビューでは「ライブが怖い」「ライブを楽しめないです」といったネガティブな発言の合間に「大変だけど私たちが楽しんでやりきる」といった前向きな発言も混ざっていた。
 そしてこれは意図したものかは分からないが2日目の公演後、渡邉美穂さんが車椅子に乗せられるシーンではぐったりした渡邉美穂さんとは対照的にカメラに映らない場所で大声で叫んでいるメンバー(きくとし?)の声が聞こえてくる。暑さにやられたメンバーもいればピンピンしているメンバーもいたというズレを表現しているのかなと考察した。

・丹生明里さんがリハーサル時を「崩壊状態」と表現した全国おひさま化計画2021の初日広島公演のシーンでは、このツアーの「過酷さ、体力的なキツさ、ハードさ」を話すメンバーのインタビューが沢山使われている。
 この中で異質だったのが、加藤史帆さんが「体力的にキツい。みんなしんどいと思います」といったニュアンスの発言をし、「みくにさんはどうですか?」と隣にいた髙橋未来虹さんに問うシーンである。「私は全然いけます。まだ力はあります。」と返答している。他にもツアーの過酷さを語るインタビューが大量にあったにも関わらず、敢えて逆の立場の意見を組み込んでいる。「ツアーは過酷だった」という話題展開をしていた場面で話の流れを遮り、ぐちゃっとさせるようなインタビューを使うことでメンバーの感じ方にズレがあったことを表現しているのではないか。(僕は三回目の鑑賞でここに違和感を覚えましたが一回目でこれについて言ってた人がいてすげー!となりました)

 これらより「敢えて話の展開に反する発言を使っていること」「メンバーの体調にもズレがあったシーンが使われていること」などの不自然な点から、「メンバー間の感覚のズレ」を表現しようとしているのではないかと感じた。

絶望④ メンバーの認識と現実のズレ

何回も映画を見るうちに「希望と絶望」を言い換えるなら「認識と現実」であり、本作のテーマ的な要素なのかなと思った。単純な絶望的要素は「新型コロナウイルスの流行による活動の制限」「相次ぐメンバーの休業」などがあった。だがその絶望的要素を際立たせるような流れを見せ、何か別の絶望を伝えようとしているとも読み取れるシーンがたくさんあった。私はこれまでに本作を4回観たがこの性質が災いして毎回拷問のように辛く感じるシーンもある。

●まずは冒頭の「日向坂46デビュー1周年記念 スペシャルトーク&ライブ!」の場面。渡邉美穂さんの「(オンラインライブで)今の自分たちにできることができて良かった」という発言。この時期は誰もコロナ禍が現在に至るまで長引くと思っておらず、社会全体の希望的な見方と絶望的な方向に突き進む現実とのギャップが見える。

●「HINATAZAKA46 Live Online, YES!with YOU! ~“22人”の音楽隊と風変わりな仲間たち~」の場面で3期生が全員合流、影山優佳さんが活動に復帰した際の小坂菜緒さんの「初めて22人全員でステージに立てて嬉しい。このまま東京ドームまで22人で走り切りたい。」といった発言が使われている。実際には渡邉美穂さんの卒業セレモニーまで約2年間の間、22人全員が揃ったライブイベントを行うことは叶わなかった。ここでも小坂さんの決意とは裏腹に進んでいく現実を見せつけられることになる。

●2020年内の握手券振替ミーグリのシーン。リングライトを大量に使う(舞台挨拶で齊藤京子さんにイジられていた)渡邉美穂さんが映され、「久しぶりにファンと1vs1で話せて順調です」といった発言があった。その直後、「ファンと会えないことが心に灰色の雲を…」というナレーションが入り、オンラインの難しさを伝えるシーンに入る。現状に対する楽観的な見方の直後に、現状に対するネガティブな描写を持ってくることでメンバーの認識と進んでいく現実のズレを分かりやすく表現している。

この手法は他の場面でも使われており、次が最も露骨であり、ファンからしたら拷問的だなと感じた。

  • 2回目のひな誕祭前のシーン。「久しぶりにファンと会えるのが嬉しい」といったインタビューや「マスクの上からでも分かる笑顔」などのポジティブなナレーションが入る。次に本ライブから活動を再開する宮田愛萌さんのインタビューが入り、約7か月ぶりに全員が揃ったという事実が強調される。その後、療養による活動休止から復帰したばかりの松田好花さんの「全員でライブが出来るのは嬉しい」、渡邉美穂さんの「順調です!わかんないです!」といった希望的で幸せなインタビューが立て続けに使われる。

