なぁ、河童捕まえに行こうや
こんにちは
桃源郷出身、たんこぶです。
堤防には青々とした草木が茂っており、爽やかな薫風に初夏の訪れを感じる時期となりました。みなさんは、いかがお過ごしですか?
新卒社会人のたんこぶは、すっかり社会人の生活リズムが身についてきました。
こちらは、私がよく散歩している堤防です。
くっきりとした木陰が、日差しの強さを物語っていますね。
麦わら帽子を被るには少し早いかなぁと、髪なびかせ歩いていましたが、
頭皮もしっかり日焼けするんですよね。
つむじの辺りがヒリヒリします。とほほ...
早くも、春の麗らかな日差しが恋しくなってきました。
さてさて、こんな日には…
河童を捕まえに行きたくなりますね!
「いやいや、そうはならんだろ!!!」
...と、心の中でツッコミを入れてくださった方、ありがとうございます。笑
コメント機能を付けることができれば、皆さんのリアクションを覗うことが出来るのですが、如何せんこれがnote2つ目の投稿です。
もうしばらくは、温かく見守っていてくださると嬉しいです。
そんな駆け出しブロガーたんこぶ、
流石に本気で河童探しに出たことはありません。
しかし「いるかもしれない」とは、たまに思うようにしています。
妖怪の存在
少し時が遡るのですが、こちらは4月下旬の堤防で撮った写真です。
大雨の前日だったこともあり、
空気はしっとりと重く、辺りには土の匂いが立ち込めていました。
通りすがる人も少なく、静かな堤防。
縁日の出し物でも話し合っているのでしょうか、
辺りの草木がひそひそと身を寄せ合っています。
何となく、人間だけを置き去りにした賑やかな雰囲気が漂っているような気がました。このそわそわ感は、草木によるものか、虫や小動物によるものか、あるいはそれ以外の何か…。
視覚では捉えきれない領域ですから、どんな表現をしても正解です。
先ほど私は草木で表現したのですが、昔の人はきっと現代に生きる私よりも感性が豊かだったのでしょう。
この雰囲気を、妖怪の存在で表現したのだと思います。
日本人の感性
現代において妖怪は、フィクションの題材として扱われる事の方が多いですよね。昔は妖怪がいたのに、現代化が進むにつれて妖怪の居場所が無くなってしまった。だとか、いつの間にか妖怪が見えなくなってしまった。とか。
しかし、失われつつあるのは妖怪の居場所や存在感ではなく、
それを感じ取る感性なのではないかと思います。
とはいえ、モノが溢れている現代では、感性を研ぎ澄ませ続けるのは難しいことです。私もつい最近、家電量販店のギラギラした店内でギラギラした光や謎に施された鏡張りトラップに惑わされて、目を回していました。
目に見えないモノも沢山で、現代を生き抜くためには小さな嫌味や陰口などいちいち気にするな!と、鈍感力を鍛えるべきだとする意見があるくらい。
結局何が言いたいかというと、現代で必要以上に敏感になる必要はないです。ただ、散りゆく桜に儚さを感じたり、蛍の微かな光に刹那を感じたりできる日本人の感性を、時々思い出してほしいのです。
まとめ
はじめに「河童を捕まえに行こうや」というタイトルを目にして、河童なんているはずないのに一体どういう事だ?と感じませんでしたか?
どうか「そんなものはいない」と決めつけてしまうのではなく、
「いるかもしれない」と思いながら、堤防や公園など自然の中を散歩してみてください。現代人の私たちには、それくらいで十分だと思います。
いつもより少し違った散歩ができるかもしれませんよ。
それでは、ちょっくら河童でも捕まえに行こうや!