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憂鬱なハロウィン

今回のテーマ:ハロウィン

by    阿部良光

またやってきたかぁ、の気分になるこの季節のこの祭り。 古代ケルト暦で10月31日が1年の終わり、現世と来世を分ける境界が緩み死者の魂が家族の元へ戻ってくる日。その時、悪霊も紛れ込んで人間に気づかれないように、火を焚いたり仮面を着けたりで身を守ったいわれが、今のパレードに繋がっているという。我々には少しお盆を想起させるが似て非なる行事かな。

現在は政治的な主張や世相を反映するプラカードを掲げたり、鳴り物に合わせて練り歩く。大統領や時の人を揶揄する仮面をかぶる人もいる。 子供の頃から人前で芸事をするのが好きではなかったので、こんなイヴェントに参加するはずもない。が、これにかこつけた飲み食い会には参加する。

小学生の時は学芸会の「桃太郎」や「安寿と逗子王」の時も、多分、やりたくなさそうさがありありで(?)交代させられた。もう一つ担任の先生が考えたオリジナルの「クラス物語」みたいなコミック劇も、あまりにふざけた先生役を演じきれず降ろされた。ま、準主役のような犬とおじいさん、そして生徒役をやった記憶はある。 でも今頃になって、能の謡や舞を習い始めるって、矛盾してるなぁ。

ハロウィーンは芸をするわけではないが、メイクや変装してでも人様の前に出るという意味で嫌いなのだと思う。いま考えると多分それは小学生時代の学芸会の経験が、潜在意識の中でトラウマ化してしまったのではないかと。 当時は悔しいとかの思いは皆無で、ホッとしたという記憶の方が大きいのだが、深層心理ではもしかすると、子供心にプライドが傷ついていたのかもしれない。

変身願望は誰にでもあると言われるが、これも未だ全くない。変身して英雄になりたいとか、ああなってみたいという思いもない。精神分析的にみると、この変身願望は、精神の不安定さからくるという説もある。しかしブレない人間ではないので、自身をどのように分析したらいいのか。

’Trick or Treet’ .. もいいが、親が子供を駆り立てるようにキャンディー集めに連れ歩く姿は、どうも物乞いを連想してしまう。ホームレスがするアレとそう違わない気がしてしまう。当アパートビルは2週間前くらいから、参加意思を問われるので、その点では救われている。 一方で参加しておきながら、家主が一切顔も見せず、ドア前にバスケットに入れた菓子を置いておく家もある。あれも関わりたくないから勝手に持っていけ、みたいな感じありありだし、それなら最初から関わらない方がいいんじゃないの、とも思う。

そう言えば、アメリカ・アリゾナ州でのあの”服部くん事件”は、もう30年前になってしまったが、確かこの事件を契機に、近所の子供たちにキャンディーや小銭をやることをやめたことを思い出した。 アメリカ南部の田舎町で、外国人に不慣れだったとは言え、あの時は本当にこれしきで銃を発砲するかと呆れと驚きで愕然とした。自身も南部はミシシッピー州に留学した身、他人事とは思えなかった。 以来、’Freeze’の言葉を忌み嫌っている。



[プロフィール] 1980年10月自主留学で渡米。しょうがなくNYに住み着いた、”汲々自適”のほぼリタイアライフ。

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