気がついたらここにいた(私の引っ越し履歴)
今回のテーマ:引越し
by らうす・こんぶ
人は一生のうちに何度引越しをするのだろう。生まれた土地、生まれた家から一度も引っ越すことのない人もいるが、就職や結婚、家族が増えたり子供の巣立ちなどのタイミングで引越しをする人は多い。これまでは考えたこともなかったけれど、日本人は生きている間に何度くらい引越しを経験するものだろう。
今数えてみたら、私はこれまでに18回引越している。高校を出て上京したのが1回目で、10回目の引越し先がニューヨーク。そして18回目の引越しで東京に戻ってきた。
生活環境が変化した大きな引越しは東京からニューヨークへ、そしてニューヨークから東京へ戻ってきた時だけで、あとは東京および近郊、そしてニューヨーク市内で住む場所をちまちまと変えただけ。
ニューヨークー東京間はともかく、なぜ、同じエリアでそんなに何度も引っ越したのかというと、いつもタイトな予算の関係で「ここなら満足」と言えるところに引っ越すことができず、毎回なんらかの妥協を余儀なくされたからだ。
私が学生の頃は4畳半や6畳の風呂なしアパートに住むのが当たり前だった。トイレが共同だったり、四方が他の家やアパートに囲まれて日当たりが悪く、陽が差し込むのは夏場に10センチほどだけ、というアパートに住んでいたこともあった。
働くようになってしばらくすると、鉄の階段をカンカンカンと登っていくような二階建ての木造モルタルアパートに引っ越した。よく刑事ドラマで犯人が住んでいるような。古いけれどお風呂付きのアパートに住めるようになり、銭湯の営業時間を気にせずに生活できるようになって、お風呂があるってなんて幸せなんだろうと思った。QOLがぐんと向上した。
でも、壁が薄くて隣のテレビの音が聞こえるのが気になった。そこで、2年後にそこから徒歩15分ほどのところにある、日当たりがよくてベランダがある比較的新しいアパートに移った。今度のアパートではで布団が干せる。でも、駅へ行くにも都心に出ていくにもちょっと遠く、もっと便利なところに住みたいという欲が出てきた。
数年後、収入が少し増えたので思い切って東京23区内に引っ越した。今度は新築マンションの最上階だ。と言っても三階建だけど。家賃は倍近くなるので払っていけるかどうか心配だったが、それがかえって経済的自立を果たそうという向上心と心地よい緊張感につながった。若かったなあ(遠い目)。
私の前には誰も住んでいたことのない、新築マンションの最上階の住み心地はサイコーだった。商店街がすぐ近くにある住宅街で便利なのに静かだし、路地を隔てて住宅に囲まれてはいたものの、他の家は二階建てだったのでカーテンを開けていても気にならない。その開放感も気に入った。仕事もまずまず順調だった。この頃、こんな詩のようなものが頭に浮かんだことを覚えている。
都心の新築マンションに引っ越した。
大きなカラーテレビを買った。
ステレオセットも買った。
一眼レフのカメラも買った。
スーツも買った。
海外旅行にも行った。
世界一物価の高い東京で
こんなにたくさんものを買った。
私ってすごい!
物欲はあまりないが、それまで手に入らないと思っていたものが少しずつ手に入るようになったことは素直にうれしかった。お金を得られるということが社会に認められた証のように思えて、やっと一人前になれたような気がした。
引っ越すたびに、一段ずつ階段を登るように住むところがグレードがアップしていった。そして、ついに私は自分で思い描きうる最高の住居にたどり着き、自分の城を築けたと思った。今振り返ると、なんと身の丈に合った可愛らしい望みだったのだろうと思う。
周辺エリアも含めてそのマンションはとっても気に入っていたが、6年後、私はニューヨークに行くことにし、そこを引き払うことにした。気に入っていたのでちょっと残念な気がした。でも、東京で”最高”の住まいに上り詰めて気がすんでもいたので、新学期になって真新しい大学ノートを開いて1ページ1行目から書き始めるように、ニューヨークという新天地でまた一から新しい人生を始めてみたい、そんなふうに思っていた。
いざ生活を始めてみると、家賃が高いことで知られる彼の地ではアパートを借りるに当たって様々なことに妥協せざるを得ず、少しでも条件が良くて家賃もなんとかなりそうな物件が見つかったら引っ越す、ということを繰り返していたので、やっぱり何度も引っ越す羽目になってしまった。
以前のnoteを読んでくださった方は、私がニューヨーク時代の貧乏話ばっかりしていることをご存知だろう。なぜなら、私のニューヨークライフからビンボーネタをとったらほとんど何も残らないので、ニューヨークのことを書こうとすると、何でもかんでもビンボーがオチになってしまうのは致し方ないのです。
それでも、東京にいた頃と同じように、ニューヨークでも引越すたびにちょっとずつマシなところに住めるようになり、最後のアパートには9年も住んだ。それより長く住んだところは私の生家だけだ。そのアパートは駅から徒歩2分と便利だったし、広さもあり、屋上もあったので、時々友達を誘ってパーティーをしたり、屋上から独立記念日の花火を見たりしたのが、今となっては楽しい思い出だ。
そして再び東京へ。ニューヨークに行く前の東京でもニューヨークでも、最終的に私は自分の条件が許す範囲でベストなアパートに住むことができたが、今住んでいるアパートは、これまで住んだ18軒のアパートの中で一番気に入っている。不満な点を強いてあげようと思っても、無駄に贅沢な暮らしが望みではないので、不満なところはひとつも見つからない。つまり、自分にとってベストな環境で東京での生活をスタートさせていたのだ。
気がついたらそうなっていたという結果論に過ぎないけれど、悪くないな、と思った。高い目標を持ったり何かを意識的に目指したりしなくても、無我夢中で生きていると、誰でもどこかそう悪くないところに漂着するものなのかもしれない。
このアパートは気に入っているけれど、ここが私の終の住処だとは思えない。私の引っ越しはまだ続くだろう。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
らうす・こんぶのnote:
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