  • その直後、富田鈴花さんが2回目のひな誕祭を欠席してしまうことがメンバーに伝えられる。そこで涙を流し、抱き合いながら互いを慰め合っていたのが直前に希望的なインタビューを使われていた松田好花さんと渡邉美穂さんだった。富田鈴花さんを入れた3人は「ごりごりドーナッツ」という互いに切磋琢磨し、プライベートでも親交が深い仲良しユニットとして知られている。この数分の間に笑顔で現況を話す2人、反対にメンバーであり友人の欠席に涙する2人が映される。敢えて2人の現状に対するポジティブな発言の直後に思い通りには行かない現実を持ってくることで認識と現実のズレを強調しているように思える。

●2021年の年末から3回目のひな誕祭東京ドーム公演に向けて走り続ける場面。小坂菜緒さんが活動を再開し、全員での東京ドーム公演に向けてメンバーのポジティブなインタビューが流れる。『僕なんか』のMV撮影の場面では佐々木久美さんが「全体の雰囲気は良いと思います」と発言している。渡邉美穂さんも「まさか全員で立てるとは」と発言している。しかしその直後、濱岸ひよりさんが東京ドーム公演に立てないことがメンバーに伝えられる場面になる。

今作は「順調」「良い感じ」がキーワードになっているのかなと思う。「順調」だと発言すると、直後に思い通りにならない現実を見せつけられ、全員でライブが出来る嬉しさを語ると、直後に誰かが欠席してしまう場面になる。どれだけ現状を正確に把握していたとしても、思いがけない不幸は予想できない。この大きなストーリーの中の認識と現実のズレによる小刻みな希望と絶望こそが重要なポイントなのかなと思った。

東京ドームに向けてまた一つに

「あの日の約束、覚えてる?」の「あの日」から、グループは東京ドーム公演を目標に活動してきた。だが東京ドーム公演が近づく2020年初頭から新型コロナウイルスという外敵により先行きが不透明になる。新型コロナウイルスの流行は、その登場以降現在まで常に目標を阻害する存在であり続けた。

 今回、絶望①から④まで考えてきたが、この中には新型コロナウイルスの流行に端を発するものも多い。だが、映画内では一度バラバラになったグループは東京ドーム公演に向かって再び1つになったように描かれている。つまり、映画の宣伝番組などでメンバーが発言していたように、噛み合わない様々な要素が1つにまとまる力となったのもまた東京ドーム公演であったということだ。

ただ、「東京ドーム公演だけを軸にしていなかった」とも発言しているため、東京ドーム公演だけのパワーで「焦点が合い始めた」のではなく、東京ドーム公演の力を借りてそうなったと考えるべきだろう。

本当の絶望とは

この2年間、もとい、1395日間常に大きな目標であり拠り所であり続けた目標を達成した。いや、達成してしまったことが本作での絶望なのかなと感じた。約4年間グループの大きな拠り所として機能していた目標を達成した現在、次は何を目標とし、拠り所とするのか。それを本作は問いかけているのではないかというのが「本当の絶望」に対する私の結論である。

反論『ただがむしゃらに』

ここからは僕自身が自分が出した結論に反論していきます。結論があまりにも弱いので。日向坂46ファーストアルバム『ひなたざか』に収録された全員曲『ただがむしゃらに』は、東京ドーム公演への夢を歌った『約束の卵』の続編として作られました。

『約束の卵』ではグループの目標を直接的に語る歌詞となっている反面、『ただがむしゃらに』では

制服を脱ぐその日がやって来るまで
僕たちはこの道を走り続けるんだ
どれくらい前に進んだかもわからず
どこへ向かっているかさえ知らされてないけど
やるしかねえ

目的地が分からないがとりあえずがむしゃらにやるしかねぇ!と歌われています。そして渡邉美穂さんの卒業もあり「制服を脱ぐその日」を嫌でも覚悟する時期になっているのかもしれません。
つまり、約束の卵フェーズがひと段落した現在、現状を的確に表すのが『ただがむしゃらに』ではないかということです。

新たな目標

「じゃあどこに向かうんだ!」と思った僕は様々な媒体でメンバーが語る次の目標をかき集めました。映画内では加藤史帆さんが「国立競技場でライブしたいです」と語っていたようにドームツアーや海外公演、中には小さな会場でファンの近くでライブをしたいと語るメンバーもいました。メンバー全員がそれぞれの夢を語っており、『どこへ向かっているかさえ知らされてない』けど「どこへ向かうか選び放題」という状況です。「東京ドーム公演」という上から与えられ、サプライズで達成が知らされた夢から、「自分たちで見つけた思い思いの夢」にシフトしているのです。

これからグループの大きな目標となり拠り所となるのは「○○という夢」でなく「夢」であり、本質的には何も変わらない。これが「東京ドームは通過点」の真意なんじゃないかと個人的には思います。新しいフェーズに入るグループのこれからが楽しみでなりません。

序盤、中盤はイキり散らし、自分の結論を自分で否定し、終盤は『ただがむしゃらに』がライブで見たいという思想に支配された醜い文章となりましたがここまで読んで頂きありがとうございました。

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