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インドネシアのサクラ
ジャワ島のブロモ山に登った話はだいぶ前にnoteに書いたけれど、中腹にある宿へ行く道すがらの話を今日は書けるかな、とふと思った。
さて、書けるかな。もう20年近く前の話だけれど。
ブロモ山は赤道直下にある高山で、中腹まではバス道が通っていた。
山道の脇には、見るからに柔らかそうなキャベツの畑が広がっていた。
年間を通して暖かく、霧のような雨がやさしく降るので、作物がよく育つらしかった。
バスには途中、日に焼けた肌の売り子さんが次々に乗り込んで来た。鉛筆やら、ノートやら、いろんなものをかざして通路を歩き、乗客に「買わないか?」と声をかけて行くのだった。わたしはお財布を出すのがなんだか怖くて、興味はあったが途中から寝たふりをしていた。
確か、バスは日本製。日本から中古で払い下げられた輸入車のようだった。日本語の表記のある部品がそこかしこに見られた。
曲がりくねった山道を上がって行く途中、かなり痩せたおじいさんが乗り込んで来た。わたしの隣の席に腰掛けた途端、声をかけられた。
「日本人か?」
そうですと答えると、彼はいきなり大きく息を吸ったと思ったら、歌い始めた。
「サクラ、サクラ、ヤヨイノソラハ、ミワタス カギリ
カスミカクモカ ニオイゾイヅル イザヤ イザヤ ミニユカン」
朗々と歌い上げると、得意げにわたしに笑みを見せた。
周囲の人々はそんな老人を見て、苦笑いのような曖昧な笑みを浮かべていた。
まさか。赤道直下の異国の山道で見知らぬ人に日本の童謡を目前で歌われるとは。
思いもかけない出来事にわたしは本当にびっくりしてしまった。
「どうして? この歌を知っているのですか?」
老人は片言の日本語で言った。
「小さい時、学校で習った」
「昔、インドネシアは、日本だった」
息をのんだ。
戦争の痕跡が、目の前の老人に刻まれている。
直感的に、そう感じた。
「ごめんなさい」
なんと言っていいかわからず
謝ったわたしに、その老人は笑って手をふり、そしてバスを降りていった。
そこには、桜のような色をした花をつけたサルスベリの木が、涼しげな木陰をつくっていた。
戦争のことなど、何も知らない。
ずっとそう思っていた。
でも、インドネシアでの旅では、戦争の影がわたしについて来た。
そこにも。あそこにも。あ、ここにも。そんな感じで。
終戦の日が近づく今日。
インドネシアで聴いた「サクラサクラ」。
わたしに関係のあることとしての戦争を思い出させてくれる歌になったあの日を忘れられない。