「ニューヨークのあさごはん」だよ
テーマ:あさごはん
by らうす・こんぶ
写真キャプション:「ニューヨークのあさごはん」のマスコット。日本の CMでも知られているロドニー・グリーンブラットさん(https://www.rodneyfun.com/)に作ってもらいました。ちょっと自慢。
思い返せば10年前の今頃、私は「ニューヨークのあさごはん」という、ビデオコンテンツ中心のWebサイト(nynoasagohandayo.com)の立ち上げ準備をしていた。サイトの維持費用が重たくなってしまっので現在このサイトはご覧いただけないが、全ての動画コンテンツはYouTubeでご覧いただけます(宣伝してしまった😁)。
このサイトも動画も英語で制作していたので、残念ながら日本からのアクセスは非常に少なかったが、それでもチャンネル登録者数は今日現在で3290名で、今もこの数は地味〜に増え続けている。今ではブラウザの翻訳機能のおかげで日本語でも視聴できるので、よかったらぜひご覧になってください(また宣伝してしまった😁)。
このサイトを立ち上げた目的やコンセプトについて語りだすとキリがないので、「ニューヨークのあさごはん」というタイトルの由来についてのみお話ししたい。
もともと「ニューヨークのあさごはん」は単行本の企画でありタイトルだった。ニューヨークで食べる朝食には日本にはないバリエーションがあった。しかも、ニューヨーカーの朝食を取材することで、朝食の多様さだけでなく、その朝食を食べる背景やニューヨーカーの様々なライフスタイルも垣間見えると思った。そこで、その企画をある出版社の社長に話したところ、やりましょうということになり、日本人カメラマンに協力してもらって取材を始めた。
思った通り、これは非常に面白い取材になった。朝食にバリエーションがあるとはいえ、実はニューヨーカーが一番よく食べているのはシリアルなのだが、この身もふたもないような朝食にも、その背景にはざまざまなドラマがあった。
DJをしながら会社勤めもしていた27歳の青年の朝ごはんは何の変哲もない、ミルクをかけたシリアルだった。彼は子供の頃両親が共働きだったので、自分で朝ごはんを用意しなければならなかったが、子供だったので簡単なシリアルの朝ごはんくらいしかできなかった。そのまま今でもシリアルを食べ続けていると語ってくれた。
ものすごく頭がいい12歳の男の子は、飛び級して週に数日大学で授業を受けていた。彼の朝ごはんもシリアルだったが、なんとチョコボール3つのデザート付きだった。不思議に思ってその母親に「朝からデザートがつくんですか」と尋ねると、その母親は笑いながら説明してくれた。それによると、その少年はまだ12歳の子供なのに自分よりずっと大人の大学生に混じって大学で学んでいるため、心のバランスを崩していた。それで朝ごはんの後に精神安定剤か抗うつ剤のようなものを服用していて、その薬の口直しにチョコボールということだった。あの子はもう30歳近くなっていると思うが、今頃どんな大人になっているんだろう。
もう一人は私の友人でもある当時40代後半のおじさん。彼もシリアル派だったが、やっぱり他のシリアル派とは異なるこだわりがあった。彼のシリアルボウルにはフルーツやナッツがトッピングされ、見た目もきれいだしバランスが取れていて栄養価も高そう。ただ、これに牛乳も豆乳もアーモンドミルクもかけないで食べるそうな。彼はベジタリアンで、普段は野菜や果物、穀物など、比較的柔らかいものばかり食べている。だから「クランチーな(歯応えのある)ものが食べたくなる」そうで、故にシリアルに液体を何もかけずに食べるということだった。
ね!たかが朝ごはん、たかがシリアルでもこれほどドラマがあるのだ。
これ以外にも、朝5時に起きて栄養たっぷりのスムージーを飲みながら聖書を読んで啓示を受けてから仕事に向かうブティックの女性オーナー。
朝起きるとろうそくを灯して30分瞑想してから、普通のシリアルにレーズンを足したものを食べて、それから出勤するというニューヨークタイムズの社員。30分経つと目覚まし時計がなって、やっと瞑想タイムが終了した。朝の6時ごろ彼のアパートに行き、瞑想中ボーっとして待っていた30分間は恐ろしく長く感じた。
小学生の娘を学校まで送るために、離婚した元妻のアパートまで行って娘と朝食を食べてから学校に送り届けるおとうさん。彼らの朝食は、トースターで温めて食べられるフレンチトーストか何かだった。
毎日午後3時ごろ朝食を食べるというタイレストランのオーナーもいた。店の準備で忙しいので立ったままお茶を飲むくらいの時間しかなく、仕事が一段落してやっとその日の1回目の食事ができるのが午後3時ということだった。レストランのまかない料理なので、あさごはんにしては豪華だった。
あさごはんの取材なので、朝早く起きいなければいけないことも多く、夜型の私とカメラマンにはけっこうきつい日もあった。それでも、思った以上にさまざまなあさごはん、そのあさごはんを選ぶ理由となるさまざまなドラマが見え隠れして、とにかく楽しいプロジェクトだった。
ところが。
この企画は最後まで遂行することができなかった。出版を予定していた出版社が倒産し、社長が行方不明になってしまったのだ。15人くらいインタビューと撮影を終えていたのに。私はそれまで撮影を終えていた分の撮影料金をカメラマンに支払い、プロジェクトは中途半端のまま私が赤字を抱えて終わった。
辛かったのは、取材に協力してくれて本の出来上がりを楽しみにしてくれた人たちに、このことを報告しなければならないことだった。誰からも非難や文句は出なかった。しかたないよね、そんなリアクションだった。こういうところ、ニューヨーカーはおおらかだ。いろんなことにチャレンジする人が多く、みんな多かれ少なかれ挫折を知っているからだろう。それでも、取材に協力してくれた人やカメラマンに対して、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
これが「ニューヨークのあさごはん」のはじめて物語です。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
らうす・こんぶのnote:
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