皆が言う「父親」と、私が知っている「父親(異星人)」を一緒にされると話が食い違ってしまうので

「父親」というものは、愛情深く、何があっても見捨てない安心できる男性という人が多いと思うが、たまに何を言っても話が通じない異星人みたいな「父親」という生物が混ざっている。

これを双方が「父親」という固有名詞で話すとき色々な入れ違いが生じる。

「私の父親ってね」その後に続くのはその人の「父親」であり、相手の「父親」ではないということに多くの人は気づいていない。

だから、一方がイメージするものと、私がイメージするものが違いすぎて『そこから説明しなきゃいけないのか』とがっくりうなだれることが多々ある。

代表的なセリフが「父親なんだから」という言葉だ。
これは「私の父親なら」という言葉を短縮した言葉だということに多くの人は気づいていない。気づいていないまま相手に投げつけ、相手の心を傷つけてしまう。

「(わたしの)父親なら普通やらない」などが例に挙げられる。

人がそれぞれ知る「父親」という例は実際には一人しか知らない。
それで「父親」というものがこういうものだと、自分の父親を当てはめてしまう。

だからわたしはいつも「あなたの父親と私の父親は違う」と心のなかで唱えている。
こう言えばわかる相手にはそのまま伝えて一刀両断仕返しているが、わからない相手に伝えても無駄なので教えてあげないまま、その人が愚かな行く末を行くのをにんまり笑って祈っていたりする。

自分が知る父親像ならやらないことを「父親だから」と責めてしまうと、これは相手に歪んで届いてしまう。
つまり暗に「私の父親ならやらないことを、あなたはしてもらっていない」と伝えることにほかならない。
これに「普通は」がつくともっと悲惨になる。
「私の父親なら当たり前にすることを、あなたはしてもらっていないし、普通と言っていいほど他の人の多くが経験して無意識に信頼するということを知っているというのに、あなたはそれすら与えられず知らないでいる」と言われたも同然なのだ。
これは曲解や言い過ぎではなく、妥当なところだと思っている。異論は認めるが、異論をはさみたくなるほど、自身の経験と違いすぎて受け入れられないほど当人が恵まれているということをせめて自覚してから言葉を発してほしい。

私はそれすらわからない人を敬意をこめてバカと呼んでいる。










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kut
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