15/1260 理性を捨てた日
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【投稿15回目】早々に毎日・ほぼ日投稿が崩れ去り、自分のキャパを知り反省する反面、これも一つのプロセスと淡々としている。仕事かけもちの身に毎日投稿は無謀だった、、、が、頻度を気にせずに、また人目を気にせずに、正直な思いを記して行きたいと思います。
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娘の生まれる前後の色々があって、ジーザスフォロワーになった私。子どもの頃から、真実や真理、本当のことが知りたくて、絶対的な何かが欲しくて、それでもできるだけ理性的な、中立的な、科学的な、事実に基づいたものの見方をしたくて、それをやろうとして、人の心を心理の面からだけでなく、総合的科学的に理解するため医学部に進んだ。精神科医になろうと思っていた。
懐かしき『ポリクリ』(←意味わかります?)時代、外来受診したエホバの証人の患者さんに対して、担当の外科医がとても感情的になり、まともな会話ができないのを目にして、自分は宗教を持つことはしないでおこうと決めた。自分が信条を持つことで、患者さんへの中立性が保てなくなるような気がしたから。
仕事を辞めて結婚しアメリカに来てからも、その決意はあのとき「決めたから」という理由で保たれていた。
娘のことがあって、私という人間は何と弱くなんと偽善的なのだろうと嫌でも向き合わざるを得なかった。ぶっちゃけて言うと、人の子なら障害があっても病気でも、心から愛しく尊い存在と思えるのに、いざ自分の子がそうかも知れないとなると、未来を硬く閉ざされたように落ち込んだのだ。
あの当時、知識は限られていて、心の平安を得るには狭く浅過ぎた。
神経小児科医の予告通りチャレンジングな一年が過ぎて、結果娘は無事だった。
ニューヨークに引っ越して生活も落ち着いてきたある日。
アッパーウェストサイドで、ムーンストーンのピアスを購入したとき、
『あ、着床した』と体感した。今回は自然妊娠だった。
2人目が生まれしばらくして、
わたしはマンハッタンの古いアパートの浴槽で、洗礼を受けた。
理性を捨て、科学が説明できないことを受け入れたのだ。まだ信仰はグラグラしていたが、後戻りできないようにしてしまいたかった。
そして。
『キリストに従う』という制限を自分に課すことが、こんなにも自由を感じるとは、まさか思ってもみなかったのだ。
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