コーヒーを楽しむ条件
今回のテーマ:コーヒー
by らうす・こんぶ
ニューヨークと東京とではコーヒーの楽しみ方が違う。コーヒー豆も挿れ方も変わらないと思うが、同じ飲み物だとは思えないほど飲み方が違う。
ニューヨークに行った当初、まず驚いたのは、スタバのコーヒーカップを手に持って歩いている人が多いことだった。コーヒーを買ってオフィスで飲むのかもしれないが、歩きながら飲んでいる人、電車の中でコーヒーを飲んでいる人もよく見かけた。そのカジュアルさは、コーヒーじゃなくてコーラでも飲んでいるみたいだった。
日本ではコーヒーカップを手に持って歩いている人なんか見たことがなかった。喫茶店だろうとファーストフード店のコーヒーだろうと、コーヒーは買った店で座って飲むものだと思っていたので、スタバのコーヒーを持って歩くという、ちょっとお行儀の悪いビヘイビアが「ニューヨーカーっぽくてかっこいい」とさえ思った。
で、気がつくと、私もスタバのコーヒーカップを手に持ってマンハッタンを歩くようになっていた。日本語を教えるようになり生徒が増えてくると、ある場所で何人か教えたら、次の場所に移動する途中のスタバでコーヒーを調達する、みたいなことを自然にするようになり、いつしか自分もコーヒーカップを手に持ってマンハッタンを歩くようになっていたのだ。
だからと言って、苦味ばかりで豊かな香りのないスタバのコーヒーが好きだったわけではない。むしろ、ダンキンドーナツやマクドナルドのコーヒーの方がおいしいと思っていた。しかもスタバより安い。なのに、どうしてスタバだったのだろう。今思うに、スタバのカップはダブルカップにしてあるか段ボールの紙が巻いてあって持つ手が熱くないようなっていたし、カップが大きめなので持ちやすく、歩いて少しくらい揺れてもこぼれにくかったからかもしれない。
とにかく、いつの間にか私もコーヒーとの付き合い方がニューヨーカーっぽくなっていたが、振り返ってみると、それは好みやスタイルの問題ではなくて、単に時間がなくてそうせざるを得なかったり、そうするのが合理的だっただけなのだなと思う。
元々、私はコーヒーとのこういう付き合い方がいいと思ってたわけではない。落ち着いた調度の、ちょっとレトロな雰囲気のコーヒー専門店で、コーヒーを熟知した(でも、聞かれない限りウンチクとか言わない)お店の主人が丁寧に淹れてくれたコーヒーをソーサー付きの素敵なカップでゆったり味わいたい、というニーズはずっとあった。そんなコーヒー専門店でコーヒーを飲みながら好きな本でも読みたいものだと。
でも、私が知る限り、ニューヨークには私のそんなニーズを満たしてくれるところはなかった。かつては「アメリカンコーヒー」と揶揄されたニューヨークのコーヒーも、スタバのようなコーヒー専門のチェーン店が増えて、いわゆる”アメリカン”ではなくなったが、ニューヨークに住んでいたとき、コーヒーがおいしいと思うことは滅多になかった。いちばんおいしかったのは、引きたてのコーヒー豆を買ってきて自分で淹れたコーヒー。それも、朝起きて1杯目に飲むコーヒーだった。
東京に戻ってきてうれしいと思うことのひとつは、スタバやタリーズ、ドトールのようなチェーン店が巷に溢れていても、それとは棲み分けるように個人経営のコーヒー専門店もちゃんとあって、”ながら飲み”ではなく、ゆっくりコーヒーを味わうための、画一的ではない時間を持つというささやかな贅沢が可能になったことだ。
商店街などを歩いているとき、無意識に良さそうなコーヒー専門店を探していることに気づくことがある。そして、脇道を入ったところなんかに、個性的な小さい看板を出している店を見つけると入らないではいられない。そういうところはたとえコーヒーがあまりおいしくなくても、何か必ずその店だけのアトラクションがある、というのが私の見立て。その店の主人が一癖ありそうだとか、趣味で集めたと思われる変なものが店中に飾られているとか、店内が薄暗くてなんだか怪しげだとか。なんでもいいけれど、そこでコーヒーを飲みながら、ちょっと非日常的なひとときを過ごすのも私のお気に入りのコーヒータイム。
コーヒーの楽しみ方は、カップに入った、あの黒くて苦い液体を飲むことだけではない。コーヒーそのものがおいしいことも大切だが、コーヒーを飲む環境もセットで楽しみたい。それをさせてくれるところが東京にはまだある。そういう店を探し歩くことも、私にとってのコーヒーの楽しみ方の範疇に入っている。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
らうす・こんぶのnote:
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