過去作品の再生産を音楽から考える
最近Apple Musicで2024年リマスター版を色々と聞いています。宇多田ヒカルからDeep Purpleまで。宇多田ヒカルはリマスターだけでなく過去の曲を改めてレコーディングし直しているものもあり、その完成度に感動しながら新鮮さと懐かしさを同時に感じています。
どのような表現であっても過去作品をを再生産するという行為は、自分の当時の力量や未熟さと対面することであり、羞恥心も伴いなかなかできることではありません。それらに真正面から向き合うことは、現在取り組んでいる表現や作品をアップデートさせてくれるのではないかと、楽曲を聞いていて考えました。
音楽は録音機材や再生環境の進化があるので、そのようなリマスター行為が可能となる。リスナーにも求められる。写真はどうでしょうか。写真も同じくプロセス全体を通して機械を使い、入力と出力も分かれているので、同じような過去作品のリマスターができます。むしろネガをプリントすることはリマスターそのもの。フィルム写真における複製行為は常にリマスターだと言えないでしょうか。そして実際に過去のネガを改めてプリントして、新作として販売したり、展示したり写真集にしたりということが行われています。時にそれは作家の死後、撮影者本人ではなく第三者の手によって行われます。
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